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にしき流「大往生」

2016年12月28日 | 日常(平成25年4月~)
家族の死を「大往生」として遺族に受け入れてもらうために、死ぬ本人は何ができるのでしょうか。

もちろん家族が死んだら悲しいのですが、それでも「にしきらしい最期だった」と思ってもらえるにはどうしたら良いのでしょうね。

私は死んだら終わりだと思っていました。

でも実際に親を見送ってからはそうじゃないと思うようになりました。

確かに死んだ本人は死んだ時点で終わります。

正確に言うと事故や病が原因で意識が混濁し始めたら、後はもう何も分からなくなります。

実母も癌が脳に転移してからは意思の疎通が困難になりました。

時折うわごとを言うくらいで、一日の大半は眠っていました。

最後の2週間は癌による痛みや死に対する恐怖心を感じないまま死んでいったと言い切れます。

実父はちょっと違いました。

亡くなる前日の夜まで意識がハッキリしていました。

夜中に病棟を回っていた看護師さんが息をしていないことに気付いたようです。

苦しんで逝ったのか、もしくは眠ったまま本人も気づくことなく逝ったのか、もはや確かめることはできません。

残された家族がそれぞれの想像で判断するしか術がないのです。

その際に手掛かりになってくるのが「故人との思い出」ではないでしょうか。

生前の父親はそれはもう好き勝手し放題でした。

私も振り回されたうちの一人ですので、早く死ねば良いのにと思ったことさえありました。

全くの他人であれば死に際がどうであっても気にすることはありません。

しかし血縁とは汚いもので、簡単には割り切れないのも事実です。

亡くなる数か月前から、私は週末の度に父親が入院している病院に通いました。

金曜日に仕事が終わると夜行バスに乗り高松へ向い、日曜日の夜に夜行バスで大阪まで戻るとそのまま出勤する日々が続きました。

滞在中は時間の限り父親の病室で過ごしました。

色んな話をしたのを思い出します。

中でも傑作だったのが、平日見舞いに来ていた双子の妹や、日頃世話になっている伯母の悪口でした。

「あいつらが来たらワシは寝たふりをする」

あまりの言い草に思わず吹き出すと、私を見て父親も笑っていました。

父親の中で頼りにしていたのは兄で、最も気掛かりなのは末の妹でした。

そこで私のことはどう思っているのか尋ねてみました。

「お前のことは全く心配しとらん。これからも今まで通りお前らしく生きていけばいい」

それが父親と交わした最後の言葉でした。

この言葉のお陰で私は父親がどんな最期を迎えたのか気にならずに済みました。

私の中で正しく父親は大往生だったからです。

私が死んだ後、誰の顔が浮かぶかと言えば、勿論長男と次男です。

彼らにも「オカンは大往生だったな」と思ってもらえるためにどうしたら良いのでしょうね。

一番は私が幸せだったことを知ってもらうことだと思っています。

時間はたっぷりありますので、おいおい実践していきたいですね。
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