STILL LIFE

近親者への連絡

愛情とは

2017-07-15 | 日記

国語の教科書。

三木卓氏の「のらねこ」。

近づく子供を警戒する野良猫。

「「ねえ。君、もしかして、かわいがられるって、どういうことか

知らないんじゃない。」

「知ってるわけないだろ。どこでも売っていないし。」

のらねこは、ぶすっとして言います。

「君、母さんは。」

「母さんなんて・・・・・・。」

「ああ、やっぱりそうだったのか。

かわいがるっていうのは、そばまで行って、

相手にさわってあげたり、だいてあげたり、

なでてあげたりすることなんだよ。」」

 

親に厳しくあたられて育ったせいで、

厳しくあたるのが親の愛情なのだと勘違いしていて、

愛を知らない人は多い。

本当の愛情とは、優しい態度そのもののこと。

 

でもこれを読んで初めてそれに気づくというのも

8、9歳には辛いだろうなと。

 

思い出のマーニー。

自分を育てるためにお金をもらっていたということが

愛情への不信感になる。当然の感情。

 

月に数万の補助金欲しさに子どもを増やそうと考える人は恐らくいない。

お金が欲しくてできるというものでもない。

だから少子化対策で、頭数でお金を配るというのも相当ズレた話。

家畜じゃないんだし。

限られた税金を本当に有効に遣うなら、

困窮した母子家庭に補助金を集中させるべき。

さすがに富裕層は除外されたけど、

特に生活が追い込まれていない、暮らせている家庭にも

児童手当を配る必要はない。

数万円のために子どもを増やしたりはしないから。

逆にお金欲しさに子どもを作った人が、ちゃんと育てるかと考えると

そっちのほうが恐ろしい。

それを言うと女性がヒス起こして票が逃げるので誰も言い出さないけど、

女性が本当に女性全体のこと、子どもたち全体のことを考えるのなら

母親達が自ら、児童手当数万円を国から受け取ることを拒否し

他の困っている人に譲るべき。

民主主義とは本当に、一人ひとりが我欲を克服した

聖人君子であることを要求されるものなのだ。

 

 

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