○東宮家排除
「サンデー毎日」平成21年2月15日号に,「保阪正康が『文春』論文で書かなかった「天皇家の危機」」と題する記事がある。
「文藝春秋」2月号の「秋篠宮が天皇になる日」という記事にはいろいろと反響があったようであり,その上での今回のサンデー毎日の記事であるが,こういう経緯を見ていると,「秋篠宮が天皇になる日」という記事の背景には,やはり何かがあるのだろうかという気になってしまう。
読んでみてまず第一に感じたことは,おそらく「週刊新潮」平成21年1月29日号の「「秋篠宮天皇」記事の「仕掛け人」」と題する記事において,まさにビンゴ!というような部分があって,その取り繕いの趣旨であろうということである。
今回のサンデー毎日に記事において,保阪氏は,「秋篠宮が天皇になる日」を書いた趣旨につき,弟宮の苦悩を述べたに過ぎないというような説明をしている。
弟宮の苦悩ということについては,筆者も,このブログの「現代皇室論2」で書いたことがあり,理解できるところもなくはない。
ただ,保阪氏の「秋篠宮が天皇になる日」という記事は,単に弟宮の苦悩を述べただけではなくして,兄である皇太子殿下につき,絶対的無価値の存在であるという評価をも,しつこく併せ述べるものであった。
その場合には,記事全体としてどういう主張をしていることになるかというと,絶対的無価値の存在である兄が皇太子として居座っているが故に,賛美されるべき秋篠宮殿下はいつまでも苦悩し続けなければならないということになるのであって,その構図の上に立って,秋篠宮殿下への同情を述べれば述べるほど,それは,皇太子殿下の存在が邪魔だ邪魔だと言っていることとイコールとなるわけである。
それも,東宮バッシングがこれだけ苛烈に行われており,世間の注目を集めた西尾幹二氏の一連の拷問魔的言論において,皇太子同妃両殿下を追い出せというような主張が行われている最中においてであるわけである。
これはどう考えても,弟宮の苦悩を書いただけというのは,あり得ない話であろう。
筆者としては,保阪氏の言い訳的説明につき,どうしても嘘くささを感じざるを得ない。
○秋篠宮殿下>故秩父宮,故高松宮
さて,もちろん,東宮家を温かく見守ろうとする人々にとっては,保阪氏の論文というものは,極めてバランス感覚の悪いものであり,不満ないし怒りを喚起させるものでしかなかったわけだけれども,他の宮家に共感を抱く人々にしても,「秋篠宮が天皇になる日」の末尾の記載については,いったいどのように受け止めるのであろうか。
----引用開始----
ある意味で,秋篠宮の緊張と使命の重みは,秩父宮,高松宮を上回るものがあるといえるだろう。何故なら先に述べたように,秋篠宮には天皇となる可能性があり,息子である悠仁親王を次代の天皇として育てなければならないという重大な役割を担っているからである。
----引用終了----
この箇所を読んだとき,秩父宮殿下も,高松宮殿下も,随分と馬鹿にされたものだなぁと思ってしまった。
確かに,秩父宮殿下,高松宮殿下には,男子がおられなかったわけであり,将来の天皇を育てるという役割は無かったであろう。
しかしである。
秩父宮殿下,高松宮殿下は,敗戦という危機を過ごしてこられた方々であり,そういう危機の時代に生きた方々の緊張感と,現在の秋篠宮殿下の緊張感というものは,もともと次元の異なるものであり,比べるという発想がおかしいと思うのだが,筆者の感覚からすれば,秋篠宮殿下の方が上というのは,よく分からない話である。
それにしても,こういう主張というのは,平成16年に薨去された高松宮妃殿下が,もし今も生きておられたならば,随分腹を立てられたのではないかと思うし,また,そう考えてみると,薨去されたからこその言いたい放題なのだろうか,という風にも思われてくる。
ここで改めて,上記文章に着目してみると,秋篠宮殿下よりも下として明示されているのは,秩父宮殿下,高松宮殿下のお二人のみであり,同じく昭和天皇の弟であられた三笠宮殿下の名は挙げられていない。
三笠宮殿下については,男子がおられたという点で,秩父宮殿下,高松宮殿下と事情が異なるということがあるにせよ,ご長男である寛仁親王殿下が御誕生になった昭和21年の時点においては,すでに今上陛下が皇太子として御誕生になっていたわけであるから,将来の天皇を育てるという役割のプレッシャーがなかったということでは,変わりはないのではないか。
そう考えると,その辺りについては,三笠宮殿下は,まだ生きておられるお方であるので,軽視するような形で名前を出すのは,慎重に避けたということであろうか。
いずれにしても,保阪氏の主張というのは,天皇皇后両陛下に続く存在として秋篠宮同妃両殿下を位置づけ,皇太子同妃両殿下については排除,他の宮家皇族の方々についてはその存在を軽視するという発想があるようである。
○皇太子殿下薨去実現のリアリティ
さて,保阪氏の「秋篠宮が天皇になる日」という記事につき,東宮家に怨念をたぎらせる西尾幹二氏や八木秀次氏においては,おおいに物足りなさを感じたようであるけれども,本当に東宮家の排除を目指す場合,彼らの念頭にあるであろう「皇太子さまの廃嫡や皇位継承順位の変更」といった方策は,現実問題として,まず不可能である。
現実的に考えた場合には,そういった制度上の手続きなどよりも,皇太子殿下に薨去していただくというのが,政治的な観点からすれば,遥かにハードルの低い話である。
このブログで,前回も述べたところであるが,仮に,今の皇太子殿下が薨去されれば,自動的に秋篠宮殿下が皇太子となり,秋篠宮妃殿下が皇太子妃となる。
そして,今の皇太子妃殿下は,故徳仁親王妃という立場となり,民間妃でもあることから,皇室典範第14条の規定によって,いつでも離脱が可能という状態となり,また,皇室から追い出すこともできることとなる。
そして,皇太子妃殿下が皇室を離れる際には,皇室典範第11条の規定によって,愛子内親王殿下も併せて離脱させるということも,十分に可能なこととなるであろう。
今の皇太子殿下が薨去されることとなれば,どっちの選択肢を選ぶかで揉めることもなく,なし崩し的に,このような進み方となるであろう。
こういう話というのは,過ぎた妄想であり,けしからん妄想であるのかもしれないが,ただ,「サンデー毎日」の記事において,「『文春』論文とほぼ同時期,保阪氏は『崩御と即位』(新潮社)を出した。」という記載がある。
この本について,Amazonでの商品説明では,以下の記載がある。
----引用開始----
父帝・孝明天皇の不可思議な夭折により,十四歳の幼さで皇位を継承した明治天皇。偉大な父の幻影に翻弄され,脳病に倒れた大正天皇。その不在を埋めた昭和天皇は,戦渦の中で大元帥として生きた。そして今上天皇は…。明治から平成までの代替わりの「その瞬間」をつぶさに検証,政治家や宮内官僚たちの思惑に巻き込まれながらも,近現代天皇制が確立していく五代の家族史を描く。
----引用終了----
本を出すというのは,それなりに時間を要する作業であるはずであるから,要するに,皇位継承にまつわる生と死ということは,保阪氏の念頭に十分にあって,その上での『文春』論文ということになるであろう。
筆者としては,文藝春秋の「秋篠宮が天皇になる日」という記事については,あまりどうということもないという感想を当初は抱いていたのであるが,それは全くの油断であったかもしれない。
明治から平成までの代替わり,すなわち,明治から平成までの天皇の生と死ということを,十分に意識している筈の保阪氏において,「秋篠宮が天皇になる日」を書く際に,今の皇太子殿下の薨去ということが,念頭になかったはずはないのである。
そして,そのような視点でもって,「秋篠宮が天皇になる日」を読み直せば,それは極めて戦略的なものであるように,感じさせられる。
