つれづれ

思いつくままに

山王の大楠

2017-06-16 13:37:29 | 
幼いころの正確な記憶というものは、何歳のときからなのだろうか。
反芻で上書きされ 時とともに強調されていく記憶が ほんとうなのか、記憶が記憶を塗りつぶしてゆく。

幼い記憶は、西大路通り御池付近から始まる。
父が経営する工場は、西大路姉小路東南角にあった。
居宅も工場に隣接していた。

西大路通りを挟んで斜め向かいが島津製作所御池工場で、当時は進駐軍に接収されていた。
西大路通りに面して、アーチ形の横文字門があった。
小学校低学年の夏休み宿題に、この門を絵に描いて 賞をとった。
だからだろう、この門の形も横文字の色使いも、曖昧ながら覚えている。

ハーシーチョコレートにつられて GIの腕に抱かれて接収構内に入り 迷子になった私を 母が気狂いのように探し回った という記憶は、姉たちの話から 形作られたものである。
GIの歯と掌の白さ そして体臭は、この話からわずかに残る、ほんとうの記憶である。

近所にガキ大将がいた。
名を五郎と言った。
腕白この上なかったが、面倒見は良かった。
五郎集団の最年少だった私は、いつもは 憧れの 「遠征」に連れて行ってもらえなかった。
一度だけ、「遠征隊」に入れてもらえたことがある。

進駐軍の敷地は広大だった。
現在の西小路あたりまで、鉄条網が張られていたのではなかろうか。

余談だが、島津製作所は“進駐軍太り”と 揶揄する人が、昔いた。
御池工場も民家もひっくるめて接収した進駐軍敷地を払い下げられた、という意味だったのだろう。
真偽はともかく、現在の島津製作所三条工場は すっぽり進駐軍の敷地だったはずである。

進駐軍の鉄条網を迂回しながら、「遠征隊」は西に進んだ。
幼い足には、ずいぶん遠くまで歩いたように思う。
こんもりとした森が現れた。
当時の私の目には、ジャングルのように思われた。
何本もの大木が、辺りを夕方のように暗く覆っていた。

実は この記憶は、ついこの間まで 記憶の彼方にあった。
久しぶりの西方面の散歩で、偶然 呼び覚まされた記憶である。


御池通り西小路を少し西に進んだあたりで、南の向こうに 濃い緑の塊が目に入った。
しょっちゅう通っているのに、気づかなかった。
吸われるように、濃い緑の塊に近づいた。

山王神社、その境内に 胴回り4mほどもある大楠が、6本。
樹齢700年の大木である。


ああ これが、あのジャングルの大木だったのか。
気懸りだったデジャブが、ひとつ晴れた。
大楠たちよ、生き永らえていてくれて、ありがとう。
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