石原延啓 ブログ
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4年ぶりに「御神渡り」出現 長野・諏訪湖
3日、長野・諏訪湖で今シーズン一番の冷え込みを記録し、全面に張った氷がせり上がる「御神(おみ)渡り」現象が4年ぶりに出現した。
3日朝の諏訪湖はよく晴れて、地表の熱が奪われる放射冷却現象で厳しい冷え込みとなった。この寒さで、湖面全体に張った氷がせり上がる御神渡りが見られた。最低気温は平年を7.3℃下回る氷点下13.9℃で、今シーズン一番の寒さだった。(日本テレビ・NNNニュース)


諏訪は日本古来の旧い神様が座します場所。
天橋立じゃないけれど、ネーミングが良いよね。
それにしても、いつの日か御柱祭りを間近で観たいものだ。その前に御頭祭もみなきゃいかん。


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少し前のニュースだけど、スウェーデンの深さ80mの海底で400mの尾のようなものがついた直径60mの円盤状の未確認物体が発見されたらしい。
春を待ってもう一度潜水艦で探査するらしいのだけれども、昔観た「遊星からの物体X」とか「エイリアン」みたいな怪物の目を覚まさせないで欲しいものである。

http://www.cnn.co.jp/fringe/30005445.html

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金曜日、水球の五輪予選を観戦する。
私は二流にも届かないプレーヤーだったけれども、かつて青春を賭けたスポーツだ。
同期の主将だった友人が主催者側にいた縁で重い腰の私ですが新習志野の千葉国際総合水泳場まで足を運ぶ。
この大会にロンドン五輪出場がかかっていたが前日のカザフスタン戦の敗戦で夢はついえてしまった。
それでもこのレベルの試合を観る、もとい水球の試合を観る機会なんぞは滅多に無いので思う存分楽しんだ。
久しぶりに観る本格的な水球競技でしたが、確かに選手も大型化して以前よりもレベルが上がっているように感じた。
ただし、相手のCF、CBが強くて攻めきれなかった、守りきれなかった。
前日の敗戦で気落ちしていたかな〜。キーパーが当たりまくっていただけに残念!
聞くところによるとテレビニュースなどでも取り上げられていたらしく、会場には多数の人が訪れていた。
これを機会に競技人口が増えて、益々の強化が進むことを切に望む次第。
ハードだけれども、とても面白いスポーツですよ。



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映画監督のテオ・アンゲロプロスがギリシャで映画撮影中に交通事故で亡くなられたそうだ。
アメリカ映画を観て育った私はどうしてもテンポの早いシーンの連続に慣れてしまっていた。
その後ピーター・グリーナウェイにはまりフランス映画なども好んで観るようになってから初めてアンゲロプロスの「ユリシースの瞳」のビデオを借りた。
もう20年近く前の話。
うつらうつら眠りそうになりながら3日かけて観終えたが、えらく感動したものだ。
こう言っては怒られてしまうかもしれないけれど、だらだらだらだら時間をかけて観て初めて伝わる事もある。
今となってはストーリーもほとんど忘れてしまったけれど、ハーヴェイ・カイテルの独り語りの長回しの背景なんて、ほんと何処にでもあるような薄汚れた景色で「何でまた?」と思ったものだ。
だからこそあの巨大なレーニンの像が河を運ばれて行く強烈なシーンが今でも忘れずに目に浮かぶのか。
薄明かりを持った人々が川岸からそれを静かに眺めていたのだが、あの空気は何であったのだろうか。
過ぎ去った時間に対する鎮魂とでも言うべきか、映画というメディアの持つ力、奥の深さを教えてもらった監督でありました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
合掌

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打合せで代官山へ行く。
そこで、この先(ヒルサイドテラス)に出来た新しいツタヤが凄いから見てから帰ると良いよと勧められた。
世界最先端の本屋とはどんなもんかいのうと訪れてみると、確かにこれは凄い。
木調モダンのインテリアにアート作品がちりばめられ、最上階のカフェなんぞはクラブのVIPルームのようであった。
本屋も貸しCDのコーナーもおしゃれに整理されていて情報を探す機能も充実している。
万年質ケースにはやられました。
しかし、多分自分がほとんど都心に出かけない田舎者の中年だってこともあるんだろうけれど、ここまでひとつところに情報が集約されていると何だか落ち着かないんだよねえ。
かつて飲んだ帰りに青山ブックセンターで立ち読みしまっくてへろへろになったものだけれども、個人的にはここまで至れり尽くせりだと何だか構えてしまう。
本屋で喫茶するっていうのは多分バーンズアンドノーブルあたりが最初にやったのだと思うけれども、さてこのツタヤの新しい試みはトレンドになるだろうか。