すなわち,東宮家排除という目的を達成するため,皇太子殿下の薨去を既定路線として考えるのであれば,世間向けのPRとしては,ただただ,今の皇太子殿下が絶対的無価値の存在であり,それに比べて秋篠宮殿下は十分な資質をお持ちのお方であると主張すれば,それで十分なのである。
いざ,皇太子殿下が薨去した際,「突然の薨去は悲しいことですが,それほど嘆く必要はありません。もっと素晴らしい秋篠宮殿下が新しい皇太子となってくださいます」とでも言えればそれでいいわけである。
むしろ,「皇太子さまの廃嫡や皇位継承順位の変更」ということをあまり露骨に主張すれば,皇太子殿下の薨去に不信を招くことにもなりかねず,得策ではないということになるであろう。
○自殺の可能性
ここからは,筆者の妄想であって,フィクションの世界の話ということになるが,皇太子殿下の薨去については,まさか昔のような毒殺というようなことではなくして,自殺に追い込むというのが,考えられる手段ということになるであろう。
すなわち,際限のないリーク,憶測や中傷によって,追い込んで,自殺させるということである。
皇室の側から名誉毀損等の訴えが起こされる可能性は,事実上無いわけであるし,即効性はないものの,リスクを負うことなくして,いくらでも続けることができるわけである。
そして,メディアと結ぶことにより,リーク者がいくばくかの利益を得るということも可能であるのかもしれない。
このように書くと,それは考えすぎであると思う人もいるかもしれないが,少し想像力を働かせて,皇太子殿下の立場になって考えてみるといい。
妻へのバッシング,娘へのバッシング,妻の両親へのバッシング,妻の妹へのバッシング。
そして,最近では,天皇皇后両陛下のご心労,ご心痛の問題と重ねて,秋篠宮天皇待望論まで出て来たわけである。
筆者であれば,とても耐えられない。
特に,秋篠宮天皇待望論というものは,皇太子殿下の立場にしてみれば,自分さえこの世からいなくなれば,全てが丸く収まるという風に,思い込ませるような内容ではなかったか。
東宮バッシングというものは,バッシング者においては,自ら素晴らしい言論をしているのだという陶酔があるようだけれども,改めて考えてみれば,よってたかって執拗に,人間を自殺に追い込んでもおかしくないような非道いものであるというべきではないのだろうか。
東宮バッシング勢力において,そのすべてが自殺に追い込むという目的意識に自覚的ではないのかもしれないが,ただ,その勢力の中核においては,そういう意識を強烈に有し,リードし続けてきた存在があるのではないかと思う。
さて,そう考えると,東宮バッシング勢力において,大野医師の存在をやたらと目の敵にし,排除しようとしていることも,説明がつくかもしれない。
まず,彼らに,皇太子妃殿下のご快復を望むという発想があるわけがない。
とりわけ,西尾幹二氏においては,皇太子妃殿下の父親が反日思想の持ち主であり皇室をダメにする元凶であるという主張を行っているが,そういう氏にしてみれば,皇太子妃殿下が快復すればするほど,その父親の反日思想が皇室に流入しやすくなるということになるはずであって,論理的にも,そもそも氏が皇太子妃殿下の快復を望むはずがないのである。
そこで,彼らの大野医師に対する批判というものは,皇太子妃殿下の快復を望むという体裁を採りつつも,医師の交代とか余計なことをいろいろ主張して,その快復を妨げるというのが,実は狙いであろうと思っていたのであるが,それにしても,あまりに執拗であり,筆者としては不可解であったのである。
ただ,東宮バッシングの勢力において,自殺に追い込むという目的意識があると仮定して考えてみた場合には,それは不思議でもなんでもない。
折角,メディアを総動員してストレスを与え自殺に追い込もうとしているのに,腕のいい精神科医が皇太子殿下の側にもいて,皇太子同妃両殿下のケアをしているというのであれば,いつまでたっても,効果が上がらないからである。
以上はあまりに非道い話であるわけだけれども,今年の歌会始における皇太子殿下のお歌には救われる思いである。
皇太子殿下のお歌は,「水もなきアラビアの砂漠に生え出でし草花の生命たくましきかな」というものであった。
厳しい環境の中で懸命に生きる,小さくも可愛らしい命を目の当たりにした感動を詠まれておられるが,この歌からは絶望ではなく希望が感じられるからである。
○東宮家を見守る国民の存在
ただ,「水もなきアラビアの砂漠」というのは,今の皇室における皇太子同妃両殿下の置かれた状況をも表しているかのようにも感じられる。
今年は,年明け早々,悲惨なニュースが相次いでいたが,その中に,本当に若い人たちの自殺というものがあった。
日本は,毎年3万人以上の人が自殺をする,まさに自殺大国である。
交通事故で亡くなる方よりも遥かに多いわけである。
あまり,自殺ということを話題にすると,負の影響を生じてしまうという問題もあるかもしれないが,ただ,そういう状況につき,直視して分析を行うということも必要であろう。
平成20年版自殺対策白書の第3章の1において,自殺対策の基本認識という項目があるが,そこに以下のことが示されている。
----引用開始----
自殺のサイン(自殺予防の十箇条)
(次のようなサインを数多く認める場合は,自殺の危険が迫っています。)
1 うつ病の症状に気をつけよう(気分が沈む,自分を責める,仕事の能率が落ちる,決断できない,不眠が続く)
2 原因不明の身体の不調が長引く
3 酒量が増す
4 安全や健康が保てない
5 仕事の負担が急に増える,大きな失敗をする,職を失う
6 職場や家庭でサポートが得られない
7 本人にとって価値あるもの(職,地位,家族,財産)を失う
8 重症の身体の病気にかかる
9 自殺を口にする
10 自殺未遂におよぶ
----引用終了----
この十箇条を読んでみた上で,皇太子同妃両殿下の置かれている状況に対し,東宮バッシング勢力がどのような言動を行っているかを,改めて振り返ってみると,本当に恐ろしいことであると思う。
仮に,自覚的な目的意識が無かったとしても,そのように追い込む効果を生じるようなことを,彼らは十分にしてきたわけである。
そして,目的意識が無かったとなれば,むしろ罪悪感もゼロということになるであろうから,今後も歯止め無く続くことになるであろうか。
自殺ということについては,筆者自身の人生においても,何度か考えたことはある。
それが愚かなことであると,理屈を述べることは容易いが,そういう理屈はあまり意味がないのである。
一人一人の人間が生きる世界というものは,実のところ,日常的に接触するごく限られた人たちとの関係性が全てであろう。
きわめて狭い限られた世界というものが一人一人にあり,一人一人はその世界の中で生きているわけである。
そして,その中で,極々僅かでも,意地悪な人が存在していれば,毎日はなかなか憂鬱なものとなる。
世の中全体という観点からすれば,それは些細なことであるかもしれないが,一人一人の生きる小さな世界においては,生々しくも強烈な現実であるわけである。
そこで,仮に,日常的に接触する人々として,意地悪で批判がましい人ばかりとなり,自分自身に,状況を打開する力がないというように自信を無くすような状況が訪れたとしたら,果たしてどういうことになるか。
東宮家に対しては,広い世間の中においては,温かく見守ろうという人も多いはずである。
しかし,世間の人々というのは,やはり,実感としては,遠い存在であるのかもしれない。
ただ,そうは考えながらも,皇太子殿下には,それこそ帝王としての資質として,そういう遠い存在に思える人々の真心を感じ取るということも,おできになるのかもしれないと,期待したりもしてしまう。
○皇室の藩塀たる華族
保阪正康氏においては,「文藝春秋」2月号の「秋篠宮が天皇になる日」とほぼ同時期,「崩御と即位」という本を出しているのであるが,もう一つ,「華族たちの昭和史」という本も出しているようである。
