森友問題で揺らぐ官僚像 「吏道」より「そんたく」か

2017-05-15 20:13:37 | 日記
毎日新聞ウェブ版2017年5月15日 東京夕刊
「吏道(りどう)」という言葉がある。「官吏として守るべき道」(大辞林)のことだ。森友学園問題でこの言葉と対比されたのは、早くも2017年の流行語大賞候補と言われる「そんたく」。組織的な天下りのあっせんや汚職事件などは論外だが、そんたくが事実なら吏道からの外れ方が、ちょっとみみっちくないか。【葛西大博】

 「僕らの頃は『官僚たちの夏』を読んで役人を目指したやつばかりでしたよ」。通商産業省(現・経済産業省)出身の民進党・江田憲司代表代行は、遠いまなざしで40年近く前の入省時代を振り返った。

 作家、城山三郎の代表作「官僚たちの夏」。1960年代初めの通産省の官僚群像を描いたベストセラーだ。「おれたちは、国家に雇われている。大臣に雇われているわけじゃないんだ」--。元通産事務次官の佐橋滋をモデルにしたと言われる主人公のこのセリフ。国を支えるのは自分たちだという強烈な自負心が伝わってくる。

 「官僚の質は変わったんでしょうね。国を背負って立つんだというエリート意識が崩れるターニングポイントは、大蔵省(現・財務省)の接待汚職事件ではないか」と江田氏。

 98年に発覚したこの事件は、大蔵官僚が銀行側に検査情報を漏らす見返りに「ノーパンしゃぶしゃぶ」などの過剰な接待を受けていたというもの。官僚が相次いで逮捕・起訴され、当時の大臣や次官が辞任に追い込まれた。「官僚の中の官僚」であるはずの大蔵官僚への評価が地に落ちた事件として記憶に新しい。

 漢文学者の青木五郎・京都教育大名誉教授によると、「吏道」という言葉は、司馬遷が著した中国の歴史書「史記」(紀元前91年ごろに完成)に初めて出てくる。漢の武帝が、財政難から官職を金で買える制度などを設けた結果、事件や問題が多発し、官僚の質が落ちたとの記述だ。どこか現代に通じるものがある。

 もう1人、官僚出身者に聞いた。厚生省(現・厚生労働省)を経て宮城県知事を務めた浅野史郎・神奈川大特別招聘(しょうへい)教授は、2009年の民主党(現・民進党)政権誕生が、官僚のモチベーション低下につながったとみる。「政治主導」を掲げたが、空回りしたのはご存じの通り。浅野氏は「政治優位はあるべき姿ですが、あまりにも稚拙すぎた」と指摘する。

 当時、みんなの党に所属していた江田氏も同調する。「官僚に任せていい仕事まで、大臣や副大臣が電卓たたいて計算していたというばかげた話もある」。混迷を深めた民主党政権は3年余りで終幕を迎えたが、国民の失望たるやすさまじく、結果的に安倍晋三首相の長期政権へとつながっている。

そして、大阪市の学校法人「森友学園」問題である。安倍首相の妻昭恵氏が名誉校長に就任する予定だった私立小学校の認可や、国有地払い下げを巡り、官僚側の「そんたく」の有無が問題視された。すっかり有名になった財務省の佐川宣寿理財局長にはこんな国会答弁がある。2月24日の衆院予算委員会で、共産党の宮本岳志議員への答弁だ。

 Q (財務省近畿財務局と森友学園側の)交渉記録はいつ廃棄したのですか。
 A 平成28年6月の売買契約締結をもちまして、すでに事案が終了していますので、記録が残っていないということです。

 Q 驚くべき答弁ですね。6月20日に売買契約を交わしたらその日のうちに処分したということですか。まったく納得できないですよ。

 「日本官僚白書」など数々の著書で官僚批判を展開してきた評論家、佐高信氏は「財務官僚のプライドはないのかと言いたくなる。誰が見たっておかしい」とあきれ顔だ。さらに続ける。「そんたくは自分の出世を考えれば昔からあるが、今はそんたくばかりで超えてはいけない枠が見えなくなっている」

今回の森友問題の背景として、江田、浅野、佐高の3氏の見方が一致している点がある。内閣人事局の存在だ。国家公務員の幹部人事を政治主導で一元的に管理する目的で14年5月に発足した。

 江田氏は「カネと人事を握るのは組織管理の要諦で、人事局を作ったこと自体は100%正しい」と述べる一方、「役所が提出した次官人事を首相官邸が破棄したこともあったと聞く。霞が関の官僚はその存在に震え上がっていて、今回の森友問題への影響は極めて大きい」と指摘する。浅野氏も「人事を政治主導でやることは正しいのですが、副作用として『そんたく』が象徴的なものとして表れた」。人事権を握られたことで、各省庁が首相官邸の顔色をうかがうようになったことが、森友問題の背景にあるというのだ。

吏道の体現者としていまだに名前が挙がるのが、後藤田正晴元官房長官である。旧内務省に入り、警察庁長官や官房副長官を務め、政界入り。中曽根康弘内閣で官房長官を務めた。その著書「後藤田正晴の目」にはこうある。「私は内務省に入って『爾俸爾禄/民膏民脂/下民易虐/上天難欺』という言葉を教わった」

 「なんじのほう なんじのろくは/たみのこう たみのしなり/かみんはしいたげやすきも/じょうてんはあざむきがたし」と読み、要約すれば「お前がもらう給料は民の汗と脂の結晶である。それを忘れて民を虐げると天罰があるぞ」という意味だ。後藤田氏は「『役人』の心構えとして、この教えを再び呼び起こさなくてはいけない」と説いていた。この言葉は、江戸時代の二本松藩(福島県二本松市)が藩士の戒めとするため「戒石銘碑」に刻んでおり、現在は国指定史跡となっている。

 では、今後のあるべき官僚像とはいかに--。江田氏は「官僚主導に戻すわけにはいかないので、政治家の質を上げていく必要がある。官僚は行政官なので、のりをわきまえ、政治が決めたことを遂行していくべきだ」と述べる。佐高氏は「高すぎるくらいのプライドで、ある程度政治家を正していく存在になるべきだ」と指摘する。

 官僚の存在感の低下は、政治主導が進んだ裏返しなのか。佐高氏はこう見る。「利権を求める人間を、普通の感覚の政治家は近づけないはずだ。今は吏道の前に政治家道が落ちている。いろいろ官僚批判を書いてきた人間として、皮肉な意味で気の毒だと思う」

 普段は官僚組織を一刀両断する佐高氏だが、現状には同情的ですらある。森友学園の籠池泰典前理事長の接近を許した安倍夫妻の立ち居振る舞いこそ問題だと言うのだ。官僚と政治家は切っても切れない関係にある。ならば官僚は、政治家を映す鏡ということか。
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