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先週の金曜日は久しぶりに美術館をハシゴ。
まず、汐留ミュージアムで考現学者(?)今和次郎展のオープニングへ。
今まで知らなかった人だが、デザインを勉強した後に考古学ならぬ、現代風俗の研究にハマって考現学なるものをつくった。
展示の中で関東大震災後にアーティスト仲間を集めて看板を描く会社を設立して街の復興に現場レベルでしたという説明を読んで、先の震災後のアーティスト・遠藤一郎君の活動を思い出した。時代を隔ててもアクティビストとしてのアーティストの本能的な活動に差異がないことを知り、新鮮な驚きだった。
ちなみに路上で人々を観察するにあたり、対象になる人たちに怪しまれないように(?)常にジャンパーを着用するようになったそうな。
学生食堂の茶碗の傷まで丁寧に調べて統計までとっているのが可笑しかった。

続いて六本木移動して森美術館へ。会期終了間際のメタボリズム展にかけ込む。
力の入った見応えのある展覧会。
都市は有機的に変化していくという日本の建築家たちによるムーブメントの特集なのだが、時は高度経済成長真っただ中の日本。
随所に見られる「昭和」のモダンはどことなく懐かしく、内容に目新しいものはなかったけれども、第二次大戦後の復興を背景とした「時代」のパワーに圧倒された。
かつて年長者から「あ〜東京オリンピックを知らないんだ〜」と言われ、「え〜万博へ連れて行ってもらえなかったんだ?」と同情された世代の私だが、こういう視点で昭和を振り返ってみると感じることが多々ある。

1970年の大阪万博は昭和のモダニズムのピークだったと思うが、以前に作曲家の湯浅譲二さんが戦後に現れた各界のクリエイティブな才能が万博を境にどんどん商業主義へと取り込まれていったとお話していたのを思い出す。
図らずも田中角栄著作「列島改造論」が展示されていたけれど、建築家もまた都市計画やコミュニティーを真剣に考える立場の人は少数になり、箱もの行政やゼネコンデベロッパーへと取り込まれていったそうだ。

偶然に出口付近で館長の南条さんとお目にかかり上記のような内容の話をすると、
「万博以降に今までは商売にならなかったコンセプトやイメージやクリエイティビティなんかを扱う新しいビジネスが生まれたんだよ。電通なんかが巨大になったのもその後だよ。」おっしゃっる。
「それにしてもメタボリズムだなんだというけれど、最後に(岡本)太郎さんのアート(太陽の塔)が全部もってっちゃった」と私が言うと
「そうなんだよ。でも今の日本のアートがあのどでかい天井に穴を開けることが出来ると思うかい?残念ながら成熟しすぎた今の日本では無理だろうねえ。社会にまだまだ荒削りなパワーがある中国とかなら可能だろうけれども。」と嘆かれていた。
坂の上の雲じゃないけれども、もはや上を向いて歩いてばかりいられない時代を私たちは生きている。

付録の展示、ツァン キンワーの刺激的なテキストを使った映像のインスタレーションも文字というものが本来もっている「目で認識する」という機能を再認識するような展示で面白かった。

翌日は友人たちが横浜中華街で学生時代から続けている新年会に行くと元土佐ノ海の立川親方がいるではないか!
年に6場所取り組み90番は多すぎるんじゃないか?という私の質問に対して「横綱クラスの力士には消化相撲がおおすぎるかもしれませんね。あと、さすがに昔みたいに年に20日だけではファンから忘れられてしまう。年4場所で一場所20番くらい取るというのもありかもしれませんね。」という意見は新鮮だったわ〜。
とにかく優しく賢くハンサム(顔が小さい)な親方でした。長年の相撲ファン、石原感激。


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年末、息子に付き合って3D映画怪物君を観る。
「俺は、カイブツクンだ、怪物ぅランドの王子だぞ〜」ではなく、
「かーいかいかい、かーいかいかい」という主題歌にまず違和感を感じた。
しかし思いの外楽しんでしまって不覚ながら思わず目頭が熱くなるシーンも。
嵐の大野君(怪物君)の「我がままってのはな〜、自分やりたい事に筋を通して責任を持つってことなんだよう!」というセリフに共感。