ZAKZAKというサイトにて,「皇室を支える気構えの大切さ…昭和史研究の保阪正康」と題するインタビュー記事が掲載されている。
このインタビュー記事は,読んでいて,何とも不思議な気持ちにさせられる。
保阪氏は,かつての華族の腰抜け振りや,今の世襲議員の問題を指摘する。
ただ,天皇家を支える階層としては,華族の必要性を訴えたりもしている。
このインタビュー記事を読む限りでは,いったい,華族という存在が好ましいものであるのか否か,どっちを主張しようとしているのか,よく分からないのである。
もっとも,制度には,そういう複雑さがあるのだという議論も,成り立つものではあるのかもしれないが。
ところで以下のコメントがある。
----引用開始----
頼りない面があったとはいえ,華族制度があったから昭和天皇は精神的にも安心できただろうし,守る気構えの人が階層を作っていることで天皇制が強かったと思います。華族たちは『名天皇になってほしい』と昭和天皇を支え,昭和天皇もそれに応えようとしたのではないでしょうか
----引用終了----
ここで,ふと思い出したのが,「週刊新潮」平成21年1月29日号の「「秋篠宮天皇」記事の「仕掛け人」」という記事で名指しされている渡辺允氏のことである。
渡辺允氏の曾祖父である渡辺千秋氏がかつて宮内大臣であったことは良く知られているが,渡辺千秋氏は伯爵であり,いわば渡辺允氏は,華族の家系であったわけである。
渡辺允氏が,「週刊新潮」記事でいうように,「秋篠宮天皇」記事の仕掛け人であったかどうかは分からないが,上記の保阪氏のコメントを読んでいると,何となく,渡辺氏の存在を意識してのものであるようにも思えてくるのである。
「サンデー毎日」平成21年2月15日号に,「保阪正康が『文春』論文で書かなかった「天皇家の危機」」と題する記事がある。
「文藝春秋」2月号の「秋篠宮が天皇になる日」という記事にはいろいろと反響があったようであり,その上での今回のサンデー毎日の記事であるが,こういう経緯を見ていると,「秋篠宮が天皇になる日」という記事の背景には,やはり何かがあるのだろうかという気になってしまう。
読んでみてまず第一に感じたことは,おそらく「週刊新潮」平成21年1月29日号の「「秋篠宮天皇」記事の「仕掛け人」」と題する記事において,まさにビンゴ!というような部分があって,その取り繕いの趣旨であろうということである。
今回のサンデー毎日に記事において,保阪氏は,「秋篠宮が天皇になる日」を書いた趣旨につき,弟宮の苦悩を述べたに過ぎないというような説明をしている。
弟宮の苦悩ということについては,筆者も,このブログの「現代皇室論2」で書いたことがあり,理解できるところもなくはない。
ただ,保阪氏の「秋篠宮が天皇になる日」という記事は,単に弟宮の苦悩を述べただけではなくして,兄である皇太子殿下につき,絶対的無価値の存在であるという評価をも,しつこく併せ述べるものであった。
その場合には,記事全体としてどういう主張をしていることになるかというと,絶対的無価値の存在である兄が皇太子として居座っているが故に,賛美されるべき秋篠宮殿下はいつまでも苦悩し続けなければならないということになるのであって,その構図の上に立って,秋篠宮殿下への同情を述べれば述べるほど,それは,皇太子殿下の存在が邪魔だ邪魔だと言っていることとイコールとなるわけである。
それも,東宮バッシングがこれだけ苛烈に行われており,世間の注目を集めた西尾幹二氏の一連の拷問魔的言論において,皇太子同妃両殿下を追い出せというような主張が行われている最中においてであるわけである。
これはどう考えても,弟宮の苦悩を書いただけというのは,あり得ない話であろう。
筆者としては,保阪氏の言い訳的説明につき,どうしても嘘くささを感じざるを得ない。
○秋篠宮殿下>故秩父宮,故高松宮
さて,もちろん,東宮家を温かく見守ろうとする人々にとっては,保阪氏の論文というものは,極めてバランス感覚の悪いものであり,不満ないし怒りを喚起させるものでしかなかったわけだけれども,他の宮家に共感を抱く人々にしても,「秋篠宮が天皇になる日」の末尾の記載については,いったいどのように受け止めるのであろうか。
----引用開始----
ある意味で,秋篠宮の緊張と使命の重みは,秩父宮,高松宮を上回るものがあるといえるだろう。何故なら先に述べたように,秋篠宮には天皇となる可能性があり,息子である悠仁親王を次代の天皇として育てなければならないという重大な役割を担っているからである。
----引用終了----
この箇所を読んだとき,秩父宮殿下も,高松宮殿下も,随分と馬鹿にされたものだなぁと思ってしまった。
確かに,秩父宮殿下,高松宮殿下には,男子がおられなかったわけであり,将来の天皇を育てるという役割は無かったであろう。
しかしである。
秩父宮殿下,高松宮殿下は,敗戦という危機を過ごしてこられた方々であり,そういう危機の時代に生きた方々の緊張感と,現在の秋篠宮殿下の緊張感というものは,もともと次元の異なるものであり,比べるという発想がおかしいと思うのだが,筆者の感覚からすれば,秋篠宮殿下の方が上というのは,よく分からない話である。
それにしても,こういう主張というのは,平成16年に薨去された高松宮妃殿下が,もし今も生きておられたならば,随分腹を立てられたのではないかと思うし,また,そう考えてみると,薨去されたからこその言いたい放題なのだろうか,という風にも思われてくる。
ここで改めて,上記文章に着目してみると,秋篠宮殿下よりも下として明示されているのは,秩父宮殿下,高松宮殿下のお二人のみであり,同じく昭和天皇の弟であられた三笠宮殿下の名は挙げられていない。
三笠宮殿下については,男子がおられたという点で,秩父宮殿下,高松宮殿下と事情が異なるということがあるにせよ,ご長男である寛仁親王殿下が御誕生になった昭和21年の時点においては,すでに今上陛下が皇太子として御誕生になっていたわけであるから,将来の天皇を育てるという役割のプレッシャーがなかったということでは,変わりはないのではないか。
そう考えると,その辺りについては,三笠宮殿下は,まだ生きておられるお方であるので,軽視するような形で名前を出すのは,慎重に避けたということであろうか。
いずれにしても,保阪氏の主張というのは,天皇皇后両陛下に続く存在として秋篠宮同妃両殿下を位置づけ,皇太子同妃両殿下については排除,他の宮家皇族の方々についてはその存在を軽視するという発想があるようである。
○皇太子殿下薨去実現のリアリティ
さて,保阪氏の「秋篠宮が天皇になる日」という記事につき,東宮家に怨念をたぎらせる西尾幹二氏や八木秀次氏においては,おおいに物足りなさを感じたようであるけれども,本当に東宮家の排除を目指す場合,彼らの念頭にあるであろう「皇太子さまの廃嫡や皇位継承順位の変更」といった方策は,現実問題として,まず不可能である。
現実的に考えた場合には,そういった制度上の手続きなどよりも,皇太子殿下に薨去していただくというのが,政治的な観点からすれば,遥かにハードルの低い話である。
このブログで,前回も述べたところであるが,仮に,今の皇太子殿下が薨去されれば,自動的に秋篠宮殿下が皇太子となり,秋篠宮妃殿下が皇太子妃となる。
そして,今の皇太子妃殿下は,故徳仁親王妃という立場となり,民間妃でもあることから,皇室典範第14条の規定によって,いつでも離脱が可能という状態となり,また,皇室から追い出すこともできることとなる。
そして,皇太子妃殿下が皇室を離れる際には,皇室典範第11条の規定によって,愛子内親王殿下も併せて離脱させるということも,十分に可能なこととなるであろう。
今の皇太子殿下が薨去されることとなれば,どっちの選択肢を選ぶかで揉めることもなく,なし崩し的に,このような進み方となるであろう。
