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三田の街に縄文人の息吹?

2016年10月18日 12時35分20秒 | 地域
  住んでみたい街ランキングで、常に上位にあがる地として知られている「東京都港区」・・。
  その都会的なイメージとは対照的に、縄文時代に暮らした人たちの息吹を感じられる場所がある
 左の地図の通り、都営地下鉄浅草線泉岳寺駅から5分ほどの
 伊皿子坂周辺には、かつて貝塚があったんだそうです。
 私も現役の終盤近くに、ここからチョッとだけ離れた場所に
 勤務していたこともあり訪ねたことがある。
 当時は特には興味があったわけではなく社の仲間が聞いた!
 という情報をもとに、マンションや店舗などが立ち並ぶ街を目的も
 なくブラブラと歩きながら、この縄文人の暮らしを見てみない?
 と不謹慎のまま行った見たものです・・。

   「伊皿子貝塚」は、1978年から1年半かけた発掘調査で全容が明らかになったものです。
   その時点で残っていた面積は約350平方㍍、貝層の厚みは最大で1.8㍍といわれています
   周辺はかつて遠浅の穏やかな海で、伊皿子坂のあたりは泥質の干潟が広がっていたそうだ。
   貝塚と一緒に発見された土器の種類などから、縄文人はこの地で約4700年くらいの間、
   暮らしていた?と考えられているんだそうです。 

   貝塚とはいわば、縄文人が生活を営むうえでつくった「ゴミ捨て場」なんだそうです
   貝塚があった場所には残念ながらビルが建ってしまっているが、伊皿子坂近くの「三田台公園」
    には貝塚の断面の一部が保存されています。 。
             
            貝塚の断面            縄文時代の住居
     さらに伊皿子坂から徒歩15分くらいの所にある「港区郷土資料館」には、横幅16㍍にも
      及ぶ巨大な貝塚の断面が展示されています。この大きさの展示は全国でも珍しいそうです。
     貝塚の断面を観察すると様々な形の貝類が大量に重なり、貝層ができているのがわかります
     発掘調査では、現在も食用となっているマガキやハイガキ、ハマグリなど82種類もの貝類
      が出てきたそうで、食用になったのはそのうち約10種類とみられているんだとか?
     種類の多さは日本有数で、当時の東京湾の豊かさを物語っているようです・・

     貝塚からは、縄文人の知恵も伝わってくるそうだ。
      例えば、貝の大きさ。  
       ○ハイガイの大きさを調べたところ、3~4㌢のものが最も多く、2㌢以下の貝は
        見当たらなかったそうで、種の保存のため、むやみに貝をとることはなくこれから
         成長する小さな貝は海に戻していたのではないかと推測できると・・。
       ○季節によって採取する貝を見極めていた可能性もあるようだとも・・?
        二枚貝の表面にある成長線と呼ばれる筋を調べてみると、ハイガイは晩春から初夏に
         かけて採取されていたことが分かったそうです。
     貝層には黒っぽく見える部分があり、これは炭で、縄文後期、人々が貝を加工していた?
      可能性があるという。大量の貝のむき身を作り、他の生産物と交換していたのかも・・?
      実際に貝塚では、この付近ではとれない石で作った弓矢の先が出てきているんだそうです。

     貝塚を見つめると、厳しい自然の中で生きる人たちの知恵や豊富な知識が見えてくると思う
     この地で縄文時代から続いてきた人々の暮らしを想像することは、
        現代の生活を振り返るきっかけにもなると思いますョ・・いかがでしょうか・・!
    
  
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