神幸記 ~西野神社神職のみこしブログ~

◆◆◆神輿渡御奉仕記録&神輿関連情報◆◆◆
(西野神社の公式ブログではありません。公式ブログは別に開設しております)

西野神社の担ぎ神輿や子供神輿に供奉した、担ぎ手以外の人達

2014年09月28日 | 西野神社 例祭神輿渡御
今月14日に行なわれた、西野神社の担ぎ神輿や子供神輿の渡御の際、それぞれの御神輿に供奉して下さった、担ぎ賽銭箱を奉持する所役や、恵比寿様・大黒様・お獅子の各所役の方々です。
御神輿の担ぎ手のみならず、御神輿に関係する人達一同が一丸となって、神輿渡御を盛り上げて下さいました。
























平成26年 西野神社 子供神輿渡御

2014年09月26日 | 西野神社 例祭神輿渡御
今月22日23日24日の各記事では、今月14日に行われた西野神社秋まつりの神輿渡御で、西野神社の担ぎ神輿(江戸神輿)氏子区域各所を午前9時から午後4時頃まで渡御した様子を写真や動画で詳しく紹介致しましたが、当日はその担ぎ神輿の他に、子供(主に幼児~小学生まで)の担ぎ手達が担ぐ「子供神輿」も、昭和会館から西野神社まで、手稲右股通りを約1.2kmを渡御致しました。

子供神輿の発輿(昭和会館を出発する時刻)は午後3時、宮入り(御神輿が神社に還る時刻)は午後4時少し前で、子供神輿の渡御は大人達の担ぐ担ぎ神輿よりも時間や距離も大幅に短かいのですが(渡御の時間は約1時間弱程度)、しかし担ぎ手の中には3~4歳位のかなり小さなお子さんもいたので、小さなお子さん達にとっては恐らくそれなりに大変なはずで、そのため子供神輿は渡御の行程全てで御神輿を担ぐわけではなく、途中、適宜台車に載せて引くなどし、また、子供達が肩に担ぐ時も台車に載せて引く時も、どちらの場合でも、子供達の安全のため常に複数の大人が一緒に担ぎ棒を持ったり支えたりするなどして補助しました。


以下の写真は、当日の早朝、西野神社境内で撮影された、神力會の会員さん達が子供神輿を準備して下さっている様子です。この後、この子供神輿は発輿場所となる昭和会館へと移動されました。




以下の写真は全て、当日行われた子供神輿の渡御(昭和会館を発輿するところから神社に宮入りするまで)の様子です。本年も、トラブル・事故等は一切無く、無事に渡御が終了致しました。


































































































以下の動画2本は、子供神輿が手稲右股通りから神社の境内に入る時の様子と、宮入りの様子です。






子供神輿の旗頭を務めて下さった北連合会の安保さんを始め、子供神輿の渡御を補助して下さった神力會や他会の会員さん達、子供神輿に付き添って下さった父兄(子供達の保護者)の皆様方、その他関係者の皆様方、御協力戴きどうもありがとうございました。
そして、担ぎ手のお子さん達、お疲れ様でした!

平成26年 西野神社神輿渡御(その3)

2014年09月24日 | 西野神社 例祭神輿渡御
今回の記事は、前回の記事「平成26年 西野神社神輿渡御(その2)」の続きで、「平成26年 西野神社神輿渡御」は今回が完結編となります。

以下の写真20枚は、いずれも担ぎ神輿の宮入りの様子です。
午後4時頃、全順路の渡御を終えて御神輿が神社へと還御し、参道に溢れる大勢の人達の熱気に包まれる中、伶人さん達(萬燈保存会の会員さん達)が奏でるお囃子と共に、まず子供神輿の宮入りが行われ、続いて、大人達の担ぐ御神輿の宮入りが盛大・勇壮に行われました。
大多数の日本人が思い描くであろう「これぞ日本のお祭り!」というイメージを象徴するような勇壮且つ壮麗な「宮入り」が、拝殿前で華々しく展開されました。










































以下の動画2本も、この時の宮入りの様子です。
1本目の動画は、御神輿から見て左側前方より私が、2本目の動画は、御神輿から見て右側前方より松澤権禰宜が、それぞれ撮影しました。






