仏教を楽しむ

仏教ライフを考えるコラムです。浄土真宗本願寺派僧侶

約束によって現実がつくられていく

2016年10月19日 | 浄土真宗とは?
嫁した娘が2歳未満の孫を連れて帰ってきました。娘の里帰りの目的は結婚披露宴に招かれていたかれです。一週間前に帰ってきて、子どもを祖父になじませてから外出しようということです。一週間後に午前11時から午後6時まで、幼児を置いて出かけるという。孫はわが家に来てから、知らない家に来ての不安もあってか「ママ、ママ…」とトイレに行っていっている間も呼ぶ。娘が人を駅まで送ったときの10分間、やはり「ママは、ママは」と言い続けていました。

そして一週間後の娘の外出です。2時間くらい泣いて泣きやむかなー、これは私の予想。私は朝から法事で外出して、12時30分ころ帰ってきました。きっと泣いているだろうと思っていたが、なんとニコニコして、一人でおもちゃで遊んでいます。

夜、娘が帰ってきたとき確認すると、「今日はご用事で外出する。夕方には帰って来るから、お利口にしていてね。ナナちゃん(長男の子)も来てくれるからね」としっかり約束してして、駅でバイバイしたとのこと。

言葉には現実をつくっていく働きがあります。「明日、東京駅で会うという約束」によって、人と人があうという現実がつくられます。「広島支社に転勤を命ず」という命令によって転勤という現実がつくられていきます。

母の子との約束によって、一人で過ごすという現実がつくられたのです。私は驚きでした。

なぜ幼児が母との約束を実行できたのか。それは今まで、何度も日常生活の中で「少し待っててね、すぐ来るから」といった経験の積み重ねがあったのだと思われます。

阿弥陀さまの誓いは如来の約束です。「浄土へ摂め取る」という阿弥陀仏の約束を、私がなぜ今、受け入れているのと考えると、過去の経験の中で、私の念仏となり、み教えを喜ぶ人間を仕上げ、誓い通りに働き続けてくださっていたことを知っているからでしょう。

孫のお蔭で、少しですが阿弥陀さまを思索することができました。娘は昨日富、山へ帰りました。
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