ヘビーブロガーへの道

No Pain No Gain

澤が合宿辞退  けが全治3週間

2012-02-09 00:06:23 | Weblog
なでしこの戦いぶりを見て、多くの日本人が強い「絆」と「諦めない心」を感じ、

勇気と希望、元気をもらった。キャプテンの澤から「苦しい時は私の背中を見なさい」

と鼓舞された選手たちが、澤の姿から学び取ったものが結実した結果だった。


澤はW杯直後、快挙に浮かれ立つ報道陣を前に、「この勝利には、たくさんの積み重ね

があるんです。その経験があったからこそ、今がある。」と毅然として言った。


彼女の人生は順風ではなく、いじめや女子サッカーへの偏見等の苦闘のなかでの勝利だったのだ。



6歳の時にはじめてボールを蹴った。

週5日練習、週末は試合。家に帰っても薄暗い外でボールを蹴って練習した。

「女のくせにサッカーをやるなんて」と対戦相手の男の子に言われた。

夏の「全日本少年サッカー大会」への出場は、主催者側から「少年大会」と銘打っている

以上、女の子は出場できないと拒否された。

中学に進学と同時に、当時の読売SCベレーザに所属。

居残り練習を繰り返し、出来なかったことは出来るまでやり切った。

15歳で日本代表に選出。




ベレーザからプロ契約廃止を通達される。

大学に残って教師を目指すか、アマチュアとしてサッカーを続けるか。悩んだ末に、

澤は20歳で米国に移籍。

現地では連邦政府の職員と恋をした。結婚を約束したものの、女子サッカーの未来を背負って

プレーをしてきただけに、ブルーのユニフォームを着ない自分は想像できなかった。

「今、サッカーをやっていることが凄く心地いいんです。だから結婚はあのときじゃなかったと

今になって改めて思いますね。」


帰国後は、日テレベレーザに再入団。

2011年、INAC神戸レオネッサへ移籍。



「あれだけ完璧な選手は男子を含め、この10年くらい見たことが無い」と言うサッカー関係者もいる。


米国のスンダーゲ代表監督も「彼女は、すべてにわたって完璧な選手」と賞賛した。



澤は毅然として言った。


「ロンドン五輪で金メダルを獲るまで、私たちは心の手綱を緩めるつもりはありません」







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ジャンル:
スポーツ
キーワード
女子サッカー ロンドン五輪 全日本少年サッカー大会
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