以下の写真4枚は、一旦宮入りした御神輿を拝殿前から神輿殿内へと移動させ、神輿殿にお移した三基の各御神輿から、各御神輿の御神座に奉安されている「御」を本殿へとお遷しする、という一連の神事の際に撮られたものです。










以下の写真7枚は、この日担ぎ手として神輿渡御を御奉仕して下さった皆様方を労うため神力會の主催により境内(土俵周辺)で開催された直会の様子です。
わざわざ当社まで助勢に駆けつけて下さった他会の担ぎ手の皆様方、どうもありがとうございました!
また、今日の渡御や直会のためにいろいろと入念に準備をして下さった神力會の皆様方、どうもありがとうございました!
















秋まつりの神輿渡御は、昨年・一昨年と連続して雨に見舞われましたが、幸い本年の秋まつりは終日天候に恵まれ、西野神社の大神様の御加護の下、神輿渡御は滞り無く無事に終了致しました。
皆様方、また来年も宜しくお願い致します!

平成26年 西野神社神輿渡御(その2)

2014年09月23日 | 西野神社 例祭神輿渡御
前回の記事「平成26年 西野神社神輿渡御(その1)」の続きです。

以下の写真3枚は、平和第二会館を発輿した後に担ぎ神輿が神幸した、平和54番地にある特別養護老人ホーム五天山園で撮影されたもので、ここでは入所されている方々が、玄関前で御神輿を出迎えて下さいました。








以下の写真は、福井4丁目にある札幌東光ストア福井店の敷地内で撮影されたものです。
同店駐車場も毎年、担ぎ神輿の休憩場所 及び 本神輿の神事(駐輿祭)斎行の場所となっております。




以下の写真は、西野10条6丁目にある介護付有料老人ホーム敬老園で撮影されたものです。
ここでも、入所されている方々が、玄関前で御神輿を出迎えて下さいました。




以下の写真は、西野12条8丁目にある中州橋公園にて撮影されたものです。
ここでは、西野第三町内会の子供神輿(西野神社の子供神輿とは別の御神輿ですが、毎年秋まつり1日目の午前中にはこの御神輿に対しても西野神社で清祓を行なっております)も合流しました。




以下の写真は、西野8条8丁目にあるラッキー西野2号店の駐車場で撮影されたものです。
ここでは、トラックの荷台に固定された状態の本神輿と合流し、宮司により神事(駐輿祭)が斎行されました。




以下の写真3枚は、ラッキー西野2号店にほぼ隣接しているニッコー商会の敷地内で撮影されました。
ここでは、西野神社神力會の賄いの担当の方々により、担ぎ手の皆さん方への接待(飲食物の提供等)が行われました。








以下の写真4枚は、西野1条1丁目にある株式会社クリーンリバー当社に神輿殿を奉納して下さった会社です)の社屋前で撮影されたもので、ここでは同社の社長・役員・社員さん達に出迎えて戴き、更に飲食物等のおもてなしも受けました。どうもありがとうございます!










以下の写真6枚は、お昼の休憩場所となる、西野3条2丁目にある西野福祉会館にて撮影されたものです。
ここでは西野神社敬神婦人会の会員さん達が、担ぎ手の方々のおもてなしを担当して下さり、担ぎ手の皆さん方には同館の1階で昼食をとって戴きました。
当社神職5人のうち宮司夫妻を除く3人が、毎年交替で担ぎ神輿に供奉しており(宮司は毎年常に本神輿に供奉します)、今年は松澤権禰宜が担ぎ神輿に供奉されたため私や越川権禰宜は神社に留守番しておりましたが、時間の経過と共に段々と着崩れてくる事がある渡御奉仕者の着装(総代さん達が着ている格衣各地域代表者が着ている裃など)を直すため、私はお昼に西野福祉会館にだけは行ってきました。私が写っている写真もあるのはそのためです。
ちなみに、私と一緒に写っているのは私の中学校時代の同級生です。ここで25年ぶりの、まさかの再会でした!














