○衝撃的な言葉
少し前になるが,ある老婦人と皇室の問題について,話をする機会があった。
その老婦人は,筆者にとっては,恩のある方なのであるが,久しぶりに会ったとたん,「女性セブン」(平成23年1月6日・13日号)の「皇太子さま 雅子さまを支える『正田家祖父母 ぬかるみの土下座』の記憶」と題する記事を示して,「あなた,これどう思う?」と,興奮気味に聞いてきたのである。
突然の質問でもあり,どういう関心であるのかが分かりかねたが,その時点では,この記事が事実無根であることにつき,宮内庁HPの反論コーナーで明示されていたので,「その記事は間違いなんですよ」と応じたが,どうにもおさまらない。
老婦人としては,「正田家の方々は嫁の実家としてとても節度をわきまえているのに,雅子様のところはそうではない。」「美智子様はご実家に帰らなかったのに,雅子様はご実家の方と会ってばかりいるのでけしからん」,ということであった。
筆者は,普段はあまり皇室のことを話さないのであるが,以前,この老婦人の前で,皇太子御一家を擁護する発言をしたことがあり,老婦人としては,筆者のことを東宮派と認識し,この際,問い詰めてやろうと思ったようである。
それにしても,そもそも,老婦人の持ち出してきた記事は誤りなのであるのだから,「いやいや,それは間違いなんですよ。事実ではないんです。」と応じていると,老婦人の口から,衝撃的な言葉が飛び出した。
「事実かどうかなんて,どうでもいいの!」
これには,はて,どう応じたものであろうかと,一瞬,思考が止まってしまった。
さて,ここで,「そんなことを言うんでは,話にならない」と,普通なら議論を中止することになるのかもしれないが,筆者にとって,この老婦人は恩のある方であったので,若干,話をはぐらかすような感じではあるのだが,「確かに,週刊誌は,事実ではないことも書いていて,それで多くの人が心を乱されることがありますね。そういうのは実に巧みなものですよね。」というようなことを述べてみた。
その後,老婦人としても,さすがにちょっとまずいと思ったのか,急速に興奮はおさまったのであるが,話をよく聞いてみると,この老婦人の息子夫婦が嫁の実家の方にはよく顔を出すのに自分のところにはあまり顔を出さないことへの問題意識が根本にあったらしい。
話をしているうちに,自分でそのように納得してくれたのである。
○皇室について語るとは
上記は,筆者の些細なエピソードではあるのだが,このやりとりは,筆者にとって,皇室をめぐるメディアの状況を考える上で,興味深いものと思われた。
およそ皇室について語るという場面において,対象となる皇室そのものの実態を論じているのか。
それとも,語り手の内面の問題を論じているのか。
ケースによっては客観的な伝記として語られる場合もあるであろう。
ただ,皇室について語る多くの人は,実際に皇室の方々と会ったわけでもなく,実態について本当のところはよく知らない状態であると思われ,そのような状態にある人が皇室について熱心に語るとなれば,それは語り手の内面のストーリーである場合が多いのではないかと思う。
そして,それにも関わらず,語り手においてはそのことについては無自覚で,あくまでも皇室について論じているつもりになっている,という構図があるようである。
そして,そのような語り手が自らの内面のストーリーを仮託するところの「皇室」とは,必ずしも客観的な実態としての「皇室」ではなく,週刊誌等のメディアにより形成された「皇室」で十分(「事実かどうかなんて,どうでもいいの!」)なのであり,いやむしろ,メディアにより形成された「皇室」を素材にする方が,熱くなれるのかもしれない。
なぜなら,メディアとは,そういうものだからである。
皇室に関するバッシング報道について,このブログでは,背景に悪意あるリークが存在するという指摘を度々行ってきた。
それは,今でもそうなのだろうと思うのであるが,様々な情報を収集し,記事の編集を行うのはメディアであり,その際に最も重視されるのは,売れるかどうかという観点であろう。
売れるかどうかという観点からすれば,当然に,顧客の要望に応えるということが必要になる。
ここで,顧客の要望というものには,様々なものがあるであろう。
