皇居の落書き

未来に希望をつなぐために。

安倍晋三氏のぬかづきたいという欲求

2012-01-24 00:08:59 | 皇室の話(2)
○ぬかづきたい人々
最近,安倍晋三氏が,皇室典範について,随分と論じている。
元総理の主張ということで,一体,どのような内容であるのかと読んでみたところ,平成17年当時の男系派の主張から進歩したものはなく,正直,大したことはないという感想を抱かざるを得ない。
ただ,そうは思いながらも,じっくりと読んでみると,それなりの発見はあるものである。

「文藝春秋」平成24年2月号に「安倍晋三 民主党に皇室典範改正は任せられない」と題する安倍晋三氏の記事がある。

この記事で最も目を引くのは,平成18年2月の秋篠宮妃殿下ご懐妊報道当時における安倍氏の言動についての部分であると思われるが,敢えてその部分を後回しにして,まず,以下の箇所に着目してみる。
----引用開始----
いうまでもないことだが,二千年以上にわたって連綿と続いてきた皇室の歴史は,世界に比類のないものである。そして皇位はすべて「男系」によって継承されてきた。その重みを認識するところからまず議論をスタートさせなければならない。
----引用終了----

長く続いてきたものの重みを認識せよという。
このこと自体は,それなりに常識論的な感じもするのであるが,さらに次の箇所を読んでみると,安倍氏の内面世界が,少し垣間見れるかのようである。
----引用開始----
私たちの先祖が紡いできた歴史が,一つの壮大なタペストリーのような織物だとすれば,中心となる縦糸こそが,まさに皇室であろう。ひたすら国民の安寧を祈ってきた天皇を軸として,我々日本人は美しい国をつくりあげてきたのである。それこそが文化と伝統であって,我が国の国柄というものは,このようにして築きあげられてきた。
もし,我々が拙速にも,貴重な「縦糸」を取り除いたら,どうなるであろうか。壮大な美しいタペストリーはその軸を失い,一瞬にしてバラバラになってしまうであろう。しかも,一旦そうなってしまえば,慌てたところで,二度とその織物は復元することはできない。そのことを決して忘れてはならない。
----引用終了----

本人としては上手いことを言ったつもりなのであろうけれども,間抜けな話である。
先祖が紡いできた歴史は歴史ですでに確定している。
その歴史をタペストリーに譬える場合,出来上がったタペストリーは,すでに人間の手を離れているのであって,それはいわば歴史の神にでも捧げられているというべきものであろう。
後世の人間が,縦糸を引き抜いてバラバラにするというようなことは,あり得ない。

人の営みの歴史をタペストリーに譬えるというのは,筆者としても美しい比喩であると思う。
ただ,そのような比喩から筆者が感じ取るのは,現在に生きる人々の営みについて,その時々においては,たとえどんなに迷い苦しみながらの歩みであったとしても,精一杯生きたのであれば,後に振り返ったとき,美しいタペストリーができていますよというような,そういう趣旨なのではないかということである。
もちろん,自堕落に生きれば,それなりのタペストリーにしかならず,取り返しがつかない。
要するに不可逆性が前提となるのであり,そこに,励ましと教訓の意義がある。

この点は,そんなことを言ってみたところで,それは個々人の主観の話なのであって,安倍氏のような感じ方をしてみたっていいではないか,という話になりそうである。

確かにそれはそうなのだが(とは言っても,後世の人間が過去に遡って縦糸を引き抜くというのは因果律からしてありえないが),以上のことからして,安倍氏の内面世界の特徴として,自ら新しい歴史を紡ぐという発想がなく,ひたすら過去を見つめ,過去の美しさに殉じようとする傾向があるということが分かるであろう。

このことは,以下の記載にも現れている。
----引用開始----
だが,二千年以上の歴史をもつ皇室と,たかだか六十年あまりの歴史しかもたない憲法や,移ろいやすい世論を,同断に論じることはナンセンスでしかない。
数学者の藤原正彦氏はその当時,日本会議で講演した際に,これを「男女平等と男女共同参画社会を原点とした報告」と定義し,「ほとんど驚愕すべき,軽薄な理屈」であると断言しているが,まさに至言である。
----引用終了----

