『モラルの起源―道徳、良心、利他行動はどのように進化したのか』(2014/11・クリストファー ボーム著)を借りてきました。
「罰の性質もヒト特有とは言えず、権力(ちから)で罰して権威(えらさ)に関する規範を守らせる、というのはヒトと近縁の霊長類の持っている性質である。そうではなく規範の内面化=羞恥心こそがヒト特有であり、これが道徳の骨子だ」とあります。
顔を赤らめる、つまり、恥をかくという現象は、どの民族にも見られます。しかし、人間以外の動物には見られない。恥を感じる心は人間の祖先がチンパンジーの祖先と分かれてからだという。
また『罪』にあたる言葉は、多くの民族に見つからない。罪と罰というのは、ある文化ではきっちり定義されているけれども、他の文化にはない。すなわち、人間はまず恥の心を獲得し、それからルールを内面化して罪の意識、すなわち良心を持つようになったと考えられる。共感はサルの時代に芽生え、類人猿では同情心の萌芽、そして、人間の祖先になってから、仲間の視線を受けなから恥の意識が発達し、最後に社会によっては罪の意識が醸成されるようになったそうです。
本から引用してみます。
第一に、「罪」に近い道徳的な言葉は、世界の多くの狩猟採集民や部族民などの言語には見つからない。一方、「恥」にあたる言葉はどこにでも見られ、人々の心中でかなり重要な位置を占めているようだ。しかも、恥じる感情は、道徳的な犯罪の意識が人間にあまねく引き起こす生理的反応―赤面―と直結している一方、罪には、知られているかぎりそんな身体的相関はない。ダーウィンは、この恥と赤面の関係に気づき、重要だと考えた点で、正しかった。本書では今、人間の良心の進化上の基礎を扱いだしたところなので、恥は重要な普遍的概念となる。(以上)
「はずかしい」の究極形が、真宗の罪悪感だとすれば、人間の最も人間らしい感性だと思われます。
「罰の性質もヒト特有とは言えず、権力(ちから)で罰して権威(えらさ)に関する規範を守らせる、というのはヒトと近縁の霊長類の持っている性質である。そうではなく規範の内面化=羞恥心こそがヒト特有であり、これが道徳の骨子だ」とあります。
顔を赤らめる、つまり、恥をかくという現象は、どの民族にも見られます。しかし、人間以外の動物には見られない。恥を感じる心は人間の祖先がチンパンジーの祖先と分かれてからだという。
また『罪』にあたる言葉は、多くの民族に見つからない。罪と罰というのは、ある文化ではきっちり定義されているけれども、他の文化にはない。すなわち、人間はまず恥の心を獲得し、それからルールを内面化して罪の意識、すなわち良心を持つようになったと考えられる。共感はサルの時代に芽生え、類人猿では同情心の萌芽、そして、人間の祖先になってから、仲間の視線を受けなから恥の意識が発達し、最後に社会によっては罪の意識が醸成されるようになったそうです。
本から引用してみます。
第一に、「罪」に近い道徳的な言葉は、世界の多くの狩猟採集民や部族民などの言語には見つからない。一方、「恥」にあたる言葉はどこにでも見られ、人々の心中でかなり重要な位置を占めているようだ。しかも、恥じる感情は、道徳的な犯罪の意識が人間にあまねく引き起こす生理的反応―赤面―と直結している一方、罪には、知られているかぎりそんな身体的相関はない。ダーウィンは、この恥と赤面の関係に気づき、重要だと考えた点で、正しかった。本書では今、人間の良心の進化上の基礎を扱いだしたところなので、恥は重要な普遍的概念となる。(以上)
「はずかしい」の究極形が、真宗の罪悪感だとすれば、人間の最も人間らしい感性だと思われます。