食べ物に譬えれば,上品な和食が好きな人もいれば,激辛料理が食べたい人もいる。
同じ人でも,飽きたり,嗜好が変わることもあるかもしれない。
これと同様に,皇室記事について言えば,和やかな写真を掲載して賛美にあふれた記事もあれば,誹謗中傷的なものもある。
同じ週刊誌でも,あるときに賛美記事を掲載していたかと思えば,驚くようなバッシング記事を掲載したりしている。
記事編集者としては,客観的な事実かどうかは二の次で,顧客の要望に応えるということを最優先に記事をつくり,そして顧客は顧客で,客観的な事実かどうかは二の次で,自らの内面のストーリーを仮託することに熱中するわけなのである。
*デヴィ夫人のブログも,そのようなものであろう。
○内面のストーリーの様々
皇室に仮託する内面のストーリーや,仮託の仕方も様々であろう。
皇室の方々のうち,特定の方について,自分を重ね合わせるというのが,もっとも分かりやすい例であるかもしれない。
ただ,皇室の中に,必ずしも自分と同じような境遇の方がおられない場合でも,親子の在り方,夫婦の在り方,仕事への向き合い方について,それぞれの価値観を刺激するような形で,心の琴線に触れるような形で,皇室記事が提供されれば,そこに引き込まれることとなるのであろう。
抽象的なところでは,国家観,歴史観に関しても,そういうことは起こり得る。
皇室典範論議が盛り上がっていた頃の状況というのも,そういうものだったのではないかと思う。
皇室に関する議論としては,様々な内容と程度のものがあるであろうが,煩悩の煩悩による煩悩のための議論になりがちだということに注意しておく必要はあるであろう。
○皇太子妃殿下に関する報道について
平成23年12月9日,「皇太子妃殿下のお誕生日に際しての東宮職医師団見解」が公表された。
この東宮職医師団見解については,心ない報道に対する医師団の憤りが示され,注目されている。
----引用開始----
こうした状況のなかで,東宮職医師団としては,最近,週刊誌を中心として,ご病気に苦しまれながらもさまざまなご活動に懸命に取り組んでいらっしゃる妃殿下のご努力を否定するかのような,悪意ともとれる誤った情報に基づく報道が,関係者とされる人物の発言の引用を含めてなされていること,そしてそのことに対して妃殿下が心を痛めていらっしゃることへの強い懸念を表明いたします。このような報道はこれまでも繰り返されていて,これが続くことは,妃殿下の更なるご快復の妨げになるのみならず,ご病状の悪化にさえつながります。妃殿下は,ご体調に波がおありのなか,できるだけのことをしたいと誠意を持って懸命に頑張っていらっしゃいますが,そのご努力を否定するような批判的な報道が繰り返されますと,妃殿下は自信をなくされますし,安心して先に進むこともおできになりません。心のケアが重要な社会的課題になっているなか,このような心ない報道が平然と繰り返されている現状に,東宮職医師団は専門家として憤りを覚えるものであり,この状況が改善されない限り順調なご快復は望めないと考えております。
----引用終了----
確かに,酷い報道が溢れており,そのような報道に対して「妃殿下が心を痛めていらっしゃる」,「妃殿下は自信をなくされます」とあるのは痛々しく,お気の毒なことである。
そして,医師団の立場にて,憤りを覚えるということは,全く当然のことであろうと思う。
ただ,皇室を巡るメディアの状況として,これまでに述べてきたような構図があるとすれば,その原因は,一般の人々の無数の煩悩ということに行き着いてしまう。
そして,そのような一般の人々の無数の煩悩自体を無くすことはできないのである。
さて,それでは何の対処もできないのかという話になってしまうが,対策としては,まず,そういった一般の人々の無数の煩悩自体を無くすことは不可能であっても,煩悩に基づく関心の方向性をある程度コントロールするということは可能であろう。
例えば,煩悩の中には,聖性への欲求というものもあるので,そのような欲求に応えられる姿を示すという方法がある。
皇后陛下の場合,かつてはバッシングもなされたが,今では超良妻賢母というお姿を示しておられ,多くの支持を獲得している。