ここで「藤原正彦氏」が出てきたのであるが,本当に,随分と懐かしい名前である。
この方を持ち出すことが,どれくらいの権威付けになるのかは筆者にはよく分からないが,このことは安倍氏の内面世界の特徴を知る大きな手がかりになると思われる。

藤原氏は,平成17年から始まった皇室典範論議に際して,活発な言論を行っていたが,例えば,「Voice」平成18年2月号において,「皇室伝統は「人類の宝石」有識者会議よ,伝統にぬかづけ」と題する記事において,以下のように述べている。
----引用開始----
アメリカの雑誌を読むと,彼らはほとんど理屈や論理でしか物を見ていないということがよく分かります。しかし,理屈や論理で伝統は守れません。
その点,たとえばイギリス人はたいへん成熟しています。私がケンブリッジ大学で教えていたときに経験したことですが,あちらでは公式ディナーというと,ニュートンの時代と変わらないスタイルで食事をします。皆,黒いガウンを着て,長老が銅鑼の音とともにラテン語で祈りを捧げると,ロウソクの明かりだけが点り,暗闇をうごめくようにして食事をする。食事の中身もほぼ当時のままで,食後のデザートは果物とチーズとポルトというワインに決まっている。そのワインにしても,グラスやボトルの回し方など,何もかも十七世紀と同じかたちが踏襲されているのです。
アメリカから来た客員教授なんどは「食事くらい明るいところで食べさせてほしい」と嘆いていましたが,イギリス人にしてみれば,ニュートンと同じ場所,同じスタイルで食事をするということが嬉しくてたまらない。こういうことなんですね,伝統を愛するということは。昔から保たれてきた伝統を,その意義などはさておき,ただただ誇れるかどうかは,文明が成熟していることの指標です。そこに,理屈が入り込む余地はいっさいない。皇室も同じで,その有り難みに頭を垂れればそれで証明終わりなのであって(笑),論理を持ち込む必要はありません。
----引用終了----

藤原氏は,有識者会議の報告書について,「ほとんど驚愕すべき,軽薄な理屈」と評したとのことであるが,筆者からすると,藤原氏の主張の方が,よほど軽薄な理屈であるように感じられる。
「昔から保たれてきた伝統を,その意義などはさておき,ただただ誇れるかどうかは,文明が成熟していることの指標です。」とあり,この文章について,例えば,成熟した文明には,昔から保たれてきた伝統を,ただただ誇れる余裕があるものなのだよいう意味に解すれば,理解できなくもない。
ただ,昔からのやり方のままではいよいよ上手くいかなくなったというような時は,その意義について改めて考え,変えるべきところを変えるというのが,文明的な社会のあり方なのではないかと,筆者は思う。

さて,それはそれとして,藤原氏の主張というのは,「伝統にぬかづけ」,「頭を垂れれば」それでよいというものであり,そのような姿勢を貫くことの意義は何かとなれば,理屈や論理上の根拠はなく,要するにそれが「嬉しくてたまらない」ということに行き着くようなのである。

この考え方は,安倍氏においても共有されているのであろう。
そのことを踏まえて,その内面世界の特徴をごく簡単にまとめると,『過去の歴史にひたすらぬかづきたい,そしてそれが嬉しくてたまらない』ということになるであろう。
要するに,一つの欲求なわけであり,それを他者にも求めているわけである。

さて,このような『過去の歴史にひたすらぬかづきたい,そしてそれが嬉しくてたまらない』という欲求について,筆者としては必ずしも否定的には考えていない。
多くの人において,このような欲求が無く,自らの共同体のあり方は一から自らの手で作り上げたいというような人ばかりであったならば,日本はとっくに共和制国家になっていたであろうし,伝統は放棄されていた可能性が高いと思うからである。

ただ,国のリーダーであろうとする者であるならば,自らのぬかづきたいという欲求は取り敢えず抑制するべきだと思うのであるが,ここでこんなことを言っても仕方がないのかもしれない。

○男系固執派の願望
さて,『過去の歴史にひたすらぬかづきたい,そしてそれが嬉しくてたまらない』という欲求については,安倍氏のみならず,安倍氏と同様の主張を行っている男系固執派におて広く当てはまるものであろうと思う。

