仏教を楽しむ

仏教ライフを考えるコラムです。浄土真宗本願寺派僧侶

寺院がコミュニティ―の核となれ

2017年02月09日 | 都市開教
森謙二著『墓と葬送のゆくえ』 (歴史文化ライブラリー・ 2014/11/20)を興味深く読みました。

墓や葬儀のあり様は、家族関係の変転であり、価値観の移り変わりでもあるといったことを、詳細に示した本です。

たとえば葬儀が家族葬のように個人化に向かっているが、その背景を次のように説いています。

「葬送の個人化」現象は、

① 葬送領域が市場の枠組みに組み込まれた。(地域からの互助を得られなくなった喪家は葬儀の実行を葬儀業者にと委ねるようになり、葬儀の実行主体か地域から葬儀業者に移ったこと。
② 葬送の問題が自己決定論(葬送の自由)と結びつくことによって、多様な選択肢を手に入れることができると考えたこと(葬儀の伝統的な枠組みが後退して、(自分らしい葬儀》だけが主張されるようになったこと)、
③ 個々人の自立か叫ばれるようになり、「子供に迷惑をかけたくない」と考える人たちが増えたこと(祖先祭祀は子孫に先祖の祭・祀・供養を求めていたか、[子供に迷感をかけたくない]という考え方がこの祖先祭祀の思想を変質させる)、という複合的な変化のなかで展開する。

…このような現実のなかで見られるものは「他者の不在」あるいは「他者の拒絶」である。
「他者の不在」とは、他者が存在しないかのようにふるまうことであり、「他者の拒絶」とは他者との関わりを拒絶することで死者と他者の人間関係か存在しなかったかのようにふるまうことである。(以上)



伝統的な墓のあり方に漂う閉塞感について次のようにあります。

① 墓地用地の確保が困難になるほどの土地の高騰、
②  家族(アトツギ)による墓の継承慣行の揺らぎ、
③  婚家の墓に入りたくない女性(妻)たちの増加。また、法務省の見解によって、「日本人の葬送=「埋葬」に関するコンセンサス(同意)が崩れ、新しいルールをつくれないまま古いルールが壊された」

その結果として、“「儀礼を失ったときに私たちは人間関係そのものを失うことになる。これが私の「答え」の一つである」”と説いています。

本を読んで思ったことは、個人墓の継承者不安等によって合同墓へと移行する現象は、ここに、お寺の新しい可能性を内包しているように思われます。それは、個人化によって生まれる不安や不便の受け皿を寺院が果たすというものです。

お墓に限らず、寺院がコミュニティ―の核として発展していく可能性を秘めています。世間の価値観が「刹那的、便利性、流動的」社会へと向かっています。寺院が大切にする価値観は、「永続性、尊厳性、固定性」です。ここに寺院が社会に受容されていく要素があります。
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