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『老貴婦人の訪問』

2015年02月01日 | 舞台芸術
デュレンマット『老貴婦人の訪問』(2014年度大阪新劇団協議会プロデュース公演)

作者のデュレンマットは1921年生まれのスイスのドイツ語圏の劇作家で、1990年に亡くなっている。スイスは、御存知の通り、永世中立国だったから、ナチス・ドイツにも侵略されることはなかったのだが、おそらく、武装中立していたではすまないようなことがあったであろうことは容易に想像がつく。そうした反省にたった、あるいはそうした全体主義への恐怖感が、この作品をつくらせたであろうことも、容易に想像がつく。

この作品は、けっこう有名な作品のようで、東京でも有名な女優を老婦人役で上演されているし、ミュージカルにもなっていてヨーロッパではよく上演されているようだ。

舞台となっているギュレン、かつてはゲーテが泊まり、ブラームスが四重奏曲を作った文化都市と言われていたというから実在する町のようだ。この町はいまでは(この作品は1958年の作品)廃墟の町と化している。この町出身の大富豪がたくさんの地所や森、そして主だった製造系の会社を買い占めて、営業できないようにしてしまっているからだが、実は、誰一人として知らない。

ある日、その大富豪が帰還して大歓迎を受ける。そこでこの大富豪の貴婦人は、かつての恋人であったアルフレッドが、自分に子供を孕ませた上に、罪をきせて、娼婦にさせられ、夜逃げをしなければならない窮地に追い込んだこと、1000億をこの町に寄付するが、その条件は、このアルフレッドを正義の名において死刑にすること、と宣言する。

これを聞いた市民たちは最初、人道的立場からそんな条件は受け入れられないと拒否をするが、日々の暮らしのなかで、次々と高級な服、高価な食べ物を、掛けで買って、どんどん贅沢な暮らしをするようになる。借金はどんどん膨れ上がり、このままでは破産寸前まで来ると、ついに市民集会を開いて、アルフレッドを死刑を宣告する。そして彼は死刑にされるが、表向きは心不全で死んだことにされる。

これは明らかに、正義の名において、国民が狂気に駆り立てられていったナチス・ドイツやソ連などの全体主義への痛烈な風刺である。今回の演出では、老貴婦人が、1000億の寄付の条件としてアルフレッドの死刑を持ちだした、しかも正義の名において死刑をするように要求したときに、およその見当はついていたが、市民集会の決議が行われたときに、演出家が、ナチス独特の右手を突き出すやり方をさせたので、はっきりした。

それはそれで面白いのだが、こういうシリアスな演劇では、先が見えてしまった途端に、興味が薄れてしまうものである。それにアルフレッドが殺されてからも、後ろの背景にヒットラーと安倍の画像をダブらせたり、原作にあるのだろうかという場面が最後に続くのは、余計だと思う。あれだけの示唆があれば、誰だって、ナチスや全体主義のアレゴリーだということは分かるわけで、そこまでしなくてもいい。

いつも劇団大阪のスタジオという狭い空間を見るのに慣れているせいか、大きなステージの芝居(吹田市文化会館メイシアター、中ホール)は、感情移入できないのが残念だ。


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