STILL LIFE

近親者への連絡

見守り

2017-03-30 | 日記

二年前の新聞。

井口時男氏の「密室化する現在」というコラム読む。

日本家屋は外界との隔離もあいまい、内部の障子やふすまも開け閉め自由で薄く

それが日本人の自我を表していた。

近代化して西洋の個人主義を反映した家屋を求めた日本人は

その密室で己の自我に向き合う孤独に直面したが

その孤独に耐えられる強靭な自我はない...というような内容。

西洋の自我の核心には一神教の神様がいて、

心の中で神と個人が直接対峙するのがプロテスタントの信仰なのだけど

日本人の核心は何もない空洞である。

それに気づいた人はニヒリズムに陥ってしまうと。

人との繋がりそのものが日本人の自我の全て。

その通りだなと思う。人との繋がりが消えた穴埋めに

己の存在意義として何かを持ってこなければいられないのだけど、

それも結局はお金だったり、職業や学歴だったり、

外界の価値基準とは一切関係のない絶対的なものではなく、

あくまで社会的な、他者との関係性でしかない。

最近はそこに愛国心であるとかの国家を持ってくるといい、

筆者はそれを不穏に思うのだろうけど、

お金や社会的地位みたいなものよりまだ確実でマシなものと思う。

何より国という集団であれば、自分自身ではなく他者が中心にいる。

 

殺人事件を受けて、学校からも警戒メールが回ってきたり、ものものしい。

心配なので離任式に送って行くと、学校の周囲の地域のお年寄りたちが

大勢、見まわりで立ってくれている。

誰でもいいから、とにかく見ている目があるだけでいいのだ。

GPSなど持たせるよりもよほど確実で、社会的コストのかからなさ。

当の親御さんたち世代は都心へ仕事に行ってしまっていて、地域にいない。

彼らは厳密には子育てを経験していないわけで

自分たちが祖父母の世代になった時、地域のために子どもの見守りなどするかというと

しない。恐らくする術を知らないままと思う。

誰も地域で子どもを見守れる人がいなくなるということ。

 

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