「ヴァーリ・トゥード」とか「何でもあり」、NHB(ノー・ホールズ・バード)、なんて呼ばれていた異種格闘技戦が、MMA(ミックスト・マーシャルアーツ)=総合格闘技という形に競技化・一本化されて久しい。
PRIDEという良くもも悪くも異種格闘技色を残していた団体が、MMAの徹底的に競技化を目指したUFCに吸収併合されたことで、その流れはこの一年で急速に早まった。
PRIDEでは認められていた胴衣の着用、シューズの使用は柔道家やレスラーといった選手の特性を機能的にも外見的にも強調するものだったし、1R10分、2,3Rは5分という変則的な試合時間も、グラップラーとストライカーという対立軸を考慮してのものだった。
しかし、UFCルールを根幹とするMMAにおいては、そもそも対戦する競技者同士が同一条件で戦わないのはおかしいという競技/スポーツとしてはごくまっとうな発想があった。よって一律してシューズと胴衣は禁止、ラウンド時間は五分で統一、厳密な階級を制定というようにルールは整備されていった。
そんな現状を見て、「昔の異種格闘技色の強い、ちょっと胡散臭いくらいのヴァーリ・トゥード、PRIDEが好きだった」という人が結構な数いる。
さすがに、初期UFCみたいに、目つきが完全にいっちゃってる人たちが素手でボコボコ殴りあうのが面白かった、という人は少ないだろう。
私はどちらかといえばMMAの競技化賛成である。規制が多くなるのは嫌だが、ルールが統一されるのはMMAの発展には必要不可欠だ。
でも、「昔がよかった」という人の気持ちがわからないわけではない。いや、むしろ、ある面では懐古主義的でさえある。いまだに、古い格闘技雑誌を引っ張り出しては、そういう「昔」を楽しんでいる。
その「昔」とは具体的にどんなとこだろう。
まず、なんといっても、わかりやすい異種格闘技性だろう。
グレイシー柔術VSプロレス
相撲VS空手
柔道VS柔術
PRIDE VS K−1
打撃系VS寝技系
誰が強いのか、以上に「どちらの格闘技が強いのか」を争うのがそもそもの「何でもあり」の存在意義だった。グレイシーが自分たちの柔術の優位性を証明するために「ヴァーリ・トゥード」を発明したのだから当然である。その発想は、プロレスの強さを証明するためにアントニオ猪木だが異種格闘技戦(という名のプロレス)を行ってきた日本においても、すんなり受け入れられた。
しかし一方で、マウントパンチ(今や死後?)に代表されるグラウンドでの打撃は日本人が受け入れるのには時間がかかった。特に、独自に総合格闘技を模索していた旧UWF勢からは強い拒否反応が出ていた。
だから、昔のほうがよかったという人でも、前述の通り、「ノールールじゃなきゃ嫌だ」という人は少ないと思う。桜庭がシウバにまける前のPRIDEなんて肘も四点ポジションもなかったわけだし。
あとは、異種格闘技を演出する胡散臭さになんともいえない魅力を感じたという人も多いだろう。プロレスの域を出なかったUWFや初期リングスは別にしても、競技というにはあまりに不完全である意味何が起こってもおかしくなかった初期のヴァーリトゥード。殴り合い、異種格闘技といった単純明快な要素と、あいまいなルールやあまりに未知だった寝技やポジショニングの概念など、わかりにくく複雑な要素、これら二つの相反する要素が何処にもカテゴライズされない胡散臭さと魅力を形成していた。
そんな胡散臭さを列挙してみます。
初期UFCで言えば
○忍術使いやカンフー使いなど胡散臭い経歴の人がが多数出場
○何故かみんな目がテンパってる
○金的アリ(ファールカップつけてる)
○格好・ルックスが面白い 道着も柔道着から、カンフー映画の悪役のような黒道着、ラーメンマンばりの鞭髪(しかも相手に掴まれてる)などなど
初期PRIDEでいえば
○鳴り物入りでプロレスラーが出場してボコボコにされる
○体格差あり過ぎのマッチメイク、しかも70キロないホイラーが100キロあるプロレスラー佐野に勝ってしまったりする
○謎の特別ルールが採用(黒澤VSメインダートのロープブレイクあり、桜庭VSホイスのトーナメントなのに一試合だけ時間無制限などなど)
ちょっと偏執的なファンだったら、
○猪木VSアリ状態で延々と膠着してる、
○レスラーがテイクダウンして、こつこつパンチ当てるだけで試合が終わる、
○前座なのに1試合に一時間くらいかかる(ヘンゾVS菊田など)、
○あの試合は八百長か否かで議論が白熱(高田VSコールマン、小川VSグッドリッジなど)
○観客はオタクとヤ○ザばっかり
こうやって思い出すと、ファンも手探りだったんだなと思う。自分はリアルタイムで見たのが高田VSヒクソンのちょっと前くらいだったけど、それでもまだ手探りだった。未だに「これって楽しんでいいの??」というのはあるが。MMAが始まって14年そこそこ。まだまだどうなるかわかりません。