大掃除の合間に読んだ週間新潮新年合併号の吉本隆明の原発エッセーから思う事あり。
氏は意外にも人類の文明の進歩の証としての原子力の技術を諦めるべきではないとの見解だそうだ。
震災後のメディア等の感情的な反応は第二次大戦後の日本を思い出させるとのこと。
私個人的には原子力なんかは無いに越した事はないと思うのだけれども、周辺住民の方々の安全確保を確認の上、東北の復興を第一に考えるべきと思っているので、まず反原発ありきの立場ではない。
そこでの吉本氏は各個人の生まれや経験を背景にした「ぶれない」元個人の意見を重要視すべしという意見には考えさせられた。
自分ももっと勉強して揺るぎない意見を持たねばと思った次第。

そうこうするうちに年が緩やかに明けました。
今年は自宅で年越し。初詣は近所の神社へ赴く。
意外にも人出が多いが、それでも地元の氏神様はうんとのどかだ。
慌ただしい年の瀬とはうって変わってしんと静まり返った街を歩くのは心地よい。
本当に垢が洗い落とされて自分がリセットされたようで、日本人に生まれて良かったとつくづく思う。

年始は絵に描いたような寝正月。
元旦の天皇杯サッカーに始まり定番の箱根駅伝をだらだらと観賞。
やっかいなことに昨年大ヒットしたらしい「マルモのおきて」までまとめて再放送していて子供たちがチャンネルを取り合う。
その中で主人公が「家族ってのは、離れて暮らしていても一緒なんだ。好き嫌いでばらばらになるほど甘めーもんじゃないんだよ」というセリフに陰ながら私は思わずほろりとしてしまった。

今年は喪中なので年末年始のご挨拶を控えさせて頂いておりますが、
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


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仙台から画商のSさんが上京。
ピアニスト東誠三さんのコンサートに誘っていただき紀尾井ホールへ行く。
生誕200年記念ということでリストの特集だったのだけれども素人目(耳)にもかなり難しい選曲だったと思う。
東さんの人柄通り、作曲家の作り上げた音をリスペクトして一音一音魂を込めて打ち込んでいくような演奏。
ひとつひとつの音が立ち上がり踊って溶けあって腹に響いてくるような感じがする。
アンコールでようやくリストではおなじみの愛の夢やカンパネッラなど。
これら耳慣れたアンコール曲はともすれば甘い雰囲気に流されがちになりそうなものだが、東さんがそれを許すはずもない。
ラ・カンパネッラは力強さと透明さを合わせ持った本当に瑞々しい演奏であった。
素晴らしい演奏に感動して子供&自分の為にCDを購入(写真)

コンサート後はSさんとがっつり飲みタイム。
いせ源(あんこう鍋)→やぶそば→山の上ホテルのバーとこてこての東京を満喫。
Sさんとの会話はいつも本当に楽しい。
今回驚いたのは仙台のお雑煮の話。
干したハゼ(!)で出汁をとり、それを最後にお椀にどっかり乗せるのだとか。
いつの日か食べてみたい。
そして一日も早く被災された方々がいつも通りの楽しいお正月を迎えることができるようになる事を切に願う次第です。


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サッカーの岡田前日本代表監督が中国の中堅クラブチームの監督就任に前向きだというニュースを見て、いちスポーツ業界に留まらない視野の広さはさすがだなあと思う。以下発言を抜粋
「自分自身のチャレンジということでも刺激を受ける。(中略)それとともに中国はこれから世界のあらゆる部分でキーになっていく国です。そういうところを自分が直接見てみたいという気持ちがあった。」
「ゆくゆくはヒデ(中田英寿)とかの、ヨーロッパとか世界で名前の知られている人物が(海外で監督を)やればいい。中国で日本人が指揮を執るということは、いろんな面で影響がある。国レベルではできないことができるかもしれない。アジアもこれから、流動性の高い世界にならないといけない。」

先日タイ人アーティスト、ウィットのトークを聞きにTWSへ行った。
テーマが311やバンコクに洪水など震災に対してアーティストがどのように向き合うことができるかということだったので興味を惹かれたもの。翌々日にはベトナムのディンQ・リー、韓国のヨンヘ重工業、日本からは米田知子さんを交えて同じテーマでテーブルセッションをやったらしいがこちらは残念ながらミスした。
トークセッションの後、久しぶりにTWS館長やプログラムディレクターと話したのだけれども、今アジアが面白いと言う。
その中で印象的だったのが、以前東南アジアへ出張した時に、各国アート関係者と英語でコミュニケーションする訳だけれども、ふと気づくと自分と話す以外は皆中国語(マンダリン?)で話していたことになるほどと思ったとのこと。
アジア諸国には華僑をはじめ中国系の移民も多く、もちろんアート関係者も例にもれない。
新しいかたちのネットワークが作られつつあるようだ。

