H29寒河江市立にしね保育所

ゆっくりおおきくなあれ

『どうか忘れないでください、子どものことを。』39

2017年06月18日 | 日記

 タイトルには、母性と父性について書かれています。今回は、たたくということのよう。さて、みなさんはどうでしょうか。

 私はどうかというと、一度だけ長男をたたいて何かを教えようとしたことがあります。でも、その何かがわからない、覚えていないんです。子どもには聞いたことがありませんが。自分としては本当に情けないと思っています。

 たたいて、子どもがより良い成長・発達をするのであればそうしてきたと思います。でも、それがそうならない。逆。これは、親としてもそうだけど、今、子どもたちと一緒にいてもそうです。

 ルールを守れないで、友だちとトラブル子どもがいます。担任が繰り返し、話し、諭し、それでも繰り返すならば私の出番となります。結局、私も同じです。子ども自身がどうして私のところに来たのかを考えさせ、そして諭します。そして約束をさせます。

 私は、よくないことをした場合、ルールを守れない場合は、何度でも伝えなければならないと思っています。それが守られなくても、伝え続けることにしていますし、職員にもお願いしています。繰り返すようならば、「あきらめる」こと。でも、伝えることは大事だと。

 こうしたルールを守れない子どもになったのは、そう育ったからです。たたいたからと言って、それが守れるようになるとは思っていません。たたいて守れるようになったり、できるようになったりすることはありません。親は安易に使ってしまうことがありますが、逆です。絶対にたたいてはいけません。

 ルールを守れない場合、子ども自身が障がいを持っている場合もあります。本人の意思に関係なく、ルールが守れない場合です。これは全く別な考えをしなくてはなりません。でも、ほとんどが前者だと思います。

 そうした伝え方でなく、別の伝え方として、佐々木氏の今回の例があります。いかがでしょう。お読みください。


 【母親にも父性的なところはあり、父親にも母性的な部分はあるのです】

 私自身は、親に叩かれた、という記憶はありません。私も妻も、3人の男の子を叩いた、ということは一度もないと思います。もちろん、それで「しつけができなかった」なんていうことはありません。

 けれど、親が子どもを叱らなくてはいけない、「それはよくないよ」と伝えなくてはいけないときもあります

 そんなときのヒントになるかもしれないので、私の経験をひとつお話しします。

 長男が小学校のころだったと思うのですが、食事のとき、母親がつくった料理を食べたくない、嫌いだ、とぐずぐず言い出したのです。妻は怒ってしました。「じゃあなにも食べなくていい。夕ごはんはなしです」と言って席を立ってしまったんですね。

 母親としてはやはり頭に来ると思いますよ。せっかく作った料理を拒否されたわけですから。私はそのときちょっと妻に目配せをして、「じゃあ、どこかへ出かけてごはんを食べようか」と、息子に話しかけた。近所の店にふたりで出かけ、なにか適当なものを注文させ、クリームソーダを飲んで帰ってきただけです。別に母親がつくった料理を食べなかったことを叱責もしませんでしたし、話題にもしなかった。

 ほかの人から見たら「そんな甘いことをしていたら味をしめて、毎回同じことをするようになる」と思うかもしれませんね。

 けれど、それは間違いです。二度とそんなことはありませんでした。

 長男にしてみれば、母親の料理を拒否し、父親に外へ連れて行ってもらって食事をしたことは、けっして嬉しいことなどではないのです。本人にしてみたら、本音ではとても気まずいのです。その経験だけでじゅうぶんです

「そんなことをしてはいけないよ。お母さんがいっしょうけんめいつくったものはおいしく食べなくちゃいけないよ。お母さん、悲しむよ」と言うよりも、はるかに大きな効果があると思います

 何日かたってから、以前の話は忘れたような顔をして、食事のとき「ママのごはんはおいしいね」と少しフォローしておいたらいい。というのも、家には長男の下にふたりの弟がいましたから、「お兄ちゃんは料理に文句を言って、お父さんに外でおいしいものを食べさせてもらってうらやましい」なんてことになると、それも困りますから。ちょっとしたフォローも大切ですよ。

 この例は、母親と父親のコミュニケーションがちゃんととれていないとダメです。それが成立していないと、父親が息子を叱りもせずに外食に連れ出してしまったら、母親はさらに怒ることになるかもしれない。「息子を叱った私だけを悪者にして!」と夫婦げんかにもなりかねませんよね。


<太田コメント>

 私は「子どもは自ら成長する力を持っている」と考えています。心も同じです。それを妨げてしまうのは、親です。周囲の大人です。身近な存在でいうと、教員で会ったり、保育士であったりします。そうなってはいけないと常に心にとめておかなければならないと思っています。小中学校では、実際に起きています。私たちも、子どもの自尊心を傷つけないようにしなければならないと考えています。

 こうした心の成長も同じです。ルールを守るということがどの時期に育つか。これは最近の乳幼児の研究では、1歳半ごろまでにと言われています。ソーシャルリファレンシングと言われ、幼い子どもが、初めて出会ったことに対して、「どうすればいいのかな」と振り返ったとき、親や祖父母や保母さんや幼稚園の先生などの視線が、必ず、見守ってくれていて、どうすればいいのかを教えてくれる。そういう過程を通して、幼い子どもの中に育っていく人間的な感情や感性のことを指します。

 乳幼児のとまどいに対して、見守っていたかどうか、その場で適切な対応をしてあげたかどうか、が大事ということです。乳幼児が家庭で過ごすことで、それが対応されやすいと考えいます。1歳半ないし、2歳までは、子どもがしてほしいことをしてあげることは、こうした意味でも重要であると言われています。私が、ある程度の年齢までは家庭で育ったほうがいいのではないかと考えるのはそうした理由です。

 保育所は、それができない子どもたちがきていますから、その役割を保育士がしますが、限界があります。1、2歳児は6人に一人ですから。だから、家庭でそれを補うように接しなければならないと思います。育てるのは親であること、むしろ、そうしたことを育てられるのは親だけとさえ思います。保育士である私たちは、親の代わりになりません。でも、できうる限り、子どものより良い成長・発達を願い保育、「養護」をしていきますし、加えて「教育」をしていきます。

 また、前述したように、子どもに対して、繰り返し伝えても難しい場合もあります。ほとんどの子どもは、そうでありませんが、何らかの理由で、何度も繰り返す場合があります。たたいて教えてもわからないと考えていますので、「あきらめる」ということになります。そして、子どもの成長を見守りながら待つことになります。その間、伝え続けますが。

 これが、成長を待つことでなくなる場合もありますが、そうでない場合もあります。よほど繰り返す場合は、保護者の方にお知らせすることになります。子どもがわかる、ルールを守る、友だちと仲良く生活していけるようになるように。

 私は小学校で教員をしていましたが、こうしたルールを守れない、友だちとのトラブルが多い子どもに対して、よくないことを伝え続け、それでもだめならあきらめることをしてきました。それ以上は教えることはできないと考えるからです。心を教えることは難しいと考えてきました。大人の方でもルールを守れない方がいます。そうした方も、この時期を大事にされなかったのではないかと想像します。

 だから、今の子育てを大事にしてほしいと願います。「一緒に」を合言葉に、できうる限り、子どもを愛し、一緒に生活してほしいと思います。

 

 

 

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