PRIDEという良くもも悪くも異種格闘技色を残していた団体が、MMAの徹底的に競技化を目指したUFCに吸収併合されたことで、その流れはこの一年で急速に早まった。
PRIDEでは認められていた胴衣の着用、シューズの使用は柔道家やレスラーといった選手の特性を機能的にも外見的にも強調するものだったし、1R10分、2,3Rは5分という変則的な試合時間も、グラップラーとストライカーという対立軸を考慮してのものだった。
しかし、UFCルールを根幹とするMMAにおいては、そもそも対戦する競技者同士が同一条件で戦わないのはおかしいという競技/スポーツとしてはごくまっとうな発想があった。よって一律してシューズと胴衣は禁止、ラウンド時間は五分で統一、厳密な階級を制定というようにルールは整備されていった。
そんな現状を見て、「昔の異種格闘技色の強い、ちょっと胡散臭いくらいのヴァーリ・トゥード、PRIDEが好きだった」という人が結構な数いる。
さすがに、初期UFCみたいに、目つきが完全にいっちゃってる人たちが素手でボコボコ殴りあうのが面白かった、という人は少ないだろう。
私はどちらかといえばMMAの競技化賛成である。規制が多くなるのは嫌だが、ルールが統一されるのはMMAの発展には必要不可欠だ。
でも、「昔がよかった」という人の気持ちがわからないわけではない。いや、むしろ、ある面では懐古主義的でさえある。いまだに、古い格闘技雑誌を引っ張り出しては、そういう「昔」を楽しんでいる。
その「昔」とは具体的にどんなとこだろう。
まず、なんといっても、わかりやすい異種格闘技性だろう。
グレイシー柔術VSプロレス
相撲VS空手
柔道VS柔術
PRIDE VS K−1
打撃系VS寝技系
誰が強いのか、以上に「どちらの格闘技が強いのか」を争うのがそもそもの「何でもあり」の存在意義だった。グレイシーが自分たちの柔術の優位性を証明するために「ヴァーリ・トゥード」を発明したのだから当然である。その発想は、プロレスの強さを証明するためにアントニオ猪木だが異種格闘技戦(という名のプロレス)を行ってきた日本においても、すんなり受け入れられた。
しかし一方で、マウントパンチ(今や死後?)に代表されるグラウンドでの打撃は日本人が受け入れるのには時間がかかった。特に、独自に総合格闘技を模索していた旧UWF勢からは強い拒否反応が出ていた。
だから、昔のほうがよかったという人でも、前述の通り、「ノールールじゃなきゃ嫌だ」という人は少ないと思う。桜庭がシウバにまける前のPRIDEなんて肘も四点ポジションもなかったわけだし。
あとは、異種格闘技を演出する胡散臭さになんともいえない魅力を感じたという人も多いだろう。プロレスの域を出なかったUWFや初期リングスは別にしても、競技というにはあまりに不完全である意味何が起こってもおかしくなかった初期のヴァーリトゥード。殴り合い、異種格闘技といった単純明快な要素と、あいまいなルールやあまりに未知だった寝技やポジショニングの概念など、わかりにくく複雑な要素、これら二つの相反する要素が何処にもカテゴライズされない胡散臭さと魅力を形成していた。
そんな胡散臭さを列挙してみます。
初期UFCで言えば
○忍術使いやカンフー使いなど胡散臭い経歴の人がが多数出場
○何故かみんな目がテンパってる
○金的アリ(ファールカップつけてる)
○格好・ルックスが面白い 道着も柔道着から、カンフー映画の悪役のような黒道着、ラーメンマンばりの鞭髪(しかも相手に掴まれてる)などなど
初期PRIDEでいえば
○鳴り物入りでプロレスラーが出場してボコボコにされる
○体格差あり過ぎのマッチメイク、しかも70キロないホイラーが100キロあるプロレスラー佐野に勝ってしまったりする
○謎の特別ルールが採用(黒澤VSメインダートのロープブレイクあり、桜庭VSホイスのトーナメントなのに一試合だけ時間無制限などなど)
ちょっと偏執的なファンだったら、
○猪木VSアリ状態で延々と膠着してる、
○レスラーがテイクダウンして、こつこつパンチ当てるだけで試合が終わる、
○前座なのに1試合に一時間くらいかかる(ヘンゾVS菊田など)、
○あの試合は八百長か否かで議論が白熱(高田VSコールマン、小川VSグッドリッジなど)
○観客はオタクとヤ○ザばっかり
こうやって思い出すと、ファンも手探りだったんだなと思う。自分はリアルタイムで見たのが高田VSヒクソンのちょっと前くらいだったけど、それでもまだ手探りだった。未だに「これって楽しんでいいの??」というのはあるが。MMAが始まって14年そこそこ。まだまだどうなるかわかりません。