私はサッカー北朝鮮代表選手であるチョンテセ選手のブログを好んでよく読んでいるのだが、在日の彼はJリーグで活躍した後にドイツのチームに移籍して、同じくヨーロッパでプレーする日本の選手たちとの交流を面白おかしく書いている。
日本の選手と在日の選手が異国の地で助け合いながら切磋琢磨し、チーム同士の戦い、そして代表チーム同士の戦いでは絶対に負けまいとして足を削り合う。
そこには個人のアイデンティティをがっつり背負いつつ、国や政治を超えて人と人とが対等に向かい合うことの出来るプラットフォームが存在している。
(もちろん北朝鮮という国には大いに問題があるのは忘れてはいけないけど。)

アジアの将来、アジアの中に生きていく日本ということを考えたときに、岡田さんの言う「流動性」というのはキーになってくるのではないだろうか。今後の動向に注目したい。


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12/4

日曜日に武蔵村山市にある中学校の解体現場へ救助犬訓練の見学へ行く。
春に大船渡で知り合った消防士の救助隊の訓練をしている教官の方と日本救助犬協会の方に誘われたもの。
震災被災地で彼らから聞いた現場の話も「え〜っ!?」の連続だったが、今回も大変ためになるものだった。

まず、我ら一般人は各地の消防など行政に救助犬というものを育成している機関があると思いがちであるが、実は全くのボランティアで民間人である。
だから3.11の時は震災翌日には仙台まで到達していたにも関わらず、実際に被災地に入れたのは人命救助の目安となる72時間後であった。
震災直後は行政側が混乱していたこともあるが、犬を扱うハンドラーは民間人であり、危険な現場では身の安全を保証できないというのが大きな理由らしい。
知人である教官の方曰く、日本ではまだまだいざという時にICS(Incident Command System:災害時指揮命令系統)が機能していない。
彼は実際に現場に入ってオランダからきたボランティアの救助犬や消防、そして自衛隊と救援活動にあったったが、オランダ人はもちろんのこと自衛隊も垣根を越えた自主的な協力体制に慣れていて、非常にスムースに現場で事が運べたと言う。
大災害に於ける救援活動では消防、警察、自衛隊、民間の協力体制が必要不可欠であるが、現状では救援方法ひとつとっても統一されておらずUSAR(Urban Search and Rescue : 都市型捜索救助)の方法論の普及が望まれている。



今回は各地の件の教官や救助犬協会の方の人脈を利用して各地の消防士と救助犬協会の共同で実現した画期的な訓練の現場を見学することが出来た。
実際に生きた人を瓦礫の中に隠し、救助犬とともに消防士たちが声を出しながら歩いていく後を私も付いて歩かせたもらったが、かなりの緊張感があった。
その中で、救助犬協会の方々が持っていた胃カメラみたいなスコープ(?下写真参照)は瓦礫で隠された場所を見るのに活用されていて、一般の消防士の方たちにとっては驚きのツールであったようだ。



救助犬協会の設立は意外に歴史が浅くて阪神淡路大震災の後であった。
このような解体工事現場での訓練にはなかなか許可が下りず、ここまでくるのには大変な道のりであったらしい。
一般に震災に対して危機意識が高まっている現在、このように訓練が出来る現場の確保と垣根を超えた共同の訓練の頻度を上げることが必須であるとのことである。

犬を育成するのには3年かかる、そして育った犬は実働約5年とのこと。
常に優秀な犬を確保するには頻繁に世代交代が必要で、それには分母となるボランティアの方々の数を増やす事が必要だ。



また、消防士の方々のミーティングは大変勉強になった。
救援活動に不可欠なロープひとつとってもまちまちで、これから先に統一された基準を設けていく事が必要ではあるが、本来音頭をとるべき総務省もアメリカから真っ先にUSARの方法論を導入した大都市に対して後から指導しにくいなどの問題も耳にした。休みを使って参加している若い消防士が「これから先、救助方法がどのような方向で統一されていくのでしょうか?」という質問は命の現場を預かる立場からすると切実な問題であろう。
それにしても、消防士ってのは日頃から命張ってるだけあってカッコいいねえ。


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