日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

「あちら側」の「あちらの世界」と「こちら側」の「こちらの世界(2)

2017-07-13 | 社会 政治
「あちら側」の「あちらの世界」と「こちら側」の「こちらの世界(2)

 しばらくはこうした区分けのもとに、思考の訓練をしていきたい。私の記事に目を通してくれている読者ならば、障碍者とか社会的弱者と呼ばれている人たちはあたかも「善人」たる存在であると私が語ってるとは考えていないと思うが、それはそうだ。世の中には社会的弱者と呼ばれている、あるいはそうした存在であると位置づけられる人たちの方が圧倒的に多数を占めている。もし彼らが善人であるならば、社会はもっと良くなっていたはずである。
 残念ながら、私も含めてほとんどの弱者と呼ばれている存在は、弱者を語りながら、いたるところで強者の振る舞いをしている。一円でも安いものを手に入れることで、そうした消費行動をとることで、中小の小売店が大型量販店に呑み込まれていくことに手を貸しているのだが、そんなことにはお構いなしだ。まさにその意味で私の指摘する「システム人」なのだ。システム人としての存在としては、障碍者も健常者もみな同じ存在である。
 社会的弱者だろうが、障碍者だろうが、システム人として、「あちら側」の「あちらの世界」を支えてきたのだ。厳しい、きつい言い方をするが、沖縄や福島の受苦者はどのような衣食住のネットワークの中にいるのか。それこそ少しでも安いものを欲しないか、アマゾンで簡単に注文しないか。私たちの周りを見たとき、私たちが言う弱者や受苦者の識別はつきがたいし、ある時は他の者に対しては弱者でありながら、ある時は別の者に対する強者の存在となっている。
 障碍者も決して一枚岩の存在ではなく、ほとんどの者は、「僕(私)が僕(私)であるために勝ち続けなきゃならない」仕組みの中にどっぷりと浸りながら、弱者を演じている、演じるように仕向けられている。見事にシステム人としての役割を担い、あちら側のあちらの世界で、お互いに差別し排除しあう関係を支えあっている。
 私が「あちら側」の「あちらの世界」と「こちら側」の「こちらの世界」という観点からシステムとシステム人を考え直してみようと思ったのは、私が運よく中途障碍者となったことから、これまで私自身気づかなかったこちら側のこちらの世界の可能性を、たとえなお意識のレベルではあるとしても、もっと語った方がいい、自問自答したらいいのではないかと思うようになったからである。
 私の悪い癖で、何かええかっこうした物言いだ。単刀直入に言えば、そうしないと、生きていけないからだ。あちら側のあちらの世界の論理だけでは生きていけない、殺されると、横断歩道を歩きながら、心底そう思ったのだ。もちろん、誰も悪意の意志をもって私を殺そうとしない。誰も何もしないで、いや何もしないままだからこそ、殺されてしまうのだ。高齢者が横断歩道を渡っている時に車にひき殺されるのはもう日常茶飯事のことだが、誰もが同じ時間にすべて全員が当事者とならないから何もしないし、誰も動かないまま。
 仕方ない、これもシステムだと、以前の私ならそう見ていた。しかしそんなこと言っておれない。自分を守るのになりふり構っておれない。動くしか、声を上げるしかない。システムを少しかじったから、その思いは人一倍となる。理屈で私は助からない。助かるには、まず誰かを助けないといけない、それだけのことだ。良心だとか、社会参加だの分かち合いだの共生社会だの、そんなものくそにもならない嘘だとわかっている。
 誤解のように付言しておく。理屈は大事だ。社会参加も分かち合いや共生社会を目指すことも大事なこと。しかしあちら側のあちらの世界の理屈(理論)や、社会的云々ではまさにへも出ないのだ。汚い表現でお許しを。 
 そんなことで助けるのではない。やるかやられるかの真逆の思想だ。そこから無理してでも、無理やりでも考えざるを得なかったし、創らざるを得なかった。あちら側のあちらの世界に対抗して、こちら側のこちらの世界という主張をしなければならなくなった。そういうことだ。システム論の私からすれば、自由、民主主義、人権、法の支配、立憲主義、平和といった普遍主義はシステムをつくり出したあちら側のあちらの世界の生き方を支える価値観に過ぎない。化け物だ。そんなものがシステムから一度はみ出した者を丁重に遇するわけがない。それはそうなんだ。

