諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

平将門公の恨みを晴らしたのは源義経!? その3

2016年09月18日 12時13分18秒 | 伝説

続きます。

さて、もう一人平将門公の恨みを晴らせと源義経に命令したと思われる人物がいます。義経の母親の常盤御前です。何故そう思うかと言うと殆ど何となくなのですが、「常盤」と言う名前に引っかかるのです。

「常盤」の意味の一つは常緑樹です。英語で言うとエバーグリーンですかね。これは関係ないです。

次に「常に磐」、つまり「永久に変わらず磐」。「永久に変わらない」を意味します。これは「永久に将門公の恨みを忘れない」と言う感じですね。何時までも美しい女性だったから常盤なのかも知れないですけど。

そして最後ですが、常盤は「茨城県全体」と私の故郷である「いわき市」を含む福島県の太平洋側を言うのです。つまり平将門公のホームグランドと言うが、関わりがあった地の名が常盤なのです。これは偶然でしょうかねぇー。

福島県の田村郡には常盤城があります。熊谷氏が1200年代に築城されたようですが、その後赤松氏が城主となり常盤氏を称したそうです。何時の時代から常盤と言う地名だったのでしょう。ちょっとネット検索した程度では判りません。どうなのでしょ。常盤御前の故郷なのか。

常盤氏で検索すると鎌倉から出た氏族だそうです。っと言う事は関東から出た訳です。その血筋が茨城、岩城に流れて行ったのか。

そしてその源流は桓武平氏に遡れます。平将門と同じ血筋です。これは偶然とは思えないです。

常盤御前は義経の父である源義朝の側室です。義朝が敗れ一族が捕らえられます。常盤御前は母親が平家に捕まり拷問を受けていると聞いて三人の息子と共に平清盛の前に投降。

清盛は常盤御前の美しさからか以前より好意を持っていたことから常盤御前に対し自分の妾になり、義経ら三人の息子を僧籍に入れる事を条件に命を保障したのです。常盤御前としては息子らを助けるとは言え、敵の妾になった訳ですから清盛に対し恨みを持って当然だと思いますね。

平清盛としては常盤氏も同族となります。そして敗者の正室・側室を娶るのは敗者側の反乱を防ぐ上でも有効だから妾にしたと思いますが、屈辱ではある筈です。それプラス将門公の恨みを晴らしたいと思っていたとしたら・・・・・・。

源義経は源氏統領の息子。僧籍に入るのを良しとせず、平家の目を潜り奥州藤原氏の下に庇護を求めて逃亡しています。僧籍に入るのを拒否し武士として生きたいと思ったので。

それが将門公の恨みを晴らす為に敵である平家を逃れ、もう1人の敵である藤原秀衡への元へスパイする為に行ったのであるなら・・・・・・・。

平家滅亡は結果的に源頼朝・義経兄弟によって達成してます。そして奥州藤原氏は義経を言い訳にされ滅ぼされています。その計画がばれたから義経は藤原秦衡に裏切られ殺されたのではないか。これは想像でしかありませんけど・・・・・・・・・。

そして平将門公の仇である平清盛の血筋と奥州藤原氏が滅んだ後、源氏も滅んでしまった。これはどう言う事なのか。

呪いで考えるのであれば源氏も平家も弁才天を通して呪い合戦をしていた訳です。弁才天の呪いで滅亡したとなります。しかしそれが人為的なものであるとしたら・・・・・・・・・・、

 

続く。

 

 

 

 

 

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4 コメント

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凄い! (りひと)
2016-09-19 10:37:53
常盤御前怪しいですよね!
常盤って字もなるほどです。
落葉樹との違いも、イワのけいとうも、鎌倉とは。

繰り返しですから、いい加減リセットしていい時ですよね。無駄戦いです。
この呪い合戦なければ今、日本すごいことになっていたでしょうね。

松+平のまつだいらさんが源氏の理由も松のせい?平氏でいいんじゃないのかな?
源氏も平氏も今子孫は残ってるのですから大きな器の子孫が仲良く地方イベントとかやったら呪い消えませんかねえ?
毎度素人の甘い考えですけど、散った方もくりかえされるのはたまったもんじゃないはず、かわいい子孫に被害がおよぶんですから。7746

戦いや呪いで相手にマイナスを及ぼすと正負の法則で自分もマイナス、国家としては停滞以上のダメージ。
それぞれの特性活かして協力すれば、築地(平?)と豊洲(源?)も両方発展しかねないのにとおもいます。築豊市場と改名して欲しいなあ。場所は安全第一ですけど。
こじつけですけど・・・・。 (綱永井寵生)
2016-09-21 19:25:14
りひとさんへ

徳川家康は源氏を主張していますが、詳細は不明です。源頼朝の生き方を参考にしていたのは間違いないようです。

祟りは霊的なものですが呪いは人も起こせます。毛利も270年前の恨みを忘れなかったわけですが、平家でも徳川の永井氏は徳川幕府最後の永井尚志まで徳川を見捨てず、親戚となる長州藩との対話を続けていたそうです。無駄でしたが。

恨みや呪いの連鎖の消滅は途方も無い時間がかかると思います。それまでは互いに負を受ける。これは間違いないようです。
家康って (りひと)
2017-08-15 18:08:14
最近思うんですけど、鴨系じゃないかなあと思ってます。なので源氏の背後の青にも平氏の背後のちょい赤でもどっちにも立ち回れる。ただ両方を揉めさせたいだけの赤たちからは狙われる存在だとも思います。で家康や徳川の名前を利用出来たらどんな事もスムーズなので怖い赤の方々は今でも利用していると思います。

で私のワークの中での双子探しでも思うんですけど双子産めるのもひょっとしたら鴨系なのか?とも。なので今気になっているのがヤマトタケルさんです。お母さんは鴨系?なのかお父さんが鴨系なのか?いや、現世のウォッチなら母が鴨のちょい赤で名字は青系のお父さんかとも。

なので家康は源氏のお父さんで鴨のお母さんだとどっちでも可能にも思いますね。
織田信長は赤っぽい男に感じますのでお父さんはどうはかな?
松平さんは相当知識もありますので巫覡気質と色々な知識とで考えるとカモさんっぽく感じますね。5573 歴史は捩じ曲げる事が出来ちゃうので結構騙されますけど縁は裏切りませんから、それぞれが個人の判断で神社との相性や今住んでいる土地との縁でみんな分かるようになるといいですね。持って生まれた才能と使命をどんどん未来に生かして欲しいですね。
トクホンチールの徳本。 (綱永井寵生)
2017-08-18 00:18:06
りひとさんへ

武田信玄や父・信虎の待医に甲斐の徳本・医聖・十六文先生と呼ばれていた永田徳本がいます。何時も牛の背に揺られながら移動していた様です。118歳まで生きたと言われてます。

この永田徳本は家康の秘書的役割を果たしていた永井伝八郎直勝の叔父とされています。
出羽で修験道の修行していたとも言われていますが、そこから会津の南光坊天海を徳川に連れてきたのではないかと考えています。
現に医術を教えてくれと言って来た林羅山を徳川に紹介したのも徳本。武田家と接点があるのも徳本です。

私は天海や林羅山以上に徳本と直勝が徳川を創ったと身贔屓ですが考えています。辻褄が合いますので。

因みにトクホンチールを作っていた「トクホン製薬」のトクホンは永田徳本から名付けられています。笑っちゃいますが。

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