こういう話というのは,過ぎた妄想であり,けしからん妄想であるのかもしれないが,ただ,「サンデー毎日」の記事において,「『文春』論文とほぼ同時期,保阪氏は『崩御と即位』(新潮社)を出した。」という記載がある。
この本について,Amazonでの商品説明では,以下の記載がある。
----引用開始----
父帝・孝明天皇の不可思議な夭折により,十四歳の幼さで皇位を継承した明治天皇。偉大な父の幻影に翻弄され,脳病に倒れた大正天皇。その不在を埋めた昭和天皇は,戦渦の中で大元帥として生きた。そして今上天皇は…。明治から平成までの代替わりの「その瞬間」をつぶさに検証,政治家や宮内官僚たちの思惑に巻き込まれながらも,近現代天皇制が確立していく五代の家族史を描く。
----引用終了----
本を出すというのは,それなりに時間を要する作業であるはずであるから,要するに,皇位継承にまつわる生と死ということは,保阪氏の念頭に十分にあって,その上での『文春』論文ということになるであろう。
筆者としては,文藝春秋の「秋篠宮が天皇になる日」という記事については,あまりどうということもないという感想を当初は抱いていたのであるが,それは全くの油断であったかもしれない。
明治から平成までの代替わり,すなわち,明治から平成までの天皇の生と死ということを,十分に意識している筈の保阪氏において,「秋篠宮が天皇になる日」を書く際に,今の皇太子殿下の薨去ということが,念頭になかったはずはないのである。
そして,そのような視点でもって,「秋篠宮が天皇になる日」を読み直せば,それは極めて戦略的なものであるように,感じさせられる。
すなわち,東宮家排除という目的を達成するため,皇太子殿下の薨去を既定路線として考えるのであれば,世間向けのPRとしては,ただただ,今の皇太子殿下が絶対的無価値の存在であり,それに比べて秋篠宮殿下は十分な資質をお持ちのお方であると主張すれば,それで十分なのである。
いざ,皇太子殿下が薨去した際,「突然の薨去は悲しいことですが,それほど嘆く必要はありません。もっと素晴らしい秋篠宮殿下が新しい皇太子となってくださいます」とでも言えればそれでいいわけである。
むしろ,「皇太子さまの廃嫡や皇位継承順位の変更」ということをあまり露骨に主張すれば,皇太子殿下の薨去に不信を招くことにもなりかねず,得策ではないということになるであろう。
○自殺の可能性
ここからは,筆者の妄想であって,フィクションの世界の話ということになるが,皇太子殿下の薨去については,まさか昔のような毒殺というようなことではなくして,自殺に追い込むというのが,考えられる手段ということになるであろう。
すなわち,際限のないリーク,憶測や中傷によって,追い込んで,自殺させるということである。
皇室の側から名誉毀損等の訴えが起こされる可能性は,事実上無いわけであるし,即効性はないものの,リスクを負うことなくして,いくらでも続けることができるわけである。
そして,メディアと結ぶことにより,リーク者がいくばくかの利益を得るということも可能であるのかもしれない。
このように書くと,それは考えすぎであると思う人もいるかもしれないが,少し想像力を働かせて,皇太子殿下の立場になって考えてみるといい。
妻へのバッシング,娘へのバッシング,妻の両親へのバッシング,妻の妹へのバッシング。
そして,最近では,天皇皇后両陛下のご心労,ご心痛の問題と重ねて,秋篠宮天皇待望論まで出て来たわけである。
筆者であれば,とても耐えられない。
特に,秋篠宮天皇待望論というものは,皇太子殿下の立場にしてみれば,自分さえこの世からいなくなれば,全てが丸く収まるという風に,思い込ませるような内容ではなかったか。
東宮バッシングというものは,バッシング者においては,自ら素晴らしい言論をしているのだという陶酔があるようだけれども,改めて考えてみれば,よってたかって執拗に,人間を自殺に追い込んでもおかしくないような非道いものであるというべきではないのだろうか。
東宮バッシング勢力において,そのすべてが自殺に追い込むという目的意識に自覚的ではないのかもしれないが,ただ,その勢力の中核においては,そういう意識を強烈に有し,リードし続けてきた存在があるのではないかと思う。
さて,そう考えると,東宮バッシング勢力において,大野医師の存在をやたらと目の敵にし,排除しようとしていることも,説明がつくかもしれない。
まず,彼らに,皇太子妃殿下のご快復を望むという発想があるわけがない。
とりわけ,西尾幹二氏においては,皇太子妃殿下の父親が反日思想の持ち主であり皇室をダメにする元凶であるという主張を行っているが,そういう氏にしてみれば,皇太子妃殿下が快復すればするほど,その父親の反日思想が皇室に流入しやすくなるということになるはずであって,論理的にも,そもそも氏が皇太子妃殿下の快復を望むはずがないのである。
そこで,彼らの大野医師に対する批判というものは,皇太子妃殿下の快復を望むという体裁を採りつつも,医師の交代とか余計なことをいろいろ主張して,その快復を妨げるというのが,実は狙いであろうと思っていたのであるが,それにしても,あまりに執拗であり,筆者としては不可解であったのである。
ただ,東宮バッシングの勢力において,自殺に追い込むという目的意識があると仮定して考えてみた場合には,それは不思議でもなんでもない。
折角,メディアを総動員してストレスを与え自殺に追い込もうとしているのに,腕のいい精神科医が皇太子殿下の側にもいて,皇太子同妃両殿下のケアをしているというのであれば,いつまでたっても,効果が上がらないからである。
以上はあまりに非道い話であるわけだけれども,今年の歌会始における皇太子殿下のお歌には救われる思いである。
皇太子殿下のお歌は,「水もなきアラビアの砂漠に生え出でし草花の生命たくましきかな」というものであった。
厳しい環境の中で懸命に生きる,小さくも可愛らしい命を目の当たりにした感動を詠まれておられるが,この歌からは絶望ではなく希望が感じられるからである。
○東宮家を見守る国民の存在
ただ,「水もなきアラビアの砂漠」というのは,今の皇室における皇太子同妃両殿下の置かれた状況をも表しているかのようにも感じられる。
今年は,年明け早々,悲惨なニュースが相次いでいたが,その中に,本当に若い人たちの自殺というものがあった。
日本は,毎年3万人以上の人が自殺をする,まさに自殺大国である。
交通事故で亡くなる方よりも遥かに多いわけである。
あまり,自殺ということを話題にすると,負の影響を生じてしまうという問題もあるかもしれないが,ただ,そういう状況につき,直視して分析を行うということも必要であろう。
平成20年版自殺対策白書の第3章の1において,自殺対策の基本認識という項目があるが,そこに以下のことが示されている。
----引用開始----
自殺のサイン(自殺予防の十箇条)
(次のようなサインを数多く認める場合は,自殺の危険が迫っています。)
1 うつ病の症状に気をつけよう(気分が沈む,自分を責める,仕事の能率が落ちる,決断できない,不眠が続く)
2 原因不明の身体の不調が長引く
3 酒量が増す
4 安全や健康が保てない
5 仕事の負担が急に増える,大きな失敗をする,職を失う
6 職場や家庭でサポートが得られない
7 本人にとって価値あるもの(職,地位,家族,財産)を失う
8 重症の身体の病気にかかる
9 自殺を口にする
10 自殺未遂におよぶ
----引用終了----
この十箇条を読んでみた上で,皇太子同妃両殿下の置かれている状況に対し,東宮バッシング勢力がどのような言動を行っているかを,改めて振り返ってみると,本当に恐ろしいことであると思う。
仮に,自覚的な目的意識が無かったとしても,そのように追い込む効果を生じるようなことを,彼らは十分にしてきたわけである。
そして,目的意識が無かったとなれば,むしろ罪悪感もゼロということになるであろうから,今後も歯止め無く続くことになるであろうか。
