諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

仏教では救われない人達。その1

2017年05月16日 02時55分25秒 | 神道

今回のお題、書こうか書くまいか悩んでいました。仏教徒の皆さんの怒りを買うのではないかと思って。

私も仏教徒です。浄土宗です。でも平家に軽蔑されている家系です。源氏にも忌み嫌われている。平家にも源氏にも殺されたとの説がある。どうなっているでしょう、私の家系。

浄土宗の東のメッカである定義如来西方寺の設立者・平貞能には、間違いなく嫌われているはずです。平貞能はわが家系の者を特に毛嫌いしていた平重盛の重臣でしたから。

このまま浄土宗で良いのか。親父は浄土宗のお寺に墓を買っちゃったけど。墓の下でも浄土宗の死者達に非難されたりするかも。死んでからもそんな悩みがあったら、たまったもんじゃ無い。死んでからは無になりたいなぁー。

あーあっ、平家も源氏も嫌だなぁー私。私が何をしたと言うのだ。でも反対の立場なら、私もその家系の者を恨み続けるのかも。それが自分の弱さであり、怖さでもある。まだ良く判っていませんけど。

まっ、それは置いときます。

前回、「瀬織津姫は日本オリジナルの女神である事を証明する」と題して記事を書きました。その過程で今回のお題を思い付きました。

否、思い付いたと言うより思い悩んでいたと言った方が正解です。私は直ぐに思い悩む性質なので。

今回はその私の仏教に対する疑問点を書きたいと思います。

以前、「神道と仏教。瀬戸内寂聴さんの"殺したがるバカどもと戦って"発言に想う」と題して書きましたが、気が付きました、私。仏教では救われない人達がいる事を。そして瀬戸内寂聴さんの発言は仏教そのものである事。仏教徒ならそう発言しなくてはいけない事も。

その後、寂聴さんは「バカは私」とか言ったので、もしかしたら発言を撤回したのかも知れませんが、「死刑反対」との発言に対してまた書きたいと思います。仏教に対する疑問点を。

私は仏教に付いてよく判りません。私の考えを否定する人がいるのなら、そのご意見を是非聞きたいと思います。

さて、瀬戸内寂聴さんが「殺したがるバカと戦って」と発言したのは、死刑論者を指していると思います。

何故、瀬戸内さんがその発言をしたのか。それは瀬戸内さんが地蔵菩薩の心境になったからだと推察します。地蔵菩薩は地獄の亡者をその魂に関係なく手助けする存在です。どんなに救われない根っからの悪人でも、地蔵菩薩は救いの手を差し延べるのです。

つまり瀬戸内さんは仏教者として当然の発言をした訳です。私は謝る必要はないと考えます。

でも、それでは救われない者がいる。それは被害者を愛していた肉親や家族達です。

死刑囚であるなら、最低一人以上人を殺した者でしょう。その死刑囚の罪を軽減して死刑を無くしたのなら、被害者の御霊やその家族の心はどうやって救うのでしょうか。

愛する者が殺された。その家族は死ぬまで生き地獄です。その家族を地蔵菩薩はどう考えるのか。仏教者はどう思っているのか。地蔵菩薩は生き地獄で苦しむ者の敵に回るのか。罪ある者を許して、罪なき者は見捨てるのか。

私は思います。仏教は矛盾していると。

愛する者を殺された方々を、生き地獄から少しでも救うには復讐するしか有りません。

十分では無いですが、司法がその役割を果たしている。その司法が死刑を廃止したら、殺された者、殺された者の家族は永遠に苦しまなければならない。その事を仏教はどう考えるのでしょう。

最近、女性の親指を切断する事件、男性の局部を切断する事件が起きました。犯人は捕まるのを承知の上で犯行に及びました。何故なら刑が軽いからです。どちらも5年足らずで刑務所から出られる。恨みが晴らせるならその程度は軽い。だったらやるべし。そう考える者が出る。

これは司法でも平和が保てない事を意味してます。もっと厳罰に処さなければ、人々の平和な生活は保てない時代が到来しています。

私は殺された者の肉親も裁判員に入れるべきだと考えます。生き地獄を少しでも緩和させる為に。敵を討たせるために。

出来れば人を一人でも殺意があって殺したのなら死刑にするべきです。殺意を持って怪我をさせたのなら、懲役期間も今の数倍以上に伸ばすべきです。怪我をした者は死ぬまで痛みと戦わなければならないので。

フィリピンのドゥテルテ大統領が就任し、厳罰を持って犯罪に対応したら平和になった様ですが、同じにしろとまでは言いませんが、もっと日本も厳罰にすべき。犯罪を犯しても得だと思う者が出ない様にすべきです。

そこでふと思いました。私は人殺しの家系である事を。「親の因果が子に報い」。先祖が人を殺した。殺された者が殺した者の子孫を殺そうとする。害しようとする。これは間違いなくある。

私はその者に対して罪を犯していない。殺していない。理不尽だと思いますが、殺された者は恨みを晴らしたい。子孫にその恨みが向う。これはしょうがない事なのか。

神社のお祭りは、殺して祀った神様のご機嫌を治して貰うために催す部分もあります。それですむのでしたら私もそうしたい。いい加減、恨みを浄化して欲しい。

これが反対の立場なら私は浄化はしないし、出来ないのかも知れない。

これは難しいです。

 

続く。

 

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