仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

潜在的可能性なし

2017年01月14日 | 苦しみは成長のとびら
NHKラジオ深夜便「明日へのことば」(29.1.12)は、秋山正子(「マギーズ東京」センター長)「がんから自分を取り戻す」というものでした。秋山正子さんは、NPO「マギーズ東京」センター長で、66歳、去年の10月10日、東京豊洲に癌患者支援施設、「マギーズ東京」が日本で初めて開設された方です。マギーズ東京は無料でがん患者や家族がいつでも気軽に看護師や心理師などの専門職から支援を受けられる場所で、去年の10月10日オープンし、その週に関しては1日、30人近くのかたが来所されたと語っておあれました。

活動の核なる考え方は「自分の道を選んでいける、自分でちゃんと歩いて行けると言う風に変わってゆく姿が見えるのでうれしいです。…先ず相手の話を聞いているうちに何が一番心配なのかを段々わかって来て、そこに当人が思い当たる、それに気がついて歩きだす、それが解決出来るようにお手伝いをする。」ことだそうです。

『月間住職』(2016.12月号)に、東北大学大学院准教授の谷山洋三氏が「末期患者に僧侶が向き合う際に必要なケアの知識と心」を執筆されていました。谷山氏の核となるものは、「スピリチュアルケアの提供者のあるべき態度は、ケア対象者との出会いに確実な意味を見いだし、心の底から苦しみに寄り添い、理屈なしに尊重することである。…至極簡単に言い換えるならば、ケア対象者の潜在的可能性(如来蔵・仏性)を信じることが、ケア提供者にもとめられるということである」とありました。

両者の言い方は違いますが、底に流れている考え方は、天台宗で語る「本覚思想」と方向性は同じです。本覚(ほんかく)とは、人は本来の覚性(かくしょう)があり、本来的に悟ることのできる性質をもっているということです。

では浄土真宗のビハーラの考え方は、もちろん「本覚思想」ではないはずです。"潜在的可能なし"が浄土真宗の考え方ですから。「自分でちゃんと歩いて行ける」ことも大事です。また「潜在的可能性(如来蔵・仏性)を信じること」も重要です。浄土真宗の教えから行けば、むしろ「自分を信ずる」という自分の考えや価値観を唯一とするこだわりが明らかになり、「潜在的可能性なし」と大きないのちにゆだねていくことでしょう。
コメント
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