自殺ということについては,筆者自身の人生においても,何度か考えたことはある。
それが愚かなことであると,理屈を述べることは容易いが,そういう理屈はあまり意味がないのである。
一人一人の人間が生きる世界というものは,実のところ,日常的に接触するごく限られた人たちとの関係性が全てであろう。
きわめて狭い限られた世界というものが一人一人にあり,一人一人はその世界の中で生きているわけである。
そして,その中で,極々僅かでも,意地悪な人が存在していれば,毎日はなかなか憂鬱なものとなる。
世の中全体という観点からすれば,それは些細なことであるかもしれないが,一人一人の生きる小さな世界においては,生々しくも強烈な現実であるわけである。
そこで,仮に,日常的に接触する人々として,意地悪で批判がましい人ばかりとなり,自分自身に,状況を打開する力がないというように自信を無くすような状況が訪れたとしたら,果たしてどういうことになるか。
東宮家に対しては,広い世間の中においては,温かく見守ろうという人も多いはずである。
しかし,世間の人々というのは,やはり,実感としては,遠い存在であるのかもしれない。
ただ,そうは考えながらも,皇太子殿下には,それこそ帝王としての資質として,そういう遠い存在に思える人々の真心を感じ取るということも,おできになるのかもしれないと,期待したりもしてしまう。
○皇室の藩塀たる華族
保阪正康氏においては,「文藝春秋」2月号の「秋篠宮が天皇になる日」とほぼ同時期,「崩御と即位」という本を出しているのであるが,もう一つ,「華族たちの昭和史」という本も出しているようである。
ZAKZAKというサイトにて,「皇室を支える気構えの大切さ…昭和史研究の保阪正康」と題するインタビュー記事が掲載されている。
このインタビュー記事は,読んでいて,何とも不思議な気持ちにさせられる。
保阪氏は,かつての華族の腰抜け振りや,今の世襲議員の問題を指摘する。
ただ,天皇家を支える階層としては,華族の必要性を訴えたりもしている。
このインタビュー記事を読む限りでは,いったい,華族という存在が好ましいものであるのか否か,どっちを主張しようとしているのか,よく分からないのである。
もっとも,制度には,そういう複雑さがあるのだという議論も,成り立つものではあるのかもしれないが。
ところで以下のコメントがある。
----引用開始----
頼りない面があったとはいえ,華族制度があったから昭和天皇は精神的にも安心できただろうし,守る気構えの人が階層を作っていることで天皇制が強かったと思います。華族たちは『名天皇になってほしい』と昭和天皇を支え,昭和天皇もそれに応えようとしたのではないでしょうか
----引用終了----
ここで,ふと思い出したのが,「週刊新潮」平成21年1月29日号の「「秋篠宮天皇」記事の「仕掛け人」」という記事で名指しされている渡辺允氏のことである。
渡辺允氏の曾祖父である渡辺千秋氏がかつて宮内大臣であったことは良く知られているが,渡辺千秋氏は伯爵であり,いわば渡辺允氏は,華族の家系であったわけである。
渡辺允氏が,「週刊新潮」記事でいうように,「秋篠宮天皇」記事の仕掛け人であったかどうかは分からないが,上記の保阪氏のコメントを読んでいると,何となく,渡辺氏の存在を意識してのものであるようにも思えてくるのである。










皇太子殿下こそが、今現在おかれている皇族としての有り様を正しく体現しておられると思います。
政治、歴史に関しての考えを御自分の感情のままに剥き出しにするのではなく、あえてオブラードに包んだように発言するのは、つまりは憲法を、典範を遵守しておられるからです。
保阪は、西尾、八木らと同じで何を言いたいのやら…です。本当に皇室を敬愛しているのか甚だ疑問です。彼等は笑えてしまうほど次男を持ち上げているのですが、つまりは、そこまで持ち上げねばならないほど次男は軽薄な人物なのだと思えてなりません。
私は、一部周辺からのみ次男は持ち上げられているけれど、その本性は会見でも分かるように、病気の皇太子妃を労る発言を一度もしていない軽薄で冷酷な人間だと見ています。
殆どの国民は、雅子妃殿下が病気になってしまわれた原因を分かっているし、批判する気など全く無いと思います。
だからこそ皇太子御夫妻がお出ましになると、公務であれ静養であれ、歓迎する人々が(両陛下の時以上に、次男夫婦の時以上に)集まり、拍手と歓声が自然に沸き起こるのだと思います。
私には、次男周辺から伝わり、それが次男美化の1つともなっている「3人目を止められている」「許されて3人目を」と云う話が、本当に卑しく聞こえてなりません。
それが事実なら、秩父宮殿下、高松宮殿下は昭和天皇に配慮してお子様を作らなかったと云う事になります。
昭和天皇も、なかなか親王に恵まれず「側室を」「このままでは弟宮に」「まさか途絶えてしまうのでは」と言われたそうですが、その度に「側室など持たぬ」「秩父さん、高松さんがいるから私は構わない」と仰ったと、昭和天皇史に出ています。
その時、秩父宮殿下にも高松宮殿下にも親王はおらず、当時の宮内省はもとより、貞明皇太后も心配しておられたとの記述がありました。
そして悠仁親王のために増額せよだの、看護師を増やせだの…何ですか? 卑しすぎます。
では多くのお子様に恵まれた三笠宮殿下は、そのような事を発言しましたか?
次男周辺(次男本人かもしれませんが)の輩こそが、昭和天皇を、他の皇族の品位を貶めているとしか思えません。
そして…
2月7日付の中日新聞に興味深い記事が3つ載りました。
・小和田恒氏が国際司法裁判所の所長に就任
NHKでは「過半数の得票により就任」と放送されました。それだけ優秀であり人望もあるのです。
雅子妃殿下を批判する輩は、父君の小和田氏までも批判しますが、これで小和田氏が(語彙が乏しいので恥ずかしゅうございますが)本物の人物であると云う事が分かるでしょう。
国際司法裁判官は、オランダでは大使と同等の立場とされ、ベアトリクス女王は裁判官に挨拶されるため自ら裁判所に赴く時もある…と云うのを新聞記事で読んだことがあります。
・「民の平和」祈る神事 天皇の宮中祭祀とは
宗教ジャーナリストの齋藤吉久氏によると
「天皇のとって最優先すべき大切なことは“神祭り”であり、歴代の天皇に引き継がれてきた」
「負担軽減なのは間違いないが、役所は数多くのイベントなどに陛下を出席させている。公務優先で宮中祭祀が犠牲となっている」(と宮内庁を批判)
「例えば国事行為を皇太子さまに代行させるなどもある。役人の前例踏襲主義に、とらわれない方法を考えるべきだ」
静岡福祉大学の高橋紘教授は
「陛下は国民のことを考えて一生懸命で、負担軽減に抵抗されるのでは」
今上の公務がかなり増えているのは報道されたとおりです。
以前の週刊誌に「このままでは陛下は、自衛隊の隊旗授与式にまで出席しかねない。そのうちに政治問題に絡むような場にまで出席されるのでは」と云う記事もあったほどの増加ぶりです。
記事には「宮中祭祀の簡略化は今回が初めてではなく、昭和40年代以降、当時の入江相政侍従長が昭和天皇のご高齢を配慮した形で始まった」とあります。
昭和40年代とは、皇太子だった今上には浩宮様(現、皇太子殿下)もおられましたが、その時に明仁皇太子殿下は(譲位できない今の典範なら、自分が天皇になり高齢となった時、どうすればよいのか)と、考えなかったのだろうかと疑問に思います。
そして、記事左端に主要祭祀が載っていますが、これほど祭祀があれば「私的な行為の宮中祭祀」とはいえ、天皇にとって(「民の平和」祈る神事のための)重要な儀式であれば「イベント」など優先できるのだろうかと思いました。
その記事の最後に
「外国賓客と会う場合も、政府が公式に接遇すると決めた公賓などに限るとされた」
とあります。
それはつまり今まで、
公賓でなくとも会っていたのですか?
それは宮内庁の意向ですか?
それとも自発的に増やした公務ですか?