以下の写真11枚はいずれも、西野福祉会館を出発してから、西野神社に到着するまでの間(手稲左股通と手稲右股通)で撮影された写真です。
なお、昭和会館からは、神幸行列に参列・奉仕した全員(宮司・総代長・副総代長・各総代さん達・各町内の代表さん達・巫女伶人や、それまでトラックに乗っていたお稚児さん達、昭和会館から発輿する子供神輿の担ぎ手の子供達など)が徒歩で神社まで参進しました。昭和会館から西野神社までの距離は約1.2kmあるので、小学校入学前のお稚児さんにとってはちょっと長かったかもしれませんが、全員ちゃんと歩ききりました。
























※「平成26年 西野神社神輿渡御(その3)」へ続きます。次は、宮入りと直会の様子を紹介致します。

平成26年 西野神社神輿渡御(その1)

2014年09月22日 | 西野神社 例祭神輿渡御
今月の13・14両日、西野神社では年間最大の行事・重儀である「秋まつり」が盛大に開催されました。
天候にも、人出にも、また多くの人々の御支援・御理解・御協力にも恵まれ、西野神社の大神様の御加護と関係者各位の御尽力の下、大盛況のうちに恙無く終える事が出来ました。



本年の西野神社秋まつりの全体の様子については、神社のブログ「西野神社 社務日誌」に於いても、3回の記事に分けてアップしておりますので(以下の各記事です)、これらの記事も是非御一読下さい。

▼ 平成26年 秋まつり 1日目
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20140919

▼ 平成26年 秋まつり 2日目(前編)
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20140921

▼ 平成26年 秋まつり 2日目(後編)
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20140922

このみこしブログ(神幸記)では、本年の西野神社秋まつりのうち、特に2日目に行なわれた担ぎ神輿(江戸神輿)の渡御に注目し、その様子を、全3回の記事に分けて紹介させて頂きます。今日のこの記事は、まず1回目です。


西野神社例祭日の今月14日、午前7時50分から約30分間、社殿にて「平成二十六年 西野神社例祭」が大祭式にて執り行われ、そして例祭終了後、直ちに渡御の準備が進められ、ほぼ定刻通り午前9時に、本神輿(京神輿)と担ぎ神輿(江戸神輿)の二基の御神輿を中心とした神幸行列が当社を出御(発輿)致しました(子供神輿の発輿は昭和会館から午後3時でした)。
御神輿は、宮入りする午後4時まで、何度かの神事や休憩を挟みながら、当社氏子区域を威勢よく勇壮に神幸し、当社の神輿会「神力會」の会員さん達を始め、札幌の市内・近郊や道内各地から助勢(遠征)に来て下さった各神輿会の方々が御神輿を担いで下さいました。

ちなみに、本神輿(こちらはトラックに荷台に固定された状態で神幸します)には毎年必ず宮司が供奉しますが、担ぎ手の皆さん方が担ぐ担ぎ神輿には、当社の職員3人(松澤権禰宜、私、越川権禰宜)のうちの一人が交替で供奉する事としており、今年は松澤権禰宜が供奉しました(昨年は越川権禰宜で、一昨年は私でした)。


以下の写真7枚は、いずれも担ぎ神輿が神社を発輿する前の様子で、6枚目の写真は、宮出しに先立って松澤権禰宜が、担ぎ神輿と担ぎ手の皆さん方をお祓いしている様子です。7枚目の写真は、西野神社神力會の前鼻会長が挨拶をされている様子です。
















以下の写真17枚は、宮出し直後の様子です。
鳥居をくぐって境内から境外へと出た御神輿は、ここからまず、平和第二会館を目指しました。




































以下の写真3枚はいずれも、平和2条8丁目にある平和第二会館前で撮影されたもので、担ぎ神輿の一隊はここで一旦本神輿と合流し、本神輿の御前で駐輿祭(宮司修祓・巫女による神楽舞奉納・地域代表者らによる玉串拝礼)が斎行された後、担ぎ神輿は本神輿の本隊とは別れて五天山園へと向いました。
ここでは、神力會の賄いの担当の方々により、担ぎ手の皆さん方への接待(飲食物の提供等)も行われました。








※「平成26年 西野神社神輿渡御(その2)」へ続きます。

いよいよ明日、西野神社の御神輿が出渡します!

