STILL LIFE

近親者への連絡

技術力を手放す

2017-06-17 | 日記
エアバッグのタカタ、負債1兆。
円高ならよかったのに。

発端は欠陥品かも知れないけど、なんとなく嵌められた感。
逆にそんなにタカタという会社が市場を独占していたということにも驚く。

資本主義の世界では、「頑張った人が報われる」のではない。
「勝った人がお金持ちになる」のである。
技術力の高さが正当に評価されるからお金持ちになるのではない。
どんな手を使ってでも市場を独占して勝たなければお金持ちにはなれない。
正攻法で戦おうとして自らに枷をはめるような武士道やってたら
勝てないのである。

アメリカがそうであるように、日本ももう製造業の国ではない。
そもそも最初から、純粋に技術水準だけで世界と競って
勝ってきたのではないかも知れない。
自力でここまで豊かになったと考えるのは傲慢で、
世の中のことは大概、自助努力だけではなく
様々な要因が上手く重なった結果なのだ。
日本がお金持ちになったことでさえ、実は時代や世界情勢、
諸外国の思惑という大きな流れの中に表れた相の一つ。

いつまでも"技術力"ということにアイデンティティを置いていると、
その技術力で負けた時の自我はどうなるか。
自分たちの存在価値は、「技術力の高さ」にあるのだから
技術力がなくなったら当然、自分たちに存在価値はない、となる。
存在する意味がないなら、自己否定して、自殺するしかない。
「こんなダメな自分は不幸になるべき」と
自虐的になる。自暴自棄になる。
死にたくないなら、「技術力でまた勝たなければ」
と勝ち目のないチキンレースに執着してしまう。
これではあまりにも弱過ぎる。
どんなに負けようが、失おうが、それとは別の次元で
自分たちの存在には意味がある。
どんな競争に負けても関係ない。
そういう強靭な自信、自己肯定感は、
本人の努力の及ぶ範囲や、客観的比較に晒される範囲にあるものではない
いわゆる「根拠のない」もの、
本人には選択の余地のない運命的なものしか成り得ない。

とにかく、お金や技術やといった、負けたら失ってしまうものを
心の拠り所にしてはいけないのである。




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