と、疑問に思いました。
・皇太子さまの質問打ち切り 東宮大夫謝罪
「時間厳守のために」会見を時間内で打ち切ったことに、東宮大夫が謝罪文を出したとの事ですが…私の想像を逞しくするには…
宮内記者会に属する全記者が抗議したのではなく、以前に雅子妃殿下がお出しになった回答文の中にある「従兄弟」を「いとこ」にさせた新聞記者が、個人名ではなく宮内記者会と云う名称を使い抗議文を出したのではないか、と思います。
国旗掲揚、国歌斉唱を無視(これは、日本を、そして皇室を軽んじる蛮行に等しいと思います)して座ったままの新聞記者と、皇太子妃殿下の回答文にある文字を変更させるほどの不敬な輩とは、同一人物だと記憶しているのですが…?
東宮大夫は、その新聞記者に質問させず、時間となったので会見を打ち切り、それで抗議した…と云うのが真相なのではないかと思っていますが、真相はどうなのでしょうか。
私達にできるのは、皇太子御夫妻を、言われなき中傷記事など無視し、皇太子御一家を暖かく見守り、支持する事だと思います。
闇雲に叩く輩を、遠くからになってしまうのが悔しいですが、国賊にも等しい輩と批判するのみです。
皇太子ご家族に対する異常で執拗な、言われなきバッシングがあまりにも酷すぎるといつも思っていましたが、いつかは収まるだろうと希望を持ってました。
けれども収まるどころか、次から次へとお金儲けのためかなんなのか知りませんが、エスカレートさせようと躍起になる人間が現れ続けてますよね。。。
皇太子さまは優しく思いやりのある、皇太子という立場に対して責任感のある方だということは、会見での真摯なその姿からわかりますから、本当にお辛いだろうと思います。
異常な人間の異常な戯言は気にされずにいてください。
皇太子さまご家族を心から大切に思って応援している国民はいっぱいいますよ!とお伝えしたいです。
ほんものは何か、本当に大切なものは何か。ちゃんと考えれば答えは一つなのに。
結局日本は、歪みきった前近代的な社会なのかもしれません。どんな屁理屈を付けるにしても、紛れもないほんものである春宮ご一家を否定し、抹殺しようとする社会なんて。マスコミも、政治家も、官僚も歪みきっている。
皇太子殿下の御心が折れてしまうことのないように。そこにしか希望はないという現在の状況の、何と悲しいこと。
西田様の想像を、妄想だったと笑って振り返ることの出来る状況に、どうか一刻も早くなって欲しい。のですが、少なくとも現在は闇に閉ざされて未来が見えません。悲しいことです。
情報があふれている現代、今までの秋篠宮の放蕩ぶりも、秋篠宮夫婦の不自然な結婚の経緯も、妻の紀子妃やその実家の実態も、東宮ご一家をバッシングし続ける記事も、わざとらしく秋篠宮を持ち上げる記事も、秋篠宮側に都合の悪い情報はすべて残るのです。たとえ隠蔽工作や捏造がなされたとしても、人の口に戸は立てられないのです。私たち国民が黙っていません。言論統制も、やれるものならやってみろと言いたいです。
雅子様のお父様である小和田氏が国際司法裁判所のトップに就任しましたが、これで世界が小和田家→雅子様→東宮ご一家を保護する形になってほしいと、心から願います。国民だけでなく、世界も黙っていない、ということになってくれればと思います。
醜いバッシングやいじめを見てみぬふりをする。
みながそうだから、バッシングやいじめをしているものが付け上がるのです。
バッシングにしろ、いじめにしろ、酷いと陰でいっても効果はないのでは?
「そういうことはやめろ、醜い、見たくない」と本人に言う人はいたでしょうか?
バッシングやいじめをしていいきになっているバカ者に、しっかりと
同じバッシングをしてやり、やられる気持をわからせてあげた人はいるでしょうか?
同じ思いを味あわせてやない限り、無神経からくるいじめはなくなりません。
その人を消すという目的でのいじめの場合も、そういういじめを本人か
我が子がされない限り、反省して心を改めることはないでしょう。
最近の秋篠宮の名前を前面に押し出した記事がここ何週間かつづけて出されることに、疑問を感じますね
(保坂氏の論調に関しての関連記事ということを差し引いても)
西尾氏は横に置いておいて、保坂氏にずいぶんいろんな声が届いていることは間違いないですね。
「タイトルは出版社が勝手に決めた」など、終始自分はそういうつもりで書いたのではないというのを
週刊新潮でアピールしていましたから
秋篠宮を今、こういう形で前面に押し出すことが、秋篠宮を押している方々にとって
良いことかと言えば、そうではない気はします。
そして、その記事の黒幕はという形で、金澤医務主管・渡辺元侍従長の名前が、週刊誌で書かれてしまった。
私は、これでブログ主さんが思っていらっしゃる(私も同様に感じましたが)最悪の事態は免れたんじゃないかと、逆に感じています。
───ここから妄想です────────────
もし、今最悪の事態になり秋篠宮が即位することになれば(ぞっとしますが)、まず秋篠宮周囲へ疑惑の目がいくでしょう。
本当に関係していなくても行きます。
そして、それを面白おかしく書くマスコミも出てくるでしょう。
天皇になったからマスコミは遠慮して書かないなどとは思えません。
散々マスコミを利用してきて、言論規制しようとすれば彼らはすぐに牙をむきます。
国民には悪い印象を植え付けることになる。
そういう隙間を見つけ、皇室廃止派が入り込むでしょう
じっとしていても現状じゃ、皇太子殿下の次に即位されるのに、周りが先走った行動を起こしたばかりに…ということになるかもしれません
──────────────────
最悪です…。
しかし、皇太子殿下の黙する態度は立派だと思いますが、今回の一連の記事に関しては、やはり宮内庁としてきちんと、抗議するべきところは抗議すべきだと思うのです。
そして、名前に挙がった金澤医務主管に関しても何かすべきだと思うのですが…
千代田を支配しているのはまるで戦いの論理のように見えますね。その論理は、雅子さまを「自殺もやむなし」と追いつめ、戦果を上げ得ないままエスカレートし皇太子殿下を標的としている今も、一貫して彼らを無自覚とし良心の呵責から救っていると思います。
必然、彼らが求めるのは勝者の論理でしょう。
両陛下の全ての行為が正当化され勝者の正義が両陛下にもたらされる、両陛下を勝者とした歴史の上書きがなされ、上書きに沿った世論操作が弟宮の系統によって未来永劫行われる、もちろん側近らと老練な記者もあまねくその恩恵に預かり、悪辣な行いは忠義と誉められこそすれ悪人として歴史に名を刻まれるなんてことは起こり得ない。勝者の未来予想図ですね。
そして国民の無反応を逆手にとって蛇の生殺しのように東宮家を追いつめても、別段典範に抵触したわけでも、大きく言えば憲法に違反したわけでもなく、東宮家の自滅という形を両陛下がお嘆きになれば事は落着となる筈。
しかしどうでしょう。
彼らに良心の呵責を求めようとは思いませんが、彼らの無自覚、彼らには見えず私たちにだけ見えているものを思うと暗澹としてきます。
天皇家の家督をめぐる争いが、今や天皇家と国民の戦いへと拡大していること。皇太子殿下を傷つけられることは国民を傷つけるに等しいこと、いつか耐えきれず堰をきったように国民の思いがあふれ出す、そのことに彼らは無自覚なのではないでしょうか。
そうなれば天皇家が家と象徴を使い分ける二重規範で動かれるように国民も二重規範を持ちうるのです。戦いに憑かれて、彼らはその怖ろしいことに無自覚すぎる。ネパール王室で起きたことは他山の石ではなくなる、ギャネンドラは他山の漬け物石ではなくなるのです。
その通りにならない天皇は天皇と認めない!
