仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

小川の辺

2018年04月11日 | ムービー
『小川の辺』(2011年/篠原哲雄監督)を見た。
物語は、「海坂藩。家老・助川権之丞(笹野高史)に呼び出された戌井朔之助(東山紀之)は、藩主と主治医・鹿沢尭白(西岡徳馬)が進めていた農政改革に異議を唱えたあと脱藩した佐久間森衛(片岡愛之助)を討伐せよとの藩命を下された。佐久間の妻は朔之助の実妹・田鶴(菊地凛子)。場合によっては剣の使い手である妹も斬らねばならないことにもなりかねないことから、朔之助は一度は断りを入れるものの、やはり断り切れない。心配する妻・幾久(尾野真千子)、父・忠左衛門(藤竜也)、母・以瀬(松原智恵子)を家に残し、同行を願って出た奉公人の新蔵(勝地涼)を供として、翌朝、江戸へと向かうのだったが・・・」という内容。
佐久間という男はどうにも真っ直ぐ過ぎる性格のようで、それをよく知る朔之助は、「いくら民百姓のためとはいえ、他にやりようがあったのではないか」と嘆き、ゆっくりと歩き始める。
いずれその時がやってくると分かっているのではあるが、可能な限りその時を遅らせたいというのは当然の思いだろう。
戌井朔之助と佐久間森衛の剣術の腕前はほぼ互角。
かつて行われた御前試合では、突然の雨のため、一勝一敗のまま終わってしまったのだが、このような決着のつけ方になってしまったのはお互いに残念だったことだろう。
原作は、藤沢周平(1927年~1997年)の同名短編小説だが、海坂藩が舞台の小説ばかりを収めた『海坂藩大全』(上・下)というのがあるのだそうで、『小川の辺』は、その上巻に収録されているようである。
やはり、"海坂藩もの"は面白い。
(^_^)

私は貝になりたい

2017年04月13日 | ムービー
『私は貝になりたい』(2008年/福澤克雄監督)を見た。
物語は、「高知の小さな町で、清水理髪店を営む清水豊松(中居正広)と妻・房江(仲間由紀恵)は、かつて駆け落ち同然で新しい生活を始めた2人だった。太平洋戦争の戦局が激しさを増し、庶民の日常生活もいよいよ厳しくなってきた昭和19(1944)年、ついに豊松にも召集令状が届く。配属先は矢野中将(石坂浩二)率いる本土決戦を想定した部隊で、滝田二等兵(荒川良々)とともに立石上等兵(六平直政)に目をつけられた豊松は、撃墜されたB29から脱出したアメリカ兵の"処刑"に関与することになる。"一番たるんでいる奴にやらせろ!!"という上官の命令で立石上等兵は滝田二等兵と清水二等兵を指名したのだが・・・」という内容。
召集令状を配る竹内(武田鉄矢)という役場職員は、根本(西村雅彦)に「どうもあんたの顔を見ると赤紙を連想する・・・」(確かそのような台詞)と言われるのだが、こういう役目を担うことになった人にも相当な気苦労があったのだろう。
仁左衛門祖母に聞いたところによると、戦時中、仁左衛門伯父に赤紙が届いた時、近所に住んでいた役場の担当者は、「あとでお伺いしますが驚かないでください」と事前に電話をくれていたのだという。
そのおかげで覚悟する時間ができたと、感謝していた。
さて、上官から、捕虜としたアメリカ兵を銃刀で突き刺すという"処罰"を命令された豊松。
「捜索して適切な処置を」との指令本部・矢野中将の命令は、現場の日高大尉(片岡愛之助)の「2名を処罰する」との判断になり、「第3班より2名を選抜しろ」との命令で選ばれてしまった豊松らは、「立派な帝国軍人になったところをお見せしろ!!」、「突撃!!進め!!」と、息も絶え絶えのアメリカ兵に突撃する。
戦後、この"大北山事件"に関与した旧帝国軍人を裁く進駐軍のBC級戦犯の裁判で、豊松らが、「上官の命令は天皇陛下の命令である!!」と常々教え込まれていたと主張しても、アメリカ人は爆笑するだけで取り上げてくれない。
まぁ、リーダーである大統領が選挙で選ばれる"民主主義"を標榜するアメリカ人にとっては、絶対君主である天皇を頂点とした日本の組織の考え方は、理解の範囲を超えたものであったのだろう。
後半、巣鴨プリズンに収容されていた大西三郎(草彅剛)や西沢卓次(笑福亭鶴瓶)、矢野といった死刑囚の姿も描かれていたのだが、サンフランシスコ講和条約の発効が昭和27(1952)年4月28日よりも早ければ、処刑されなくても済む人達だったのだろう。
この物語は、あくまでもフィクション。
ちょっと救いのない物語だった。