STILL LIFE

近親者への連絡

結婚の役割

2017-07-15 | 日記
夫婦別姓運動、同性結婚運動など
結婚の形式を壊そうという流れが活発なのは
裏を返せば、それだけ結婚というものが個人にとって重い意味を持ち過ぎている
個人が結婚を重いものと感じるあまり、その重圧から逃れたくて
個人の意識ではなく、結婚という概念そのものを壊してしまいたいという
衝動なのだと思われる。

結婚とは、人類発祥より存在する文化だそうで
人間という種の生態から発生した、その肉体から切っても切り離せない
生理に基づいたものではあるけど、
一方で個体の生存のためのものではなく、あくまで社会的な、集団を形成するためのものなので
コミュニケーション手段、文化でもある。
人間って、発生の段階から個人で生きるようにはできていないのだなあと思う。
結婚制度の破壊というのは、文化や社会そのものの破壊衝動であり
それは同時に個人の肉体の否定にもなり、
結局は人間存在の否定なのだと思う。
割と悪魔的だと思う。

けど考えてみれば、そもそも結婚が個人にとって
そこまで重いものでなければいいわけで。
今結婚は自分の選んだ好きな人でなければいけないような
強迫観念に晒されているのだけど
元は個人の選択などそれほど重んじなかった。
政略結婚や、親が経済的なことだけで決めてしまったり、
お見合いで取り立てて支障がないからとか。
実際、結婚とはその程度のことなのだ。
数十年前には、結婚するのが当たり前、ほとんどの人が結婚する時代もあった。
全員が熱愛の末の結婚だったわけではない。
そこで個人の選択ではなかったからといって、
その後不幸になったかといえば、決してそんなことはない。
むしろ相手は誰でも、結婚したことそのもので幸福になった人の方が
圧倒的に多いと思う。
同性愛者で結婚した人は、満たされないこともあっただろうけど
結婚に自我の全てを満たしてもらえるということもない。
学校に上がり、社会に出ればその時から人は
いくつもの自分の役割を生きるようになる。
それが社会的な自己であり、結婚もまた社会制度であることからみても
結婚とは社会的役割の一つを受け持つというだけのことなのだ。
そこまでプレッシャーのかかるものではなく、
反対にそこまで自己の全存在を受容されることを期待できるものでもない。

「嫌われる勇気」で、結婚も相手は誰でもいいのだ。
ただこの人を愛すると決めればいい。
とあった。まさにその役割を引き受けるということ。
そして、その役割という形式を与えられるだけで
恐らく人は幸福になれるものなのだ。

個人の自我肥大というのの、自我とはつまり欲望のことで
集団的な形式を破壊しようとする衝動は、この個人の全ての欲求を余すところなく受容して欲しい
という欲望を通そうというもの。
他者の存在を認識していないが故に、世界には己しかいない
己の欲求は全て叶うという新生児的な観念である。
でも、個人の欲望が本当にすべて通ってしまったら、
逆に誰も幸福にはなれなくなってしまうんだよね。
結婚する人が減るのも、離婚が増えるのも
子供を作らないのも
みんな個人の欲求を追求した結果。
社会を破壊して、みんな一人ぼっちになってしまう。
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