なんて、何かもう呆れすぎて…
西尾や保坂の文章をちゃんと読まれてるのは凄いと思います。
私には西尾は無理でした。
なので前回の西田さんの記事を読んだ時、
西尾や保坂の毒気に当てられたのかなと心配でした。
西田さんは深く真面目に考えすぎではと。
愛国戦士たちにウケる事だけを考えて記事を書く
お笑い芸人ジャーナリストなだけで、こいつらは発言(活字にする)というものを真面目に考えた訳ではないだろうと私は思っていたので。
でも今回の西田さんの記事を読んで、保坂に関してはバックの思惑は確かにありそうですね。宮内庁病院幹部や元侍従長ですか。
今までもさりげに本音混ぜてた旧宮家が週刊女性2月17日号では本音だだ漏れしているようで。
「皇国」というものに夢見てる者達が、その中心にいるお方を罵る。
それがこの国の為だからとほざく。
昭和天皇が当時の皇太子に送った手紙に
<我が国人があまりに皇国を信じ過ぎて〜>と仰られています。
昭和天皇や、昭和天皇からそういう事を聞いて育った今上天皇は果たしてこういう連中を個々人的にどう思われてるのでしょうね。
今上天皇即位の時のお言葉で”象徴天皇”とは国民と共に〜と象徴天皇とはどういうことなのかを述べられてます。
昨年末の長官発言や陛下お誕生日文と新年のお言葉で、この国民と共に〜を特に強調されているように聞こえました。
一部火のついた「天皇」に夢を見ているというか、
自分の夢を押し付けて来る人達に対する遠まわしの苦言では?と。
まぁこれは裏読みし過ぎと分かってますが(苦笑
最近某芸人さんに誹謗中傷して逮捕というニュースがありましたね
「ネットで言われていることが真実だと思った。正義感でやった」
もう何か凄い脱力感に襲われますね。
日本人初とのことであり,日本国にとって名誉なことであると思います。
それにしても,西尾幹二氏などは,小和田氏について,反日左翼などと中傷を繰り返しておりましたが,世界的に重要な立場で活躍することに比べ,国内の低俗な保守系雑誌で罵詈雑言を並べ立てるのと,どちらが本当に,我が国のためになる存在であるか,比較するのもばかばかしいように思います。
ただそれでも,飽くまで利益重視の雑誌の世界においては,西尾氏のような言論の方が重宝されるのでしょうか。
日本のメディアの絶望的状況が,そこにあると思います。
ところで,2月5日に行われた皇太子殿下の記者会見において,関連質問をうち切ったことにつき,東宮大夫が謝罪したということも,報じられていました。
私としては,関連質問なりを行うということがルール化されていたならば,それをうち切ったことは確かに問題があったかもしれないとも思うのですが,今後のことを考えてみた場合,そもそも,記者会見などが,そんなに必要なのだろうかという風にも思います。
戦後になって,国民に向けた生の声の発信が必要ということになって,記者会見を行うようになったと思うのだけれども,生の声の発信について,今の時代において,わざわざ,記者クラブの記者を媒介させる必要があるのだろうか,と思います。
むかしは,とにかく,記者を媒介させるしか方法がなかったわけであり,また,記者の側としても,それなりに皇室というご存在を重要なものと考えていて,勉強もしていたし,また,質問するにしても,良いストーリーとなるような思慮を巡らしていたと思います。
そういうことであれば,関連質問も,意義があったかもしれませんね。
しかし,現在においては,これまでの記者会見の質問を見ていても感じるのですが,記者は,それほど象徴天皇制を重視もしていないし,何というか,あまり勉強もしていない。
また,質問の切り口についても,人情の奥深い機微というものへの感性はあまりないようであるし,関連質問というのも,何とも芸の無さというものを感じさせられます。
この際,記者クラブというのも廃止してしまって,国民への生の声の発信ということでは,インターネットなりを活用して直接的に伝えるというのも,考えていいのではないかと思います。
なにしろ前侍従長は、宮内庁から「追放」するべき外務省出身の有力者で、後任にさらに大物の外務省出身者を連れてきたわけですから。
また、平成になって任命された二人の侍従長と初代東宮侍従長が、そろって中東の国の大使経験者なこと。皇太子ご夫妻の中東歴訪は、もともと平成のはじめごろから予定されていたものということも含め、ただの偶然ではないと思うのです。
なお、現宮内庁長官が、男系派を追放しているとの「告発」を以前に男系派のブログで見た事があります。
さて、私は、2年程前まで、医療事務をやっておりました。その経験から申しますと、金沢主管は、医師法違反ではないか、と思えるのです。医師法には、「患者の秘密の守秘義務」というのがあります。金沢氏は、さかんに、雅子様の主治医の大野先生に、情報の開示を求めています。これは、明らかに医師法違反ではないでしょうか?大野先生が、頑として、雅子様の情報開示に応じないのは、この医師法に基づいているのではないかと思えるのです。雅子様の同意なしには、雅子様が受けておられる治療法・処方薬などは公表できないわけで、これを、金沢氏は、強引にさせようとしているように思えます。
そもそも、大野先生の辞職を、千代田側が求めている「真の理由」は、雅子様の「口封じ」だと思います。
千代田側が、雅子様の治療をする事によって、雅子様の「心の中」を把握できるわけで、これを、天皇皇后両陛下に逐一、報告できる、というメリットがあるわけです。雅子様に「不満を言わせない」という事です。
こういう事を想像してみると、皇室って、本当に恐ろしい所だと感じぜざるを得ません。大野先生のやっておられる事の方が正しい、と誰か識者、言えないのでしょうか?それ程、事態は切迫しているのでしょうか?
皇太子ご一家に何も起こらない事を祈るばかりです。
西田様も気を付けて下さいね・・・・・。
ほんとうに医者、特に精神科医は何をしているのでしょうか。
でもまあ、言ってくださっている方は少数ですがいるんですよね。香山リカさんとか、ずっと東宮家の側に立ってくださっています。ただ週刊誌はそれを主流にせず、必ず「両論併記」で出してきますから。
ある方が言っている言葉ですが、「上品は下品に勝てない」のです。西尾の様に論理も何も無くとも、下品に繰り返し大声で嘘をつきまくるが勝ちなのです。
ただ、こんな表面上の「勝ち」は長くは続きません。
新しい歴史教科書をつくる会がいい例です。西尾ごときをエースにしていたがために、会そのものがポシャリました。東宮攻撃の西尾もそう長くは持たないでしょう。「次」が出てくるとは思いますが。
普通に両論併記をすれば、東宮支持派の主張が正しいことは国民には理解できます。そのためでしょう、香山さんなどは千代田派の雑誌に都合よく意見を編集されることがしばしばありますね。そんなことが続くと賢明な人たちほど、何か言うことを控えるようになります。
私が常々気にかかっていることは、精神疾患にかかっておられる方・そのご家族が、一連の雅子さまバッシングをどのような思いで受け止めておられるかということです。
一般の疾患であれば、病をお持ちの方々で抗議がなされているはずの状況です。しかしながら、その疾患の事情から患者さんたちが抗議(名乗る)に動き出せないのではないでしょうか。マスコミはそこにつけんでいるとも思います。
精神を病んでしまわれた方に関わっている方、ご本人や家族ではないがその近くにいる方が、声を上げる動きにならないものでしょうか。
一連の「秋篠宮を天皇に」キャンペーンは、多かれ少なかれほかの宮家の方々のお耳にも入っていることと思います。宮家の皆様のお気持ちは一体どのようなものでしょうか。少なくとも良い気分にはなっていないとお察しします。しかし、ベトナムお見送り映像を見る限り、また、今年のお正月一般参賀の和やかな映像を見る限り、ほかの宮家の方々で東宮ご一家をお守りしようという雰囲気は感じております。騒動の渦中にある秋篠宮夫妻の胸の内はどのようなものなのでしょう。あのような「秋篠宮を天皇に」キャンペーンがなされている以上、まともな神経であれば、(たとえ自分たちは首謀者でないと言い張っても)他の皇族方の前には畏れ多くて出ていけないと思いますが…。ベトナムお見送り映像では、雅子様と他の宮家の方々はご一緒に固まってお辞儀をされていましたが、秋篠宮夫妻(紀子妃はいるかどうかもわかりづらかったですが)は微妙に距離をとっているように見えました。皇族内部で孤立しているのは東宮ご夫妻の方ではなく、秋篠宮の方ではないかと感じます。
>私が常々気にかかっていることは、精神疾患にかかっておられる方・そのご家族が、一連の雅子さまバッシングをどのような思いで受け止めておられるかということです。
とお書きになりましたので、私も書いてみようかと思います。
雅子様と私は環境も何も全く違う人間ですが、ただ一つ共通点があるとしたら、精神疾患。
雅子様は、現在治療中。私は、もう何年も前ですが、過去に治療暦あり。今は元気です。
ただそれだけの共通点で話すのはためらわれるのですが、お許しください。
思い出した順の独り言と思って読んでいただけたらと思います。
スキー?
