石原延啓 ブログ
seeking deer man

nobuhiro ishihara blog 
 





会場入ってすぐの作品。
行く前まで僕にとってのブラジルのイメージってこういう感じでした。
ブラジルの大地が持つエネルギーに女性特有の感性が反応したのかな?

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実際に行くまでのブラジルのイメージはアマゾンもあるし、サッカーひとつとっても個人技重視だし何やら有機的なイメージが強かったのだけれども、サンパウロを歩き回ってみると建築やデザイン、そしてアートもモダン大好きという印象を受ける。これは根本のところでヨーロッパに対するコンプレックスからブラジル流モダニズムの独特の流れが生まれて現在に至るらしい。ところがMAM(近代美術館)で観たMaria Martinsという作家のの回顧展はドロドロ系の力がみなぎり印象深かったです。また、町中でみられるグラフティアートも有機的なイメージが力強く表現されている。
この両極の流れをみるにつけ、ブラジルのバイタリティを強く感じるのだ。


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町中のリッチなエリアを移動途中、宿命のライバル同士が激突するコーナーに出くわした。当然ですがブラジル街の方がアルゼンチン通りより遥かに大きかったw

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last lunch @ "our place" eatcao PINHEROS RESTAURANTE.
毎日通ったビュッフェ形式の定食屋さん。ランダムに肉や野菜を山盛りで食べられるのがブラジル料理の嬉しいところ。
帰国して2日経つけれど、既にブラジル食が恋しい。
安価のフレッシュジュースと山盛りの肉に野菜。あ~日本にも欲しい。
味噌汁、漬け物、納豆に御飯も最高なんだけれどね。


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オープニングにてワークショップを手伝ってくれたSescのeducatorチームと記念撮影。
彼等がいなければ今回の作品はできなかった。
地元ブラジルの子供たちとスムースにコミュニケーションできたのも彼等のお蔭です。
ありがとうございました。

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オープニングにてVAIVEMチームのアーティスト+建築家と記念撮影。
キュレーターとクリティックのジョズエ、トリスタンがいないと女性ばかりだ~
結構濃いです。

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今回の展覧会(レジデンス)はブラジル人アーティスト4人と招待された海外アーティスト4人が何もない状態のスタジオを始めからオープンスタジオで制作過程を人様に見ていただくというものだったので、私はワークショップを繰り返しながら地元の人たち(主に子供たち)の創り出した生物を画面に取り込んでいった。サンパウロに着いてまず始めに行った墓地にて、様々な国から移民した人たちが混血している象徴的な姿を目の当たりにして大きな衝撃を受けた。ワークショップではひとつの生き物の頭部、胴体、下半身を3人で作り上げたが、墓地で見たお墓もまた姓がロシア、ミドルネームがポルトガル、名前がユダヤ、みたいに混合体が多く見られた。私の鹿男の角はブラジルの名前の源となった樹「パオブラジル」に成り代わり、ハイブリッドのクリーチャーを吸い込みながら成長していく。

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あ~、やっと終わった。
スペースの都合上、展示出来ない作品もありましたが、結構楽しんでやれました。
VAIVEA team のメンバーの一人、Renata が面白い写真を撮ってくれました。Tシャツと作品がカモフラージュになってる。
明日はオープニング。翌々日には帰国。あっという間のサンパウロ生活でしたがな。


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再会  




ギャラリーのオープニングで2010年に滞在した韓国のレジデンスGCCの元キュレーター、サラに再会。
今回のプロジェクトに呼んでくれたキカともそこで出会った。
サラもレジデンスでサンパウロ滞在中でリユニオンが実現。
再会を記念して3人でパチリ。



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今日は作業を早めに切り上げてVAIVEMのプロジェクトへ招待してくれたKikaの個展のオープニングのためにサンパウロから車で2時間の街CampinasのMuseum da imageme do sam de camoinas(MIS)まで行ってきた。
展覧会はとても良かった。
Kikaが収集した2~30年代と70年代の8ミリフィルムを編集した3部屋に分かれた作品群なのだが、とても印象深いものがあった。
旧い8ミリのフィルムは化学変化を起こしてドロドロに痛んでいたりするのをそのままパラパラ動画にして見せていた写真の美しいかったこと。時々人らしき姿が映るのだが、記憶が分解されて修復不可能で意味不明にもかかわらず何かを言おうとしているエネルギーだけが残存していて、そのままそれが剥き出しに映し出されているようであった。
また、本を見開いたようなV字型のスクリーンに映し出された多くの家族から集められた70年代の映像はパーティーや子供の遊びや誕生日、大人がプールで戯れる様子やフェスティバルなど、似たようなシーンがランダムに並べられている。
そこで受ける印象は多くの家族による異なる映像であるにもかかわらず、まるであるひとつの家族のものであるかのように非常に似通っていて、人間が持っている共通した何かを感じさせた。私はふと、特別な人間なんていないし、同時にそれぞれの人たちが特別な人生をしっかり生きているのだと思った。
そしてKikaの作品を見ながら震災一月後に陸前高田で見た瓦礫を思い出した。遠目で見た街の様子は凄まじいものであったが、瓦礫の中に入り、そこで見たディテール、ドロドロに汚れた数え切れない「もの」たちにはついこの間までそこで生活していた人たちの生々しい記憶が確実に存在しているように思えたものだ。その中にいくつかのアルバムもあった。画像や映像というのはそこに光が紙やフィルムに焼き付けられただけなのに、それを通して確実にそこに生きている人たちを観ることのできる不思議さを改めて感じた。昨今の個人的な事情もあいまって、大いに感じるところがありました。

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