2014年09月13日 | 西野神社 例祭神輿渡御
今日から、西野神社の秋まつり始まりました
秋まつりは、今日(13日)と明日(14日)の2日間に亘って行なわれ、御神輿の渡御は、明日の午前9時から午後4時にかけて(但し子供神輿は午後3時から4時まで)行なわれます。

以下の写真2枚は、神輿渡御を明日に控えた本日の午後5時45分頃に、宵宮祭に引き続き行なわれた、遷霊祭(本殿に鎮まっておられる神様の御分霊を御神輿へとお遷しする神事)の様子です。
この神事を斎行した事により、三基の各御神輿(本神輿・担ぎ神輿・子供神輿)に、西野神社の神様の御分霊が奉安されました。






以下の写真2枚は、今日の午後7時頃に撮影した、西野神社神輿殿と各御神輿の様子です。
これらの御神輿は、明日、年に一回の氏子区域内神幸(渡御)を行ないます。






御神輿に鎮まっておられる神様は、御神輿が宮入りをした後(明日の午後4時過ぎ頃)に斎行される遷霊祭で、再び本殿へと還御されます。

江別神社 夜間神輿渡御

2014年09月10日 | 平成26年 他社・他会の神輿渡御
江別市萩ケ岡(JR江別駅のすぐ近く)に鎮座する江別市の総鎮守で、天照大神様・大国主大神様・加藤清正公の三柱の神様をお祀りする江別神社では、一昨日(宵宮祭)・昨日(例祭)・今日(後日祭)の3日間に亘って、盛大に本年の秋まつりが行なわれました。
そして例年通り、秋まつり最終日の今日は、御神輿の渡御が行なわれました。

江別神社の秋まつりには、西野神社からは毎年、当社の神輿会「神力會」の会員さん達や、宮司以下神職が御神輿を担ぎに行かせて頂いており、今年は、当社からは前鼻会長・石井事務局長を始めとする神力會の会員さん達や、石井副総代長、神職達(須浪宮司私・越川権禰宜)など十数名が、御神輿の担ぎ手として江別神社へ助勢に行ってまいりました。
江別神社の神輿渡御は、今年も昼(12時半~17時まで)と夜(18時~20時半まで)の2回に分けて行われ、宮司・私・越川権禰宜などは、社務の都合により昼の渡御には奉仕に行けなかったため、夜の渡御から合流させて頂きました。


今日の夜間神輿渡御は、定刻通り午後6時から行われ、江別神社の御神輿は同神社の神輿会「江神會」の会員さん達に担がれて神社を発輿(出御)しました。
下の写真と動画はいずれも、同神社を発輿してから1回目の休憩場所となる江別市コミュニティセンターを過ぎてから、2回目の休憩場所となるハローワーク前に到着するまでの間に撮影した、渡御の様子です。
























下の写真はいずれも、2回目の休憩場所を発輿する所から3回目の休憩場所であるラーメン屋の駐車場に到着するまでの間に撮影した、渡御の様子です。
毎年感じるのですが、江別神社の神輿渡御は、皆さん本当にとても楽しそうに担いでおられます。20代くらいの若い担ぎ手の方々も、男女を問わず総じてテンションは結構高めです(笑)。
















下の写真はいずれも、御神輿が丁度3回目の休憩場所に到着したところです。
ここでは、私達担ぎ手には美味しいお焼き(アンコかクリームかを選択できました)が振る舞われ、そして、毎年恒例の餅撒きも行われました。








下の写真はいずれも、今夜の渡御でお見かけした同業者の皆さん方です。
具体的には、江別神社のU権禰宜さん、当別神社のG宮司さん、石山神社のT宮司さん、豊平神社のM禰宜さん、旭川神社のN権禰宜さん、そして、西野神社の須浪宮司・私(田頭権禰宜)・越川権禰宜が写っています。なお、これらの写真には写っておりませんが、江別神社のU宮司さんも当然、御神輿に供奉しており、また、新川皇大神社のS宮司さんも、担ぎ手の一人として助勢に来ておられました。