どのようなお姿を示すのがよいのかは,その人なりの個性,キャラクターによると思われるが,皇太子妃殿下なりのお姿の形成は,十分に可能であろう。
また,もう一つの対策としては,煩悩の熱を冷ますということがある。
週刊誌等の報道で,送り手にしても受け手にしても,事実かどうかは必ずしも重視されていないという実態があるとしても,明らかに事実と異なることがはっきりしてしまえば,内面のストーリーの仮託をしようにも萎えてしまうであろう。
人間の心の仕組みとして,まずは当たらないだろうと思っている宝くじでも,当選発表の日までは気になって持ち続けるが,外れであることが分かれば,あっさり捨てるというのと同じような話である。
この点で,宮内庁HPの反論コーナーなどで,事実関係の指摘を行うことは有意義であると思う。
ただ,筆者の感じ方からすると,丁寧な指摘に心がけようとするあまり,非常に細々としてしまい,一般の立場からすると,特に該当記事を熟読しているわけではない者からすると,ちょっと分かりにくい。
メッセージとして,如何にデタラメなものであるかを分かりやすく打ち出して,読む値打ちのない記事だと理解させるようにした方が効果的なのではないかと思う。
三つ目の対策としては,皇太子妃殿下の御病気に関する分かりやすい説明ということがあるであろう。
これは,プライバシーにも関わるであろうし,どちらかというとバッシング派からの要求のようになっているので,擁護する立場からすると警戒することになってしまうのかもしれないが,他人の病気,特に心の病というものがどのようなものであるかということは,とても理解しにくい。
そして,理解できない状態で,皇太子妃殿下の御行動に関する情報がパラパラと出てきた場合,多くの人々は,自らの有する人間の行動パターンに関する情報の蓄積に基づいて,こういう状況でこういう行動をする人はこんなタイプの人であるというような形で理解することとなるわけである。
今の状況であれば,その結果として,我が儘であるとか,夫や夫の両親を蔑ろにしているであるとか,そういうイメージを形成する人が出てくるというのは,メカニズムとしては十分にあり得ることであると思う。
この点,御病気ということでは,香山リカ氏が精神科医としていろいろ解説したりしており,それが一般に浸透しているような気もするが,これも的を射たものかどうかはよく分からないが,悪いイメージを形成することとなっていると思う。
香山氏は,皇太子妃殿下について,男女雇用機会均等法世代という言い方をしたり,新型うつという言い方をしたりしているが,そのことを踏まえて多くの人がどのようなイメージを形成するかとなれば,特にいわゆる保守派の人たちは,身勝手で面倒くさい自己中心的な女性のイメージを連想するのである。
男女雇用機会均等法世代という言葉や,新型うつという言葉から,そのようなイメージを連想することが正しいかどうかと言われれば,おそらく正しくはないのであろうけれども,世間の,特にいわゆる保守派の人たちは,そのようなイメージを抱くこととなり,そして,それは彼らが大嫌いなイメージなわけである。
西尾幹二なども,このタイプであろう。
御病気についての一般の理解を得るということで必要なことは,○○病であると提示してある特定の色のついたイメージで上書きすることではなく,皇太子妃殿下の心の苦しみを,体感的に想像できるような説明ということになるのではないかと思う。
といっても,これは難行で,結局,味わった人にしか分からないということであるのかもしれないが,それでも伝えるというところに,例えば文学の存在意義の一つはあるのだと思うし,試みてみるべきなのではないかと思う。
○お苦しみについての勝手な想像
皇太子妃殿下の御病気がどのようなものであるのかについて,筆者は実態を知らないし,精神科医でもないのだが,そのことをお断りした上で勝手な想像をするとすると,筆者自身の経験としてある環境への適応に非常に苦労して苦しんだことがあり,それに近いのかもしれないと思っている。
仕事上,様々なポジジョンに異動することはしばしばあることであるが,かつて,全く未知の立場であり,かつ,本来的に筆者には不向きな立場に異動したことがある。
