新田慎次郎ブログ

あれこれ、思うところを。

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龍との対話 70

2016-10-31 | 龍との対話
「自分の価値観と世間の価値観を入れ替えるから不幸になるのであって、
自分の価値観を持ちながら、世間の価値観も受け入れるというのが協調である」

という龍の言葉は確かにもっともだと思う。
だが、これがなかなか難しい。


私:昨日、少し変化を感じました。

「どんな変化だ?」

私:やはり私は少しだけ意地悪になったような気がしたのです。でも恐らくそれでいいのだと。
  
  いつもなら自分のことはさておき相手に合わせていました。
  周囲の空気に合わせるために自分はどうあるべきを考えて実行に移していたのが今までの私でした。
  でも昨日、一昨日あたりから、それが変りました。

  まず一昨日のこと。
  私は龍にも言われたとおりに、
  自分の価値観を持ったまま相手の価値観や世間の価値観も受け入れることを実践しました。
  するとあからさまに目の前のことがスムーズに好転しました。
  私としてもそれは喜ばしいことではあったのですが、
  何というか少し気持ち悪いような、そんな気もしました。
  「本当にそれでいいのか?私の本心、価値観は別なんだけど、
  表向き(極力本気で)違う価値観も受け入れているだけなんだよ?」
  というのが本心なのですが、周囲の流れがどんどんよくなったので驚きました。

  そして昨日は逆に、
  「周囲の価値観を受け入れながらも自分の価値観を持ち続ける」
  というような感覚が自分の中にありました。
  (意図的にそうしたのではなく自然にそうなったのです。一昨日の影響があるようです)
  すると周囲が私に気を使っているのが見えたのです。

  受け入れながらも迎合しない私に対して、
  周囲が申し訳なさそうに同調している…そんな「気」を感じました。
  まるで私が周囲の気を支配しているかのごとく流れの色が見えましたので、
  私としては何とも気まずい思いになったのです。

  今までならそうならないように自分を捨てて周囲に迎合していたのですが、
  昨日の私はなんとなくそのままでいました。
  他に言葉や態度が思いつかなかったのです。
  意図的ではないのですが自然にそういう態度しか取れなかったのです。不思議でした。
  それで少し自分が意地悪になったような気がしたのです。

「それが意地悪なのか、そうでないかは、今後のお前の生き方にて決まるのだ」

「自分を捨てて相手に合わせることが優しさであると思ってお前は今まで生きて来たな。
しかし、それが原因でお前は生き地獄を味わっていたのだ。自分を捨てる時点でそこに幸せはないのである。
物心ついてからそうする他なかった生い立ちであるが故である。
しかし、もうそんな過去のことはどうでよい。
そんなお前の性格がお前に災いをもたらしてきたのである。自業自得であると心得よ」

「昨日のお前の在り方で何の間違いもなし。
しかし、自分の価値観を変えず自分以外の価値観を否定するようになると、
お前はいよいよ本当に地獄に落ちるぞ。必ず相手を尊重しなさい」

「ここで言う尊重とは何か?そのまま触らずにそっとすればいいのである。
故にお前としては情に欠く、つまり軽薄だと感じるかも知れぬが、触らぬ神に祟りなし。
神を触ってはならぬ。人の中に神も魔もおるのだ。その神に触るでないぞ」

「だからこそ共鳴、共振する神(人)と出会えたときの喜びの大きさもお前は知っておるな。
その時はおおいに喜びなさい。ともに歓喜をあげなさい。
究極、人類は神と同根、皆が胴体であるが、それは究極。故にその人生で出会う神(人)を尊ぶのです。
お前の中も他の人と同じであるぞ。自分の中にあるものを尊みなさい。
自分を否定してはいけません。故に自己嫌悪してならないのです。
お前はお前。そして人も人。人も自分も大切にしなさい」







以上、2016.10.30に行った龍との対話です。
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