仏教を楽しむ

仏教ライフを考えるコラムです。浄土真宗本願寺派僧侶

スマホが神になる ②

2017年05月17日 | 都市開教
『スマホが神になる 宗教を圧倒する「情報革命」の力』 (角川新書・島田裕巳著)の続きです。

宗教団体が人々に与える恵みと、スマホが持っている恵みが重なり、スマホが神の代用となるという話です。おもだったところを拾ってみます。

…精神科医の片田珠美は、『孤独病―寂しい日本人の正体』(集英社新書)という著書のなかで、「ネットの簡単で気軽という利便性を考えれば、人を孤独から救う宗教と同じ機能をネットか代替していくのはよくわかる気がする」と述べている。ネットは、「現代人の孤独を癒す格好の道具」だというのだ。

…新宗教の教団の衰退は、デジタル時代の到来と重なっている。しかも、そこにはやはり相関関係を見出すことができる。高度経済成長の時代に、新宗教の信者になったのは、産業構造の転換に伴い、都市で必要になった労働力の不足を補う形で、地方から都市へと出てきたばかりの人間たちだった。


…そうしたことから考えれば、もし高度経済成長の時代にスマホがあったとすれば、そちらが孤独を癒す道具になり、新宗教はあれほど伸びなかったかもしれない。かつて新宗教に入信した人間の子どもや孫たちは、親や祖父母とは生きる世界がまるで違う。彼らは、都会の生まれであり、引っ越しを除けば、人間関係のネットワークから切り離されるという経験をすることはない。つまり、故郷から切り離されることで根本的に孤独になることはないのである。そうであれば、人間関係のネットワークとしての新宗教に魅力を感じることもない。そこに、信仰がうまく継承されない原因がある。そこに、スマホのような道具が登場すれば、新宗教を必要とする理由はますますなくなるのである。

…情報に容易にアクセスできるという期待感は、宗教的な儀式に対して挑戦状を突きつけることになるかもしれないのだ。というのも、何かを知ろうとしたとき、インターネットなら求めた答えがすぐに得られる。それは、求めている人間の必要を直接に充たすものである。それに対して、宗教的な実践の場合には、それがどの宗教の場合であろうと、それとは正反対の忍耐や熟慮を求めてくる。

…いつでもどこでも連絡がとれるということでは、案外、村社会の関係の持ち方と似ている。それだけスマホは、人間同士の関係を近づける力を持っているのである。
村社会における宗教活動の核にあったのは、各種の『講』である。講には、伊勢講や富士講、念仏講などがあり、定期的に信仰上の行事を営むとともに、講の名前を冠した神社仏閣にはるばる出かけていくことを目的としていた。(以上)

著者は、「既存宗教よりも新宗教の信者が激減」として述べています。新宗教へ求めていた救いとは、人生の根本問題ではなく、生活レベルの問題が多かったということでしょうか。
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