その際,筆者としては,全く未知の業務を担当することになるのであるから,今までの経験に驕ることなく一から学ぶつもりにならなければならないと思い,それまでの自分の経験に基づく物差し(物事のとらえ方,処理の方法論)を捨てなければならないと思い込んだことがある。
ただ,それで上手くいかなかったのである。
新しい物差しを獲得して順応したいと努力をしても,新しい物差しを獲得することができず,そして,そうこうしているうちに,旧い物差しも自分の手からなくなってしまい,何をやっても上手くいかないという状態になってしまったのである。
そして,自分が酷く役立たずの存在であると思い,自己否定を行うようになったのであるが,自己否定を繰り返していると,ますます上手くいかなくなり,いつしか,周囲もそのような目で自分を見るようになり,自己嫌悪と自己否定の悪循環にはまり込み,抜け出せなくなってしまったのである。
ただ,筆者の場合は,その後,追い出されるように異動となり,別な業務を担当する事となった際,奥底に引っ込んでしまっていた旧い物差しが少しずつ現れてきて,その後再び貢献できることとなった。
さて,もしも,皇太子妃殿下のお苦しみについて,筆者の味わった経験と共通するものがあるとすれば,それは決して御自覚が足りないということなのではなくて,むしろ殊勝なまでに思い込んでしまわれたことが,契機となったのではないかと思う。
改めて考えれば,自分の物差しを捨てなければと思い込むことは,かなり破壊的なことであった。
世の中,上手く生きている人というのは,自分なりの物差しを上手く使いこなしているように思うからである。
皇太子妃殿下のお立場では,自分なりの旧い物差しを取り戻すということは非常に難しいことであると思うのだが,それは決して消滅しているわけではなく,奥深く隠れてしまっているだけのことであり,必ず御回復の可能性はあると思う。
ただ,何だかいろいろ書いてしまったが,これらのことも,結局は,筆者の内面のストーリー,煩悩のお話にすぎないわけである。
少し前になるが,ある老婦人と皇室の問題について,話をする機会があった。
その老婦人は,筆者にとっては,恩のある方なのであるが,久しぶりに会ったとたん,「女性セブン」(平成23年1月6日・13日号)の「皇太子さま 雅子さまを支える『正田家祖父母 ぬかるみの土下座』の記憶」と題する記事を示して,「あなた,これどう思う?」と,興奮気味に聞いてきたのである。
突然の質問でもあり,どういう関心であるのかが分かりかねたが,その時点では,この記事が事実無根であることにつき,宮内庁HPの反論コーナーで明示されていたので,「その記事は間違いなんですよ」と応じたが,どうにもおさまらない。
老婦人としては,「正田家の方々は嫁の実家としてとても節度をわきまえているのに,雅子様のところはそうではない。」「美智子様はご実家に帰らなかったのに,雅子様はご実家の方と会ってばかりいるのでけしからん」,ということであった。
筆者は,普段はあまり皇室のことを話さないのであるが,以前,この老婦人の前で,皇太子御一家を擁護する発言をしたことがあり,老婦人としては,筆者のことを東宮派と認識し,この際,問い詰めてやろうと思ったようである。
それにしても,そもそも,老婦人の持ち出してきた記事は誤りなのであるのだから,「いやいや,それは間違いなんですよ。事実ではないんです。」と応じていると,老婦人の口から,衝撃的な言葉が飛び出した。
「事実かどうかなんて,どうでもいいの!」
これには,はて,どう応じたものであろうかと,一瞬,思考が止まってしまった。
さて,ここで,「そんなことを言うんでは,話にならない」と,普通なら議論を中止することになるのかもしれないが,筆者にとって,この老婦人は恩のある方であったので,若干,話をはぐらかすような感じではあるのだが,「確かに,週刊誌は,事実ではないことも書いていて,それで多くの人が心を乱されることがありますね。そういうのは実に巧みなものですよね。」というようなことを述べてみた。
その後,老婦人としても,さすがにちょっとまずいと思ったのか,急速に興奮はおさまったのであるが,話をよく聞いてみると,この老婦人の息子夫婦が嫁の実家の方にはよく顔を出すのに自分のところにはあまり顔を出さないことへの問題意識が根本にあったらしい。
