安東伸昭ブログ

安東伸昭の行動日記

東照宮をめぐる歴史ロマン

2017年05月27日 | 地域
平成29年5月27日 津山朝日新聞

5月27日の新聞に「東照宮を巡る歴史ロマン」のタイトルで、愛山東照宮が紹介されました。


津山朝日新聞拡大版
http://www3.tvt.ne.jp/~nobu56/data/aizan.jpg

北緯35度の横軸に久能山と津山が位置している内容です。
現在のGPS機能を持ってすれば容易なことですが、当時にタイムスリップするとどのような観測技術を持ってこの地を確定したか?
恐るべき技術力です。
偶然と捉えれば「そうなんだ」で終わってしまうが、「なんで?」と捉えるとと恐るべき技術力です。
ここでも「不易流行」のことばを思い出す。

伊能忠孝 日本地図への挑戦
平成28年9月24日 18:30~
伊能忠孝 55歳からの挑戦の講演を聴きました。
当時も緯度・経度の概念があったということで、驚きました。

地蔵院(津山瓦版)
地蔵院寺誌略伝
670頃 天智天皇の御代(大化の改新の30年後頃)役の小角(神変大菩薩)の開創。国内鎮火のため愛宕将軍地蔵菩薩を勧請(乾に愛宕山)
850  弘仁年間 天台宗第3世座慈覚大師円仁、唐より帰朝、巡錫のみぎり中興(慈覚大師は当時、美作地方に計48ヶ寺を建立したとされている)
1603 慶長8年森忠政公、津山城築城の際、地蔵院を乾(いぬい)の霊地として尊信、禄米を加増して祭祀の厳修を命ず
1682 天和2年 第3代藩主森長武公、境内に東照大権現堂を建立
1691 元禄4年10月24日 含海住職の時、第4代藩主森長成公、愛宕堂を改築(現存)。また境内に天狗堂山王権現堂、弁天堂などを建立。この頃愛宕山壽延寺と称す。



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