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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

他人の不幸を願う人

2017年07月18日 | 現代の病理
『他人の不幸を願う人』 (中公新書ラクレ・片田珠美著)。

執筆者は京都大学非常勤講師を務める精神科医。やっぱり著名な精神科医は、分析力が違うというのが読んだ後の感想です。

この本は、この「羨望」に焦点を当てた本です。「羨望」を次のように解説しています。
“羨望とは、自分より幸福そうな他の誰かを目のあたりにして、自己愛が傷ついたからこそ感じる怒りだ。だからこそそれを和らげ、穏やかな気持ちで過ごすには、他人の不幸を蜜としてなめるのが何よりも効く。”

参考になる言葉を転載します。

他人の不幸を願う人は、満たされぬ思いを抱えており、欲求不満が強い人。満たされ、人生に満足している人は、わざわざ人の不幸を願ったりはしない。

羨望という嫉妬の気持ちは、自分より幸福な誰かを目の当たりにして引き起こされる自己愛の傷つきへの怒り。
私はこんなにも上手くいってない、でもあの人は上手くいっている、許せない!」という気持ちがあって、だからこそ、「上手くいっている人」に怒りを感じてしまう。

学校や病院、モンスターな人々が跋扈している原因を次のようにあります。

1・「先生」と呼ばれる人々の権威の低下した。
2・ネットの普及により匿名でも学校や病院の不備や問題点をあげつらいやすくなった。
3・「弱者の立場なら何をしても許される」というような自己愛が誇大化した人々が増えたこと。

羨望の正体
自分が頑張っても手に入れられない、でも他人がそれを持っている、そんなときに引き起こされるのが羨望という感情。
自分が価値を感じていてそれを欲しているが、どうしても手に入らない。欲しいという気持ちが強ければ強いほど、羨望の度合いは増し、嫉妬心も燃え上がる。

羨望の3ステップ
羨望が表に出てくるまでの3つのステップ。
1・「羨ましい」と感じていても、それを表に出さない。嫉妬心を隠す段階。
2・嫉妬心が表に出てくる。隠そうとしても隠せない段階。自分からは嫉妬している相手に攻撃をしかけないが、誰か別の人が変わりに攻撃すると、それを嬉しく感じる。
3・嫉妬心が完全に出てくる。嘘話をでっち上げて嫉妬する相手を中傷したり、罠にハメたりする。

格差社会が人々の嫉妬心を刺激する
比較から逃れられない時代
 現在、他人の不幸を求める欲望がさらに強くなっているのはなぜなのか、
あらためで分析したい。
 その最大の原因、それは、羨望がますます強くなっていることにある。では羨望か強くなってしまった理由は何なのか。
 
 羨望は、他人と自分を比較するからこそ生まれる。フランスの二人の精神科医、フランツ
フールロールとクリストフーアンドレか述べているように「比較によって、自分のほうか劣っていることが明らかになり、しかもその差が容易に埋まらないことかはっきりしている場合、《羨望》か生まれるのである」(高野優訳「感情力」紀伊國原書川)。
 羨望か比較から生まれる以上、他人と自分を比較することによってしか自分自身の価値や幸福を実感できないような人ほど、羨望が強くなるということになる。そして羨望が強くなった人が増えているのは、現在の日本社会では、すべてか比較の対象になっているからだろう。

 気がつけば日々の生活の中で何を食べたか、どんな服を買ったか、どんな人と付き合って
いるかということまでネット上で報告、比較し合っている。こうなると、それこそ24時間、比較から逃げられなくなる。
 このような「一位総比較社会」に生きていると、羨望が強くなるのは当然だろう。

正義を振りかざす人の背景には怒りが隠れている。
「正しいこと」は人々の共感を得やすい。正義を口実に、自分の不満や怒りを偽装し、「悪い人」や「間違った人」を攻撃を開始する。
不祥事を起こした企業への「電凸」など、間違いを糾弾する行為が増えているらしいが、そのことは、今の日本の社会がそれだけ怒りに満ちていることを示している。

これは。裏返せば、現在の日本社会に怒りが満ちあふれているということでもある。とくに「他人の幸福が我慢できない怒り」である羨望がきわめて強くなっている。
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