下の写真はいずれも、江別神社の境内で撮影した、宮入り(御神輿が江別神社へと還御する時)の様子です。
大勢の人達が溢れる賑やかな境内で、御神輿は更に勢い良く、勇壮に担がれ、予定通り午後8時半頃に無事宮入りを果たしました。宮入りに合わせて夜空に何発もの大輪の花を咲かせた花火も、とても綺麗でした。






























下の動画はいずれも、私が撮影した宮入りの様子です。
カメラのマイク部分を誤って指で押さえてしまったのか(先月カメラを買い換えたばかりでまだ使用に慣れていないのです)、音声がうまく拾えていない箇所がいくつかありますが、その点は御容赦下さい。








今回の江別神社での夜間神輿渡御も、とても充実した、楽しい御奉仕でした。個人的には、御神輿に供奉しながら歩いていた時に、同業者の方々といろいろとお話が出来たのも楽しかったです。
今日御奉仕された皆様方、お疲れ様でした!

そして、私にとっての次の神輿渡御は、いよいよ、西野神社となります。
西野神社の本年の神輿渡御は、今月14日(日曜日)の9時から16時までです。私は、西野神社では担ぎ手としてではなく、あくまもで本職(神職)としての奉仕となるため、私自身は当日西野神社の御神輿は担げませんが、それでも今から楽しみです♪

篠路神社 神輿渡御

2014年09月08日 | 平成26年 他社・他会の神輿渡御
昨日は、17時半から18時半頃まで、南区石山に鎮座する石山神社で御神輿を担いだ後、北区篠路に鎮座する篠路神社へと移動し、19時半頃から篠路でも御神輿を担いできました。
西野神社から石山神社へと担ぎ手として助勢に行った10人のうち、私を含む8人が、そのまま篠路へと移動しました。

篠路神社は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、品陀別大神(ほんだわけのおおかみ)、保食神(うけもちのかみ)、菅原道真公(すがわらみちざねこう)、大物主神(おおものぬしのかみ)、崇徳天皇(すとくてんのう)、天香山命(あめのかぐやまのみこと)の7柱をお祀りする神社です。
神社の創祀は安政年間にまで遡るそうなので、明治時代に創建された神社が大半を占める札幌市内の神社の中では、最古の神社の一社だと思います。







篠路神社例祭の神輿渡御を担ぎ手として御奉仕させて頂いたのは、私にとっては今回が初めてでしたが、なかなか楽しかったです。担ぎ手の方々もかなり沢山おりました。

石山神社 神輿渡御

2014年09月07日 | 平成26年 他社・他会の神輿渡御
今日は夕刻より、天照大御神様をお祀りする、札幌市南区石山に鎮座する同地区の鎮守・石山神社で宵宮祭が斎行されたのですが、宵宮祭終了直後の本日17時半から約1時間、同神社で軟石神輿の渡御が行われました。

石山神社の御神輿は、同神社が今年で創祀130年を迎える事を記念して、石山地区の神輿会「石粋塾」が中心となって本年製作したばかりの真新しい御神輿で、石山で採掘される凝灰岩の石材「札幌軟石」を八角錐の形状に加工したものが御神輿の中心に据えられています。その八角錐状の軟石は透明のプラスチック板で覆われているため、外部からもはっきりと視認する事が出来ます。
八角錐の内部は空洞となっていて重量の軽減が図られていますが、それでも、軟石だけで約200kgの重量があり、御神輿の総重量は約800kgもあるそうです。通常は御神輿1基につき2つ用意される馬が、3つも用意されている事からも、その重さが窺えます。





札幌軟石は、柔らかいため切り出しが容易で保温性も良い事から、かつては主要建造物の資材として広く使われ、特に明治時代から昭和初期にかけて、札幌や小樽周辺の洋風建築などに多用されました。
このような、石を載せた御神輿というのはかなり珍しいですが、軟石の採石地として発展してきた石山地区の歴史を反映して、石山神社の御神輿はこのような形になったようです。




