日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

替える、変わらないという話ではなく、新たに創る、造られるんだという話をしようじゃないか

2017-07-10 | 社会 政治
(少しここまで熱に浮かされて書きなぐってきましたが(間違い相変わらず多いですね)、ここまでの数回を改めて聞いてみましたら、思わず、お前何様と自分でも恥ずかしくなってます。鶴田浩二の「傷だらけの人生」ならぬ「勘違いだらけの人生」ですか。「読者諸君」なんて書いてましたね。誰が読む、こんなおめでたい夢物語。歴史は繰り返すとかなんかですが、アホの私はまた阿呆のたわごとをぬかす、繰り返すんですね。もっとこれから先、阿呆にアホに徹していきたいと思うんです。楽しくおかしく、少しでも自分の思いを行動に移せたらと、ぼつぼつ、ゆっくり、自分の見えない足もとを感じながら、ホンマにそうでっせ。)


替える、変わらないという話ではなく、新たに創る、造られるんだという話をしようじゃないか
 私のようなこちら側のこの世の社会、共同体をつくろうとする者には、もう加計問題、北朝鮮、トランプ、安倍内閣等の問題でああだこうだと議論するのは控えたい。当然のことながら、こちら側でこの世を建設する者も、同じシステムの中で生きていることから、なかなか簡単に割り切れるものではないだろうが、それよりもやはりこの世づくりに知恵を出すべきではなかろうか。その方が楽しい。とにかく仲間を集めないと。私にとって、手引きしてくれる仲間を求めるのだが、各人もちろん、求めるものは違うであろうから、広範囲な仲間が集える空間ができればいい。
 その空間は、この世の、こちら側の空間であるように、あちら側のあの世の、一見すると同じような団体、集まりのように見える空間を、こちら側のそれだと再確認できる運動が展開されなければならない。
 私が考えるように、当然ながら、あちら側もそうしたこの世の側の取り組みを邪魔しよう、妨害しようとするだろう。もっとも、これは考えすぎかもしれない。何しろ、こちら側にこの世は存在していないから。私が言いたいのは、そうした試みをやらせない、無駄だと思わせる何かを、あちら側は絶えず仕掛けているということである。
 そうは言っても、加計学園問題は地元の問題だから、気になる。加計学園グループに、県の税金が使われ、その挙句、伊方原発のように、不良債権を県民がつかまされることとなることを懸念する。そうした税金をこちら側の世の中に回したいと考えている。こちら側の存在に、その必要性を感じる教育に使いたい。そのためにも、共同体としての政党づくりがどうしても必要となる。大変なことである。いまの私はとにかく呼びかけるしか手立てがない。
 私の周りでいつも同じことを聞く。そう、どうせ世の中は代えられないし、変わらないと。私は笑うしかない、失礼ながら。そりゃそうだろう。システム、その中でも覇権システムの支配下にあっり、その中で生きていく限り、システムが提供するあちら側のあの世(の中)は変わらないし、代えられない。そのとおり。私はそんなことを言うためにシステム論や民主主義論を研究し続けているのではない。あの世を変える、代える、替えるのではなく、システムの中にこちら側の、この世をつくり出そう、そう呼び掛けているのだ。それはできない相談ではないよ。そうじゃないか、読者諸君!。
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