話をしているうちに,自分でそのように納得してくれたのである。
○皇室について語るとは
上記は,筆者の些細なエピソードではあるのだが,このやりとりは,筆者にとって,皇室をめぐるメディアの状況を考える上で,興味深いものと思われた。
およそ皇室について語るという場面において,対象となる皇室そのものの実態を論じているのか。
それとも,語り手の内面の問題を論じているのか。
ケースによっては客観的な伝記として語られる場合もあるであろう。
ただ,皇室について語る多くの人は,実際に皇室の方々と会ったわけでもなく,実態について本当のところはよく知らない状態であると思われ,そのような状態にある人が皇室について熱心に語るとなれば,それは語り手の内面のストーリーである場合が多いのではないかと思う。
そして,それにも関わらず,語り手においてはそのことについては無自覚で,あくまでも皇室について論じているつもりになっている,という構図があるようである。
そして,そのような語り手が自らの内面のストーリーを仮託するところの「皇室」とは,必ずしも客観的な実態としての「皇室」ではなく,週刊誌等のメディアにより形成された「皇室」で十分(「事実かどうかなんて,どうでもいいの!」)なのであり,いやむしろ,メディアにより形成された「皇室」を素材にする方が,熱くなれるのかもしれない。
なぜなら,メディアとは,そういうものだからである。
皇室に関するバッシング報道について,このブログでは,背景に悪意あるリークが存在するという指摘を度々行ってきた。
それは,今でもそうなのだろうと思うのであるが,様々な情報を収集し,記事の編集を行うのはメディアであり,その際に最も重視されるのは,売れるかどうかという観点であろう。
売れるかどうかという観点からすれば,当然に,顧客の要望に応えるということが必要になる。
ここで,顧客の要望というものには,様々なものがあるであろう。
食べ物に譬えれば,上品な和食が好きな人もいれば,激辛料理が食べたい人もいる。
同じ人でも,飽きたり,嗜好が変わることもあるかもしれない。
これと同様に,皇室記事について言えば,和やかな写真を掲載して賛美にあふれた記事もあれば,誹謗中傷的なものもある。
同じ週刊誌でも,あるときに賛美記事を掲載していたかと思えば,驚くようなバッシング記事を掲載したりしている。
記事編集者としては,客観的な事実かどうかは二の次で,顧客の要望に応えるということを最優先に記事をつくり,そして顧客は顧客で,客観的な事実かどうかは二の次で,自らの内面のストーリーを仮託することに熱中するわけなのである。
*デヴィ夫人のブログも,そのようなものであろう。
○内面のストーリーの様々
皇室に仮託する内面のストーリーや,仮託の仕方も様々であろう。
皇室の方々のうち,特定の方について,自分を重ね合わせるというのが,もっとも分かりやすい例であるかもしれない。
ただ,皇室の中に,必ずしも自分と同じような境遇の方がおられない場合でも,親子の在り方,夫婦の在り方,仕事への向き合い方について,それぞれの価値観を刺激するような形で,心の琴線に触れるような形で,皇室記事が提供されれば,そこに引き込まれることとなるのであろう。
抽象的なところでは,国家観,歴史観に関しても,そういうことは起こり得る。
皇室典範論議が盛り上がっていた頃の状況というのも,そういうものだったのではないかと思う。
皇室に関する議論としては,様々な内容と程度のものがあるであろうが,煩悩の煩悩による煩悩のための議論になりがちだということに注意しておく必要はあるであろう。
○皇太子妃殿下に関する報道について
平成23年12月9日,「皇太子妃殿下のお誕生日に際しての東宮職医師団見解」が公表された。
この東宮職医師団見解については,心ない報道に対する医師団の憤りが示され,注目されている。
----引用開始----