今回、当社からは、神力會の会員さん達が5人、子供(小神力會)が1人、副総代長1人、神職3人(宮司、私、越川権禰宜)の、計10人が御神輿の担ぎ手として石山神社へ助勢に行って参りました。
神社のブログで詳述したように、今日は午前9時から西野神社の境内で禊が行われ、神力會の会員さん達を始めとする総勢20人で禊をしてきたため、私達(西野神社から助勢に行った担ぎ手達)は特に心身が祓い清められた状態で、石山神社の御神輿を担いできました。

下の写真は、神輿渡御に先立って御神輿の前で行われた神事(修祓と代表者玉串拝礼)の様子です。
氏子・崇敬者さん達に対しては今日が初お披露目となった、石山神社の軟石神輿は、この神事の後、いよいよ初めての渡御を開始します。




下の写真と動画は、宮出し直後の様子で、石粋塾を始めとする各神輿会の人達に担がれた御神輿は、まずは社殿前の参道を渡御しました。
















下の写真と動画は、社殿前から参道の石段下まで、御神輿が境内や境内横を渡御している様子です。ちなみに、今回の神輿渡御、担ぎ手は200人以上もいたそうです。












下の写真と動画は、参道の石段下で御神輿が威勢よく担がれている様子です。実際にはかなり重たい御神輿なのですが、そうは思えない程に、軽快に担がれていました。












下の写真と動画は、宮入りの様子です。参道の石段下で賑々しく担がれた御神輿は、再び社殿前へと戻ってきました。
そして、この頃から周囲も次第に暗くなり始め、夜間渡御のような雰囲気になってきました。御神輿上部に掲げられている奉納提灯や御神輿中央の軟石には電飾が組まれているため、夜でも結構映える御神輿です。


















18時半頃、御神輿は無事に宮入りをし、石山神社にとっては第1回となった本年の神輿渡御は、成功裏に終了しました。
下の写真は、宮入りの後、石山神社の宮司さんを囲んで、社殿前で撮らせて頂いた写真です。




今回も、とても楽しく有意義な神輿渡御でした。
今日奉仕された皆様方、お疲れ様でした!

新十津川神社 神輿渡御

2014年09月05日 | 平成26年 他社・他会の神輿渡御
昨日は、國常立尊(くにのとこたちのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冊尊(いざなみのみこと)、天照大神(あまてらすおおかみ)、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと=神武天皇)の5柱の御祭神をお祀りする、空知管内の新十津川町(西野神社からだと車で約2時間の距離)に鎮座する新十津川神社で、「新十津川神輿会 玉置」の主管により、同神社例祭に伴う御神輿の渡御が行なわれました。

今回、当社からは、神力會の会員さん2人と私の計3人が、御神輿の担ぎ手として、新十津川神社御神輿の夜間渡御の助勢に行って参りました。
新十津川に着いたのは18時頃で、19時45分頃には札幌への帰途に就いたので、私達3人が実際に御神輿を担いだのは1時間半~2時間程度でしたが、昨日は全道的に雨天で、札幌も新十津川もほぼ一日中ずっと雨だったため、久々にずぶ濡れになりながら御神輿を担いできました(笑)。












御神輿は、露店などが出店されている新十津川町役場前にも駐輿し、私達担ぎ手はそこで少し休憩しました。下の写真と動画は、いずれも新十津川町役場の前で撮ったものです。







この動画では、途中から画面中央に白っぽい円形の模様が現れますが、これは、撮影したカメラのレンズに付いた水滴です。ずっと雨でしたから。




ちなみに、新十津川町の町名の由来は、奈良県の十津川村から集団移住した人達が町を拓いた事に因ります。
明治22年に奈良県十津川村で起こった水害により生活の方途を失った人々が、新たな土地として当時勧められていた北海道へと移住し、この地を開拓したのです。
新十津川にはその後、他県から移住してくる人も増えましたが(奈良県以外では、富山県から移ってきた人が特に多いそうです)、最初の移住者である十津川出身者は、今も出雲大社教を信仰している人が多いようです。

昨日の新十津川神社神輿渡御を御奉仕された皆様方、雨の中、大変お疲れ様でした!