仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

玄関がなくなった

2016年07月18日 | 日記
早朝のウオーキングで気づくことがあります。その一つが、昔はどの家でも「玄関」とは別に「勝手口」がありましたが、勝手口のない家が増えたということです。勝手口は玄関とは別に、酒屋なので出入りの業者やゴミ出しの時などに使われていました。

「勝手口がない」という現代の状況は、何を意味しているのかと考えていたら、ふと「勝手口」がなくなったのではなく、「玄関」がなくなったのだという思いを持ちました。

京都の本願寺でも、書院に入る正式な入り口として玄関があり、江戸時代には式台を構えている出入口を「玄関」と言っていたようです。それが明治以後、形式を問わず住居・公共建築の出入口を玄関というようになりました。でもまだ一軒家が多かった時代は、玄関には玄関の趣があったように思われます。

寺院建築の書院などでは、一般の出入り口とは分けて玄関をつくり、その威厳をとどめています。そう考えると、勝手口がなくなったのではなく、玄関がかくなったのでということも腑に落ちます。
コメント
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