こうした状況のなかで,東宮職医師団としては,最近,週刊誌を中心として,ご病気に苦しまれながらもさまざまなご活動に懸命に取り組んでいらっしゃる妃殿下のご努力を否定するかのような,悪意ともとれる誤った情報に基づく報道が,関係者とされる人物の発言の引用を含めてなされていること,そしてそのことに対して妃殿下が心を痛めていらっしゃることへの強い懸念を表明いたします。このような報道はこれまでも繰り返されていて,これが続くことは,妃殿下の更なるご快復の妨げになるのみならず,ご病状の悪化にさえつながります。妃殿下は,ご体調に波がおありのなか,できるだけのことをしたいと誠意を持って懸命に頑張っていらっしゃいますが,そのご努力を否定するような批判的な報道が繰り返されますと,妃殿下は自信をなくされますし,安心して先に進むこともおできになりません。心のケアが重要な社会的課題になっているなか,このような心ない報道が平然と繰り返されている現状に,東宮職医師団は専門家として憤りを覚えるものであり,この状況が改善されない限り順調なご快復は望めないと考えております。
----引用終了----
確かに,酷い報道が溢れており,そのような報道に対して「妃殿下が心を痛めていらっしゃる」,「妃殿下は自信をなくされます」とあるのは痛々しく,お気の毒なことである。
そして,医師団の立場にて,憤りを覚えるということは,全く当然のことであろうと思う。
ただ,皇室を巡るメディアの状況として,これまでに述べてきたような構図があるとすれば,その原因は,一般の人々の無数の煩悩ということに行き着いてしまう。
そして,そのような一般の人々の無数の煩悩自体を無くすことはできないのである。
さて,それでは何の対処もできないのかという話になってしまうが,対策としては,まず,そういった一般の人々の無数の煩悩自体を無くすことは不可能であっても,煩悩に基づく関心の方向性をある程度コントロールするということは可能であろう。
例えば,煩悩の中には,聖性への欲求というものもあるので,そのような欲求に応えられる姿を示すという方法がある。
皇后陛下の場合,かつてはバッシングもなされたが,今では超良妻賢母というお姿を示しておられ,多くの支持を獲得している。
どのようなお姿を示すのがよいのかは,その人なりの個性,キャラクターによると思われるが,皇太子妃殿下なりのお姿の形成は,十分に可能であろう。
また,もう一つの対策としては,煩悩の熱を冷ますということがある。
週刊誌等の報道で,送り手にしても受け手にしても,事実かどうかは必ずしも重視されていないという実態があるとしても,明らかに事実と異なることがはっきりしてしまえば,内面のストーリーの仮託をしようにも萎えてしまうであろう。
人間の心の仕組みとして,まずは当たらないだろうと思っている宝くじでも,当選発表の日までは気になって持ち続けるが,外れであることが分かれば,あっさり捨てるというのと同じような話である。
この点で,宮内庁HPの反論コーナーなどで,事実関係の指摘を行うことは有意義であると思う。
ただ,筆者の感じ方からすると,丁寧な指摘に心がけようとするあまり,非常に細々としてしまい,一般の立場からすると,特に該当記事を熟読しているわけではない者からすると,ちょっと分かりにくい。
メッセージとして,如何にデタラメなものであるかを分かりやすく打ち出して,読む値打ちのない記事だと理解させるようにした方が効果的なのではないかと思う。
三つ目の対策としては,皇太子妃殿下の御病気に関する分かりやすい説明ということがあるであろう。
これは,プライバシーにも関わるであろうし,どちらかというとバッシング派からの要求のようになっているので,擁護する立場からすると警戒することになってしまうのかもしれないが,他人の病気,特に心の病というものがどのようなものであるかということは,とても理解しにくい。
そして,理解できない状態で,皇太子妃殿下の御行動に関する情報がパラパラと出てきた場合,多くの人々は,自らの有する人間の行動パターンに関する情報の蓄積に基づいて,こういう状況でこういう行動をする人はこんなタイプの人であるというような形で理解することとなるわけである。
今の状況であれば,その結果として,我が儘であるとか,夫や夫の両親を蔑ろにしているであるとか,そういうイメージを形成する人が出てくるというのは,メカニズムとしては十分にあり得ることであると思う。
