仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

美貌の文化史

2017年05月03日 | 仏教とは?
昨日(29.4.5.1紹介した矢田部 英正氏は、日本の伝統的な身体技法を研究や和装と身体のかかわりを研究し、博士号取得(被服環境学)した方です。著書に「からだのメソッド~立居振舞いの技術 」(バジリコ出版)「たたずまいの美学~日本人の身体技法」(中公叢書)「椅子と日本人のからだ」( 晶文社)などがあります。

だから仏像の姿を語る場合での身体の運動面からとらえているので他にない話題を知ることができます『美貌の文化史―神と偶像(アイドル)』(中央文庫・矢田部 英正著)に次のようにあります。

仏像の身体は、長い歴史のなかで理想的なイメージへと形式化されたものにはちがいないが、しかし、その形式を生み出す原点には「修行者の身体」がモデルとして大きな役割をはたしていただろう。それはスポーツ選手の身体に、運動の痕跡が刻み込まれているように、像の形から喚起される「生きた印象」のなかには、行を積み重ねて「浄化された身体」の痕跡が刻み込まれている。
 修行者は、日頃から飲食を節制して体内に不要な食物を溜め込むことなく、身体の運動と呼吸法を駆使して体内を浄化させる。その結果、皮膚の色艶は輝きを増し、休臭さえも芳香を放つような変化をもたらす。また瞑想による感覚的な訓練は、ゆったりとリラックスした状況のもとで行われるので、身体の造形は「力み」や「慰み」のない「静けさ」を湛えた佇まいへとおのずと導かれるようになる。そうした修行による一連の試みが、身体を媒として、「内なる自然」と「外界の宇宙」とをひとつに結ぶことであるならば、修行者の身体は、人間のものでありながら、人間を超えた力を体現する雛形として、人々が「神」と呼んでいたところの属性を、生きなからにして宿すようなことが起こり得る。(以上)

ちなみに上記の本は、その時代時代の女性の美貌について書いてある本です。

またこの本に、仏は男か女かという話題の中に、サンスクリット語の菩薩(bodhisattva)は男性名詞であるという記述がありました。ネットで見ると観音菩薩の原名は アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァ)も男性名詞だとあります。
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