そのことを踏まえて,男系固執派はなぜそこまで男系に固執するのかについて考えてみたのだが,筆者の推測としては,以下のような構図があるのではないかと思うのである。

^打椹瓩蓮崟鏝絅譽検璽爐らの脱却」を主張しているが,要するに,現在の日本国の体制,戦後の歩みが,好ましいものとは思えない。

△修海如すイ泙靴い△衒を創り上げるかとなると,『過去の歴史にひたすらぬかづきたい,そしてそれが嬉しくてたまらない』という欲求からして,そのようにはならずにひたすら過去に目がいくこととなる。

2甬遒北椶鮓ければ,大日本帝国があり,大日本帝国憲法では,「第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」,「第2条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス」とある。

す餡箸離▲ぅ妊鵐謄ティの最も根幹であると思われる皇室の在り方について,「男系男子」という点で,現在の好ましくない憲法体制と大日本帝国とは辛うじて繋がっている。

「男系男子」は,大日本帝国と繋がる蜘蛛の糸であり,これだけは何としてでも守りたい。

要するに,彼らは将来に向けた皇統の安定を議論しているわけではなく,大日本帝国への憧憬を表明しているだけなのである。

本当に将来に向けた議論として,例えば旧宮家復活・養子案しかないと考えているのであれば,具体的にどのような人物がいるかを調べ,接触して説得し,必要があればできるだけの経済的な援助を行い,また,相応しくない要因があればこれを解消し,時期を見て世間に紹介するというようなことをしようとするはずである。

訳の分からない言論人には無理であろうが,安倍氏のような立場であれば,何年も時間があったのであるから,このような働きかけはできるであろうし,当然にするはずなのではないだろうか。

しかし,そのような動きは全くないようである。
それは,彼らが,将来への目というものを持たない人々,『過去の歴史にひたすらぬかづきたい,そしてそれが嬉しくてたまらない』人々であるから,ということになるのであろう。

○言わぬが花
さて,今回の安倍氏の記事で,一つの情報として,最も目を引くのは,以下の箇所であろう。
----引用開始----
しかし改正法案提出が間近に迫った翌2006年2月,事態は一変する。紀子さまのご懐妊が明らかになったのだ。まさに国民的な慶事だったが,私としては後々冷や汗を拭う思いを禁じ得なかった。
もしご懐妊判明が数カ月後だったら,「女子にも皇位継承権を認め,継承順位は長子優先とする」という有識者会議の報告をもとにした法案が成立していた可能性があるからだ。そうなれば,浩宮さまの次の代の皇位継承第一位は愛子さまとなり,悠仁さまが天皇として即位することは永遠になくなっていたかもしれないのだ。
実は,まだ親王(男子)か内親王(女子)かはわからない,紀子さまのご懐妊判明時の記者会見で,「皇室典範改正の議論にも変化はあるか」という質問が記者から投げかけられた。官僚から差し入れられたメモには,「ご懐妊になられたけれど,有識者会議で出た結論を踏まえた法制化を粛々と進めていきたい」と書いてあったのである。
私はそのメモを脇に押しやり,「当然,今回のご慶事のことを踏まえなければならない」「ご懐妊をふまえ静かな環境が必要,改正論議は凍結する」と自分の判断で答えた。そして三日後には内閣として改正法案の提出を断念する,という結論に至ったのである。
----引用終了----

これは,要するに,将来,悠仁親王殿下が即位できるのは,自分の機転のおかげだぞという,(男系派にとっての)手柄話のようなものなのであろう。
さすがに,露骨にではなく,「私としては後々冷や汗を拭う思いを禁じ得なかった」という切り出し方にしてはあるのだが,要はそういうことなのであろう。

そう考えると,この記事で最も目を引く箇所は,実は最もつまらないお話であったということになりそうである。

*ここしばらく男系固執派への批判を書いてきたが,そろそろ女性宮家創設案に関する筆者自身の考えをまとめなければならないと考えている。
ジャンル:
コラム
キーワード
大日本帝国 皇位継承権 共和制国家 愛するということ ケンブリッジ大学 男女共同参画社会
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