この点,御病気ということでは,香山リカ氏が精神科医としていろいろ解説したりしており,それが一般に浸透しているような気もするが,これも的を射たものかどうかはよく分からないが,悪いイメージを形成することとなっていると思う。
香山氏は,皇太子妃殿下について,男女雇用機会均等法世代という言い方をしたり,新型うつという言い方をしたりしているが,そのことを踏まえて多くの人がどのようなイメージを形成するかとなれば,特にいわゆる保守派の人たちは,身勝手で面倒くさい自己中心的な女性のイメージを連想するのである。
男女雇用機会均等法世代という言葉や,新型うつという言葉から,そのようなイメージを連想することが正しいかどうかと言われれば,おそらく正しくはないのであろうけれども,世間の,特にいわゆる保守派の人たちは,そのようなイメージを抱くこととなり,そして,それは彼らが大嫌いなイメージなわけである。
西尾幹二なども,このタイプであろう。
御病気についての一般の理解を得るということで必要なことは,○○病であると提示してある特定の色のついたイメージで上書きすることではなく,皇太子妃殿下の心の苦しみを,体感的に想像できるような説明ということになるのではないかと思う。
といっても,これは難行で,結局,味わった人にしか分からないということであるのかもしれないが,それでも伝えるというところに,例えば文学の存在意義の一つはあるのだと思うし,試みてみるべきなのではないかと思う。
○お苦しみについての勝手な想像
皇太子妃殿下の御病気がどのようなものであるのかについて,筆者は実態を知らないし,精神科医でもないのだが,そのことをお断りした上で勝手な想像をするとすると,筆者自身の経験としてある環境への適応に非常に苦労して苦しんだことがあり,それに近いのかもしれないと思っている。
仕事上,様々なポジジョンに異動することはしばしばあることであるが,かつて,全く未知の立場であり,かつ,本来的に筆者には不向きな立場に異動したことがある。
その際,筆者としては,全く未知の業務を担当することになるのであるから,今までの経験に驕ることなく一から学ぶつもりにならなければならないと思い,それまでの自分の経験に基づく物差し(物事のとらえ方,処理の方法論)を捨てなければならないと思い込んだことがある。
ただ,それで上手くいかなかったのである。
新しい物差しを獲得して順応したいと努力をしても,新しい物差しを獲得することができず,そして,そうこうしているうちに,旧い物差しも自分の手からなくなってしまい,何をやっても上手くいかないという状態になってしまったのである。
そして,自分が酷く役立たずの存在であると思い,自己否定を行うようになったのであるが,自己否定を繰り返していると,ますます上手くいかなくなり,いつしか,周囲もそのような目で自分を見るようになり,自己嫌悪と自己否定の悪循環にはまり込み,抜け出せなくなってしまったのである。
ただ,筆者の場合は,その後,追い出されるように異動となり,別な業務を担当する事となった際,奥底に引っ込んでしまっていた旧い物差しが少しずつ現れてきて,その後再び貢献できることとなった。
さて,もしも,皇太子妃殿下のお苦しみについて,筆者の味わった経験と共通するものがあるとすれば,それは決して御自覚が足りないということなのではなくて,むしろ殊勝なまでに思い込んでしまわれたことが,契機となったのではないかと思う。
改めて考えれば,自分の物差しを捨てなければと思い込むことは,かなり破壊的なことであった。
世の中,上手く生きている人というのは,自分なりの物差しを上手く使いこなしているように思うからである。
皇太子妃殿下のお立場では,自分なりの旧い物差しを取り戻すということは非常に難しいことであると思うのだが,それは決して消滅しているわけではなく,奥深く隠れてしまっているだけのことであり,必ず御回復の可能性はあると思う。
ただ,何だかいろいろ書いてしまったが,これらのことも,結局は,筆者の内面のストーリー,煩悩のお話にすぎないわけである。










雅子様のお気持ち、お苦しみの実態を私達は本当に理解しているのかどうかは分かりませんが、適用障害と言うご病名から考えて、おっしゃっているような種類の煩悶もおありなのだろうと想像されますね。
