H28 寒河江市立にしね保育所

ゆっくりおおきくなあれ

『どうか忘れないでください、子どものことを。』9

2016年10月31日 | 日記

 全国の小・中・高校のいじめの件数が過去最多というニュースがありました。両親が4歳の子どもの手当てを不正受給していた、その子どもが行方不明というニュースもありました。いじめや虐待のニュースが多いと感じています。こうしたことが後を絶ちません。悲しいです。

 私は、こうしたことは、子どもの中に「良心」が育っていないためと考えています。これは、佐々木氏の文章に大いに関係があると思っています。ぜひ、お読みください。


 【泣いて訴えたことに何千回も応えてもらう経験が、人間関係に喜びを見いだす力になります】

 そんなことを考えていたころ、ある本のなかで、ブルース・ペリーという学者を知りました。この人はアメリカの乳幼児精神医学の専門家で、臨床に基づいたきわめて実証的な研究から意見を述べています。

 ペリーはこんなことを言っています。

「乳幼児期に泣いて訴えることに対し、何千回も繰り返し応えてもらう経験が、その子が大きくなったとき人間関係に喜びを見いだす力になる」これは大変な発見だと思います。

 人間が「人間関係に喜びを兄いだす力」を得るために、決定的に重要なことを言っている。

 おむつが濡れて泣いて訴えるとお母さんがやってきて取り換えてくれる、おなかがすいたと泣いておっぱいをもらう、甘えたいと泣いて抱っこしてもらう。ちょっと暑い、なんだか寒い、音にびっくりした、まぶしい、いろんな理由があるでしょうけれど、赤ちゃんは泣くことしかできません。

 親もなんで泣いているのかよくわからないことだってあるでしょう。けれどとにかく赤ちゃんが泣けば親はそばに来て、なんとかしようとします。繰り返しているうちに、親のほうも「あ、これはおむつが濡れているんだな」「甘えたくて呼んでいるんだな」といったことも少しずつわかるようになっていくわけです。

 そもそも赤ちゃんのほうも、おっぱいが飲みたいという欲求と寂しいからあやしてほしい気持ちがごちゃごちゃになって、はっきりわかっていないときもあるでしょう。

 けれど、泣いているときに放置されずできる限り適切に応じようとする人がいて、その頻度が多ければ多いほど、その子は人間関係の喜びを知ることができるようになる。

 泣いて訴え、それに応じてもらうことの中で、人との交わりに喜びを感じる感情の基礎を作っていくのだ、とペリーは言っています。彼は豊富な臨床経験のなかで、長い間母親がどうやって子どもに接したか、その後子どもがどういうふうに成長したかを観察しつづけてこれを実証的に明らかにできたと言っています。


 <太田コメント>

 全国のいじめの件数がニュースに出されました。過去最高です。残念でなりません。統計ですから、取り方によっても違ってきます。以前より基準が下がりましたから、多くなってくるのは当然でしょう。でも、こうした話を聞くたびに、悲しい気持ちになります。

 子どもは本来、こうした「いじめ」の要素を持ち合わせています。それを「良心」というものが勝って、いじめという状況にならないのだと思っています。長年子どもたちと過ごしてきた中でも、いろいろありました。私自身も、周囲も。

 その中で、学校という中では、教員である大人がちゃんと対応すれば、いじめという状況は生まれてきません。主に担任、そして校長を中心とした学校職員が、そうしたことに敏感であれば、学校体制として対応できていれば、いじめという状況は防げるのです。「いじめをしない心を育てる」という意識さえ持っていれば、それが何よりも大事だと思っていれば、いじめの状況はできないのです。

「いじめ」という状況は、学校に限らず、大人の世界にもあると聞きます。私の周囲にはありませんでしたので、詳しくはわかりません。集団は、コントロールする者、その代わりになるものがいなければ、そうしたことが起きてしまうということがあるのでしょう。

 子どもも、大人も、育っているはずの「良心」が育っていないのです。そして、それをちゃんとコントロールできる大人がいないのです。それが、いじめの状況を生んでしまうのです。

 その「良心」を育てるのが、佐々木氏が述べていることだと考えます。

 それは乳・幼児期にさかのぼります。乳・幼児期に、泣いて訴えたことに対し、共感し応えてもらったのかが、その「良心」の源である、人間関係に喜びを見いだす力に変わる、育つのだと考えています。

 友だちと一緒にいて楽しみたいから、相手の嫌なことはしない、相手を傷つけることはしない、ということにつながるのです。相手を大切にすることが育つのです。これは、子どもの中に見えるようになるのは、幼児期の後半かもしれません。でも、乳児期からの積み重ねが、子どもにそうした心を育てていく。とてもとても大事なことです。

 結構ないがしろにしてしまう、乳児期。泣いても抱いてもらう、対応してもらうことなく過ごしてしまえは、当然、泣かなくなります。泣く回数は減ってきます。自分を表現することはなくなります。極端な話、自閉的になります。当たり前です。そうしているのは、親だということです。周囲の大人だということです。

 乳児期のみならず、幼児期でも同じです。成長してくると、泣いて訴えることは少なくなるでしょうが、親への要求をきいてもらえないとなると、要求をしなくなります。親に答えてもらいたくても、コミュニケーションしたくても拒否されてしまうのですから、自分から要求を出さなくなります。当たり前です。

 だから、もっともっと子どもの要求に応えてほしいと願います。佐々木氏は、極端な話、全部と言います。でも、いろいろな状況でできない時だってあります。でも、基本は、親の答えてあげたいという親心、親の愛情がなければなりません。ほとんどの人は、自然にそうしたことをします。

 でも、親である、大人が自分を優先してしまうことが多くなっている昨今、それができない、それをしない場合が多いのです。残念なことです。子どもの要求は後回し、答えないということになってしまいます。

 大人が、「良心」を育たなくしてしまうのです。これは、ほとんどが親ですが、学校では教員である大人の場合もあります。子どもを育てるという意識の低い親、学校で言えば教員、周囲の大人が、いじめを助長しているのです。

 いじめの件数が多くなっているという報道は、そうした大人が多くなっている、人間関係を楽しむはずの学校で、そうされていない、逆にそれをできない状況を作っている場合さえあります。残念で、残念でなりません。学校であれば、子どもを守ることができるのは、親しかいません。そのために行動しなければならない場合だってあります。

 もっともっと、大人が、「子どもを育てる」という意識をもってほしいと願います。

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