 とにかくそうした事情でなりふり構うことができない、お高く品よくなんか言っちゃおられないことから、システム人としてもっぱらあちら側のあちらの世界の生き方を前提としながら、弱者や受苦者の問題を考えるのに代えて、たとえシステム人としての存在は同じだとしても、こちらの側のこちらの世界を思案しながら弱者や受苦者の連帯の可能性、またそうした存在を自覚した者たちの共同体の建設を考えないかと、あらためて認識したのである。こんなこざかしい理屈は嫌だが、そうなる。
 もう少し簡単に言えば、あちら側のあちらの世界の生き方を順守する人たちの手引きで白杖を片手に持ち路上を進むのか。こちらの側のこちらの世界の生き方を模索する人たちの手引きで進むのか、という問題である。相手の臭いをかぎ分けろという話だ。加齢臭でも違いがあるという話。もっとわかりやすく言えば、生協かそうでないか、さらに普通の生協かそれとも有機生協かという問題である。さらに、ひょっとしたら、有機生協かまた別のものかとなる。
 今のところは、私は有機生協に従事する人たちの手引きをできれば求めたいと願うのであるが(もちろん相手方から断られるかもしれないし、新たに違うものを私が求めるかもしれないが、それを断った上でここでは話を展開している。)、おそらく生活困窮者が簡単に購入できるほど安くはない、高いのだ。それは仕方がない。いや、偉そうに口ではこちらがどうのこうのとほざいていながら、身体中があちら側のあちらの世界に染まっている私はそう見るかもしれないが、こちら側のこちらの世界に生きようとする、生きてきた人たちはそのように見ないだろう。
 中途障碍者となった私は、面白いことにこの有機生協の実践に関心を抱くようになった。否が応でも手引きを求めたい私はそうなるのも当然のこととなる。私の考えるこちらの世界の生き方を既に実践している人たちは私が知らなかっただけで、これまた卑怯な物言いで、知りつつも見ないようにしてきたのだが、日本でも世界でも結構たくさんいるのかもしれない、いやかなり。思えば、私の周りには有機生協運動にかかわる知人がいたのに、頭でっかちの私はこれまで積極的にかかわらなかったのだ。つくづく馬鹿に付ける薬はないなあ、と。それでもまた少し見方が広がったと喜んでいる。
 システムとしてあらゆる出来事を関係づけて世界を見る、考えるのはそれなりに体系的思考を練り上げるのには有益だが、いつの間にかその論者を傍観者としてしまい、いざシステム内の問題を自らが背負うはめに追い込まれた時に、どうせシステムだからと、まるでシステム内にはあちら側のあちらの世界しか存在しないかのように理解してしまい、こちら側の意こちらの世界を模索して戦っている、苦闘している存在を認めたとしても、結局のところ、彼らの営みをシステム内のあちら側のあちらの世界の運動に埋没するものとしか評価しない、つまり反システム運動の有効な受け皿にはなりえないとしか評価しない誤りを犯す蓋然性が高くなるのである。
 それゆえ、私のシステム論はこうした見方があまりにも強すぎたと、猛省している。たとえ、時間の経過とともにそうした営みが消滅したとしても、その営みをシステム運動を補完、補強するものともっぱら捉えるのも、視野狭窄のそしりをまぬかれないだろう。中途障碍者となって、やっと私のこれまでの研究の問題点が見えてきたのは幸いであった。

 もっとも、念のために言えば、私が理解しずらい運動も確かにたくさんある。護憲を説きながら、原発に反対しているのは、私には理解できないし、原発労働者の人権を近代憲法が保障する人権では守れないのだ。私のシステム論は、それを基にした民主主義論、普遍主義論は確かにこうした問題を鋭く批判するのには有益なのだが(すなわち、良心的な仮面をかぶりながらあちら側のあちらの世界の御用学者、御用知識人、論者、運動家をかぎ分ける目を提供するが)、私のシステム論は、上述したような問題点も含み持つ。都合のいい言い訳を提供する。私のここまでの人生が身をもって証明している。
 
 私は、たとえシステムがどうだこうだと言ってみても、なりふり構えない、理屈なんか言っちゃおれない、自ら声上げて、動かないと誰も助けてくれないし、誰も私の存在してることなんかわからない、そのために私と同じような助けの必要な、助けてほしいとの声を自らあげれない人にも手を差し伸べないと、自分も手を差し出してもらえない、と話した。だから沖縄や福島の人が助けを求めていたら、まずは理屈抜きでその横に座りたいと。
 米軍基地や原発問題に関して、彼らと多分に見解を異にしていると私は考えるが、それはそうだとしても、私も助けを、手引を求めているから、あちら側のあちらの世界から虫けらのようにいじめられている、虐げられている彼らを、たとえ理屈はどうであれ、ひとまずは傍観者としてふるまうことはできないのだ。ただそれだけのことだ。
 なんのことはない。私も虫けらのように扱われている。同時に、私も誰かをそう扱ってきた。中途障碍者となって、それ以前においても、そうだったのになぜ自覚できなかったのか、本当に情けないのだ。 
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