読書な日々

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『哲学する子どもたち』

2017年02月08日 | 評論
中島さおり『哲学する子どもたち』(河出書房新社、2016年)

実際にパリ近郊でフランス人との間にできた子ども二人を育てた経験をもとにして、小学校から高校卒業(バカロレア受験)までのフランスの学校教育の姿を書いた本。

いちおう小学校からバカロレア受験まで順番に書かれているが、最初だけは総論的に、フランスの中等教育でいかに哲学が重視されているかを具体的に説明しているので、そのあたりからこのタイトルができたのだと思う。

すでに私の知っていることも多く書かれていたが、さすがに実際に子どもをフランスで育て、しかも自分もフランスの大学に留学してフランス文学を学んだ経験がある人なので、そうした知見も織り交ぜて、私が知らなかったこともたくさん書かれている。

バカロレアという高卒資格にして大学入学資格を認定するための国家試験を最終目標にして中学から高校の教育が作られているという話がここでも強調されているが、この著者も書いているように、試験のための勉強というと日本では小手先の勉強という意味になってしまうが、バカロレアがどんな学力を求めているか―つまり自分の頭で考えて、相手に自分の考えが伝わるように、論理的に思考を組み立てて表現するという学力―を考えるならば、決して小手先の勉強のようなものではないことが分かる。

こういう思考方法、論述方法の確立がすべての教科で求められるので、すべてのセクションに課される哲学という科目だけでなく、他の科目でもそうした方法を用いた論述試験になっていること、それとこの本ではあまり強調されていなかったが、同じことを口頭試験で発表することが最終目標だとすれば、それは自立した個人を形成するという国家の教育目的にかなったことだと思う。

この点で日本の教育はまったく的外れであるというか、ものを考えないが、言われたことは熱心にやるだけのスキルを持っている、いわば資本の側の要求に沿った人間、というよりもロボットのような労働者の養成に特化されていると言ってもいいだろう。

ただ信じられないようなシステムや教育方法が当たり前のように行われている部分もあり、この著者も書いているように大枠でのフランスの教育システムに日本の算数の教育方法のようないいところを折衷したら本当にいい教育システムができるのになと思う。

彼我の違いを知るだけでも日本の教育を相対化してみるにはいいことではないかと思う。

中学校で成績会議なるものがあり、そこに各クラスの生徒代表が出てきて、あれこれ口を挟むという、日本では信じられないようなシステムについては、こちらでも触れている。こちら

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