3月1日(THU)
広島市安芸区から広島市南区までの国道2号バイパスを広島市立広島工業高等学校めざしハンドルを握った。
毎年の事なのに今日はなんだか気分が違う。
何故だろう・・・。
気力・体力はまだまだ大丈夫と思っているが、昨年 還暦を迎えて以来何かにつけ、
少しづつ気持ちが変わりつつある自分が居る事に ふと我に返ることがある。
42年前、公務員だった今は亡き父親を軽トラックの助手席に乗せて、
学ラン姿で このバイパスを通り市工卒業式の校門をくぐった当時の
自分を思い出しながら、今日はハンドルを握っていた。
親父はどんな思いで助手席に乗っていたのだろうか?・・・・・。
息子の晴れの卒業式と自営業のスタートの日。
そんなこと、今まで一度も思ったこともなかった。
高校卒業後の人生は仕事一番と、とにかく走りに走り突っ走ってきた。 1970年代。
日本の高度成長期の中で若造が始めた極小の事業だ。
お前は自営業だから転勤もないし住所が変わらないのでクラスの同級生と同窓会とのパイプ役を・・・・・。
と卒業当時頼まれたのがきっかけだった。
あれから42年。
今は、数名のクラスメイトと年賀状を取り交わすだけで同窓会の案内を出しても集まらなくなった。
みんな元気かな~?
そんな縁で毎年、広島市立広島工業高等学校の行事の度に顔を出させて頂く 。
今日の 広島市立広島工業高等学校
42年前の今日。 1970年3月1日、この日が僕の創業日。
インディペンデンス・デイ。
独立記念日だ。
高校を卒業して18歳で独立。
当時、仕事の経験と言えば高校3年の時、半年間のアルバイトで現場見習いをしただけだった。
卒業して仕事をしながら2年間、夜間の職業訓練に通い、2級ガラス施工技能士を取得して、1級ガラス施工技能士、
広島県職業訓練指導員、単1級バルコニー施工技能士、2級建築士などetc
必要に応じた建築関連の資格をいろいろと取得してきた。
そして1988年、以前から興味を持っていた丸太組工法ログハウスのログ材を初めて手にした。
国産杉のマシンカット材だ。 折りしも昭和期最後の10ヶ月前だった。
それから ノーム事業部 Gnome が現在へと続く 。
本日、晴れて広島市立広島工業高等学校を卒業した卒業証書番号18603号から始まった
256名の後輩諸君にも 256 とおり の人生がある。
今日から君たちが迎える様々な人生の壁に立ち止まった時、
母校正門に刻まれた校訓 自主・敬愛・勤労 を思い出して欲しい。
君たち後輩、若い工業スペシャリストが東日本大震災や今後の日本経済復興に手腕を発揮してくれる事を願って
今日の日を祝おう。
卒業おめでとう!
6年前に他界された電気科担任 “I 先生” 。 感謝は年毎に増すばかりです。
その時分かる有り難味と時と共に沸いてくる有り難味ってあるんですね。
「今日もお疲れ様!」
じゃ Mr.Gnome
広島・山口・島根 薪ストーブ施工歴20年の実績で安全・快適をアドバイスします。
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