日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

「あちら側」の「あちらの世界」と「こちら側」の「こちらの世界(3)

2017-07-14 | 社会 政治
「あちら側」の「あちらの世界」と「こちら側」の「こちらの世界(3)

 前回の記事で、私はとにかく理屈は横に置いといて、助けを求めている人の隣にまずは座りたい云々と述べたが、これも実は私には大変にきついことなのだ。「助けを求めている」と書いたがこれも本当に相手が誰の助けでも構わないと思っているかといえば、当然そうではなかろう。
 助けを求めていなくとも、もし粗末に扱われていると感じたら助けたい、というのが正確な物言いであろう。それを踏まえた上で、先の話に戻り、もう少し論じてみたい。やはり理屈は大事なのだ。私がこれまで社会的受苦者の集まりに出られなかったのも、彼らが依拠する理屈、理論だった。多くの運動がいわゆる普遍主義を掲げ、それを理論的根拠としているが、私の思うに、ここばらばらの多種多様の受苦者を社会的存在として連帯するのを阻んできたのはまさにその普遍主義ではなかったのか、と。
 あちら側のあちらの世界の受苦者としての社会的存在とするのではなくて、こちら側のこちらの世界の受苦者としての社会的存在として、その連帯に導くことがこれまで実現できなかったのは、理屈が悪かったからではあるまいか。
 もちろん、中途障碍者としての私はもうそんなことに以前ほど拘泥はしないし、できないのだが、それでも運動が長期間にわたり継続するためには理論的シンボルが必要だ。私はそれを従来の普遍主義に替えて、「バリア・フリー党」に体現される共同体思想を提唱したいのである。個や個の確立を前提にするのではなく、バリアのない共同体とその確立こそをまずは目指すべき第1目標と考える。

 これだけでもおそらく大きな抵抗、反対の嵐に直面することは必至だろう。とくに私の経験からすると、いわゆる護憲派や第9条論者は、彼らの信奉する普遍主義が覇権システムと何ら矛盾しないことに、まったくと言ってよいほどに鈍感であり、システムと向き合えないのであることを理解できないままである。
 彼ら革新陣営を担う人たちの理論では受苦者としての原発労働者の人権を生活を守ることはできない。いわゆる市民革命とその普遍的人権は、「文明ー半開ー野蛮」の関係を前提として実現したものであり、その関係を維持し続けたのである。社会的受苦者としての存在に呼応する「野蛮」の抱える苦しみや悲しみを理解するのはとても無理な相談だったのだ。

ここで唐突であるが、私のモデルのAを文明、健常者として、Bを半開、障碍者として、Cを野蛮、原発労働者とするとき、健常者の人権→(×)障碍者の人権→×原発労働者の人権という関係が描かれている。共時態の関係モデル。逆は省略。こうした人権の関係を基にして近代社会は作られ、近代憲法は、普遍主義はつくられてきた。

 護憲を訴えるたびに、近代的人権を基に第9条を叫ぶたびに、こうした関係を守ろうといっているのだ。こうした原発労働者と健常者が、いや障害者がどうして連帯なんかできようか。できるはずがない。無数にこうした関係が社会に張り巡らされているのだ。健常者、障碍者、原発労働者の関係も、システムが歴史的にどの段階にあるか、当該者がシステムのどの位置に配置されているかで、別の問題では、他の国との関係では、この人権の構図は変わらざるを得なくなる。
 上述した点に付言すれば、いわゆる「健常者」とか「障碍者」とかの言い方を私たちは何気なく使うのだが、システムの中でシステム人として両者を見るとき、健常者でも、システム人として、どうにも解決できない政治的、経済的、社会的、文化的バリアに苦しむ者も多数存在している一方で、逆に障碍者としての存在ではあれ、システム人としては非常に恵まれた境遇に位置し、障碍者としての意識を、いい意味でも悪い意味でも、健常者が直面しているバリアを感じていない人々もたくさんいる。

 いずれにしても、バリア・フリー党なんて夢の夢なのだ、しかし、その夢を求めていかない限り、こうした人権の問題点もわからないままで、あちら側のあちらの世界に多くの者が閉じ込められたままで身動きできないままに終わっていくのもまた確かではあるまいか。

 以前の私はそうしたことをすぐさま想像しただけで、もう彼らと連携した運動に参加するやる気をなくしていたが、今はそんなことを言っておれない。とにかく運動にかかわりながら、時間をかけて自分の考えを広めていくことしかないのだ。確かに私のシステム論や民主主義論、普遍主義論は、前回も指摘したような不作為を結果的に醸し出すような印象を読者に与えかねないのも事実だが、それも関わらず、こちら側のこちらの世界の理屈というか理論を構想する際に大いに参考、参照できる物差し、指針を提供している、と厚かましいながらも確信している。

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