午前6時に起床する
雨はあがった
いただいた絹サヤを茹であがり直前のスパゲティの鍋に放り込みザルに揚げ水気を切り
ウインナーとニンジンとパプリカを炒めているところに加えて軽く炒めて味付けする
味付けは塩とコショウとマヨネーズ 今は亡き新宿第2イマサのミラネーズを模してみた
南イタリアはトマト 北イタリアは肉とクリーム そう聞いたことがある
だから本当は生クリームで和えたほうがミラネーズにふさわしいのだろうが
あいにく生クリームは装備していないのでマヨネーズで和えてみたら
懐かしの新宿第2イマサのスパゲティーミラネーズとは似ても似つかぬ味になった
ところで新宿第2イマサといえばスパゲティー屋ではなくて・・・実はカレー屋で
名物だったのは楕円形の大きな皿の中央にライスを装いその両脇に
チキンとビーフ2種類のカレーをたっぷり注ぎ溜めたもので
それをダブルカレーと呼んでいたように覚えているのだが・・・違うか?
とにかく盛りの多い喰いものであればなんでも良かった
あの頃は18歳から19歳 いつでも空腹だった
そのうえ不況だった
1975年の日本はオイルショックにドルショックが重なり不況は深まり
あまりの不況続きに車の数も少なくて新宿通りを平気で歩いて渡れたほどで
デカイ外車を乗り回しているのはヤクザくらいだった
通っていた美術予備校の近くにはやんごとなき新宿御苑があったけれど
裏にはヤクザ御用達の寺があってさらにその後ろには少しいかがわしい店が建ち並んでいた
予備校の並びには銃砲店があり物騒な気もしたがその先には交番があったので安心だった
午前7時頃に予備校の前に座り込みシャッターが開くのを待っていたら
交番からおまわりさんが出てきて「美術の予備校ってなにするの?」と聞いてきたこともあった
デッサンとか水彩画とかですねと答えたらニコニコ笑って交番に戻って行った
若いおまわりさんが知りたかったのはヌードを描くのか?ということだったのだろう
きっとそうだ 今は判る でも・・・
こっちはそれどころではなかった
毎日クラクラするほどデッサンをし水彩画を描いた
膝に水が溜まったこともあったし栄養不足で目の前が真っ暗になったこともあった
夏が来て少ない仕送りをやりくりする知恵の無い私は衰弱して ついに倒れた
高校を卒業した時から体重は25キロ以上減っていた
見るに見かねて予備校の先輩 T さんが「俺の実家に来い」と誘ってくれた
青梅のお宅では家庭的な料理でもてなしてくれた
数日そこで身体を休めてまたデッサンと水彩画の日常に戻った
そして喰うことの重要さを痛感した
仕送りを無駄使いしないように外食を控え自炊と手弁当に切り替えた
おかげで倒れることもなく予備校生活を1年間で終えることが出来た
T さんの消息は白馬岳の山小屋にいるらしいとか遠い外国にいるのだとか
そういう噂は聞くことはあっても実際に会うことは一度もなかった
もしもお会い出来たらあの時のお礼を言いたい 今なら素直に言える
そういえば T さんのお宅で供された食事で嬉しかったのは春雨サラダだったのは
衰弱していたうえに蒸し暑かったからだったとは思うけれど
その味付けにマヨネーズが少し使われていたのを思い出したら
今朝作ったスパゲティの味付けに似ていたような気がした 目が潤む
なにもかもが懐かしい
食後のコーヒーを飲もう エチオピア・モカをフレンチプレスで淹れる
リハビリがてらにバラ園でも歩こうかな?