一日も早く自信を取り戻され、もとの雅子様にお戻りいただきたいと思います。
皇室の方々と国民は異なる立場にある。
生活環境の違いも大きいでしょう。
そのことを常に頭に置いた上で客観的に判断しないと非常に危険であると感じます。
現に香山氏の勝手な"診断名"は独り歩きをして、週刊誌のバッシングのネタに使われています。
たとえそれが好意からであっても、医師としては発言を慎むべきだと思っています。
雅子様のお誕生日に発表された文章は、純粋に心を打つものがありました。
お会いした方々一人ひとりのお顔が浮かび…、といった言葉の端に雅子様らしい優しさがにじみ出ていて、本当に美しいと感じました。
被災者の方々にとっては、今も自分達のことを思っていてくださると伝わったことが、どれほど大きな励まし、慰めになったことだろうと思います。
沢山の公務をこなすことよりも、多くを失った人々の心に寄り添うという尊い仕事をされていると思います。
宮中は昨日の歌会始をもって新年の行事が終わるというので、なんとか昨日までに新年のご挨拶をと思っていたのに、すっかりご無沙汰してしまいました。
昨年は西田様のスタンスが変わられたことに戸惑い、失礼な私信やら激しい文章を送りつけ申し訳ありませんでした。
皇太子ご一家を応援する者にとって西田様のブログは長く拠り所でしたので、今もこうして保って下さっている事に微かな期待を寄せています。
再度の典範改正議論へ向けて更に皇太子ご一家へのバッシングも過激さを増すような気がするので、立ち位置を少し変えられた西田様の視点を提示して頂けたら、そして御一緒に皇太子ご一家を応援していかれたら嬉しいです。
どうぞ宜しくお願い致します。
さて表題の文章がupされてから
>客観的な事実かどうかは二の次で,自らの内面のストーリーを仮託することに熱中するわけなのである。
について考えていました。
私が皇太子様を尊敬し雅子様に憧れたのは、自らの内面のストーリーなどという大層な物が未だない子供の頃なので、内面のストーリーとは何ぞやと考えていました。
これを考えるのは、自分自身も気付いていない深層心理を探るようで怖い気もしますが、大切なことだと思うので考え続けようと思います。
自分のことはさて置くと、
皆何かしらの内面のストーリーを皇室問題に仮託している例として、2009年一月の「無眼人・無耳人」でコメントさせて頂いた新年祝賀の儀をめぐる光景を思い出しました。それぞれの年齢や立場が見事に仮託されてそうです。
そういった観点から考えると、これからの皇室は男系であれ一代限りの女性宮家であれ厳しい時代になると思います。仮託する側のストーリーが切羽詰まって厳しくなってきていますから。
あのとき「秋篠宮が天皇になればいいじゃん。そして、そうしたら皇室は潰れる」と言った世代(20代男性)が、先日の世論調査で、一代限りの宮家に唯一反対を(賛成が過半数を割る)示すそうです。
ネット上に溢れ返る酷い皇室情報に慣れ親しんだ
世代が、その真偽はともかくとして皇室に尊崇の念など抱けないのは仕方ないことかもしれません。
就職難で将来に不安を抱える若者が、
「成人するなり1000万支給される皇族」
「役目の定かでない一代限りの女性宮家」
「60年以上前に臣籍降下した、600年遡らねば現在の皇統と繋がらない旧皇族復帰」
などと聞いてもバカバカしい、としか感じないのも無理ないことと思えます。
そして、こういった世代がこれからの皇室を支えていくのです。
本当に厳しい時代になると思います。
いつもながら長々と記し、また新年早々から暗い見通しばかりを書いて申し訳ございません。
去年も大変な年でしたが、今年もさまざまに大変な一年になると覚悟せねばならない年になりそうです。
愛子様におかれましては三学期の始業式からお一人で御通学されたようで良い兆しが見られるので(こういうときに決まってマスコミは大バッシングを仕掛けてくるので要注意ですが)雅子様も是非とも今一歩お元気になられて再生の旗印となって頂きたいと願っています。
寒い日が続きそうです、西田様にもお体ご自愛下さり、良い一年をお過ごし下さいますように。