私も病気のとき、旅行をしました。気分が晴れるようにと、何度か家族が連れ出してくれました。
私自身も早く治りたいと強く思っておりました。
けれど、少しも楽しめませんでした。やっと目的地に着いたものの、非常に体調が悪くなり、気持ちはめいるばかりで、ホテルから出られません。
観光地にある病院で診察を受けると、「こんな状態で旅行をしてはいけません。すぐに東京に帰って、体を検査すること」と、医師に言われました。体が辛くて、動けないんです。けれど、検査すると、体の異常ではないんです。
どこにいても、気分は常に沈んでおりました。
旅行に行って、治るきっかけをつかみたいと思っていたのですが、そう簡単には、治るものではありませんでした。
運動をして、早くなおそうと、広々としたジョギングコースに連れて行ってもらったこともあります。
走ると苦しくて苦しくて目が廻るようで、気分はもっと辛くなり・・・
夫が驚いていました。「こんな景色のいいところに来て、少しも景色のよさが分からないの?気分がよくならないなんて、信じられない。」と。
私はこれでも、普段はスポーツ好きだったのですけど。
心の病気になると、体も動かせなくなること、体調が悪くなることは、うまく説明できません。
レストランで贅沢?
おいしいと、感じませんでしたよ。何を食べたか、ご馳走の記憶がないほどです。自分を責める気持ちでいっぱいでしたから。
なまけもの?
私の場合は、その言葉を人から面と向かって言われたことはありませんでした。有名人でないのはありがたいことでした。
「全然怠け者じゃないよ。あんなに、仕事をしていたじゃないの?今は、病気だから、仕方ない」そう言ってくれる周りに、今にして思えば、恵まれました。だから治ることができました。
面と向かって言われずとも、常に自分で自分を責め続けておりましたから、仮病とか、わがまま、怠け者という言葉は、病気のとき、かなりのボディーブローです。
自殺?
生きる意味が分からなくなって、自分は生きている価値のない人間と結論してした時、自殺は、誘惑でした。生きている価値がないなら、死んだほうが・・「正しい」とさえ、思うのです。医師は、「死ぬのは簡単。生きているほうがずっと大変。いつか生きていてよかった、嬉しいと思える日が来るから、とにかく生きていること。治るから」と言いました。
なぜ、そんなこともできないの?
ただニコニコ座っているだけでいいから、出席してと言われたのに、出来なかったことがいくつかあります。
こんなに混乱した頭で、なにか粗相があっては、皆様に失礼だからどうしても人前に出るわけにはいかないと、思いました。病気だと知れ渡って、皆様に迷惑がかかってはいけないから、パーティの類はでられませんでした。大事な役目だったら、なおさら、座っているだけと言われても、できませんでした。
庶民の私のことですから、たいしたことではありませんが、それでもできないことが、いろいろありました。
知的なことが全く出来ないわけではなく、できることと、できないことがありました。
人前に出るのが、苦手でした。
雅子様のように、公務というのでしたら、私には想像がつきません。
あの頃を思い出して、一番ありがたかったこと。
病気のことは特に触れないで、ただ、さりげなく家に訪ねてくれた何人かの友人の存在が嬉しかったです。
私のよいところを、数え上げて、「こんないいところ、いろいろあるじゃない?」寄り添って、 肯定してくれる存在が嬉しかったです。
「私でも、生きていていいの?」
「当たり前じゃない」
医師が甘やかす?
医師はまず、自殺を恐れます。
それから、ストレス源に、決して近づかないことを、言います。
医師は「私」を肯定してくれます。
良い医師なら、悲しみや不安の正体を、理解し、共感してくれます。
私は私でいいと。
「医師が甘やかす、なんでも大事にして、たちなおらせない・・・」そんな医師は私は見たこともありません。自分に合う医師かどうかは、患者本人がよくわかります。
病気になった患者は、自己評価がとても低いですから、医師に甘やかされたりなんかしません。
精神疾患を、笑ったり馬鹿にする人もいるでしょうが、そう捨てたもんじゃないんですよ。
あのミケランジェロだって、ゴッホだって。
元気になれば、集中力にはすごいものがあります(笑)。
さて、雅子様をどう思うかですが、これほどバッシング記事がかかれる状態が、どんなものか、想像にあまりあります。
私だったら、病気は悪化して、耐え難い日常が続くだけです。
病になった原因があり、その上、心無いバッシングが延々と・・・。想像するだけでも、つらくなります。
雑誌で精神科医がなんと、コメントしているかは、あまり読んだことがないので、わかりません。
自分の患者でしたら、守秘義務があるでしょうし、患者を守ることをまず考えるでしょう。診察していない医師が、雅子様の病気について推測でいろいろコメントするのは、どうでしょうか。
静かな環境を作ってあげてくださいというのは、声を大にして、言うべきでしょうが。
ちなみに大学入試において、心理学科が、偏差値が高くなっているそうです。こういう時代だからということもありますが、香山リカさん効果もあるそうです。香山さんが教授をしているR大も、偏差値が上がっているそうです。
香山さんは、素晴らしい方なのかもしれませんが、
それよりも私は、「雅子様が、完全に回復されるまで、雅子様関連の報道を、当社は控えます」と掲載文を出す雑誌が現れたら、私は、その雑誌社を信用します。
私は、何もできませんが、
数社、抗議のメールを送りました。
心の病気から立ち直ろうとしている人に、公開でリンチまがいのことをしているからです。
「治すまい」としているとしか思えません。
そして、なんと和やかで温かい光景だろう!と思いましたねぇ。
どなたも自然な笑顔で、きっと直前まで楽しく話し込んでらっしゃったんじゃないかなぁ〜と思えるようで、それに私の勝手な思い込みなんですけれど、宮さまがたが総出で、「わたくしたちが東宮ご夫妻をお守りしているんですよ!」と、意思表明しているようにも見えました。
表立って反論する機会のない宮さまがたが、理不尽なバッシング(を繰り返すメディアや、リークをする人物、皇室評論家【?】)に、言葉ではなく、こういう見える形で、宣言したように思えました。
西田様のコメントを読ませていただいて、皇室関係者に恐怖を感じていましたが、今回の映像で少し心が晴れた思いがしました。
どのようにお辛いものか、微妙な辺りがよく分かりました、ありがとうございました。
ご無事に快復されてよかった、よかったです。
そして幾度とない千代田の揺さぶりや嫌がらせにも負けず、皇太子同妃両殿下を支えて下さっている大野先生をもリスペクト、拝んでしまいます。
改めて思うのですが、うんと早い時期から、皇太子殿下には記者会見において必ず雅子さまへの思いを吐露されておいででしたね。あの頃既に、雅子さまはいじめの中に置かれご自身を責め苛んておられたのでしょうか。殿下は肯定感を公にすることで雅子さまを支えようとしておられたのでしょうか。
そのご発言についても、いろいろと批判がありましたが、皇太子殿下はぶれるという事を一切なさらなかった。寄り添われる殿下が少しでもぶれることがあったら、雅子さまはどのようになられていたことか、想像するだに怖ろしいことです。
ストレス源から遠ざけると言うこと。
いろいろと察しはつきますが、代替わり後も両殿下のお人柄や大野先生の守秘義務からして、雅子さまのストレス源が明らかにされることはないでしょうね。
でも民草と主権の存する国民という二重規範を使い分ける身としては、宮内庁のリークに始まる腐敗や専横については国会での参考人招致がなされることを強く希望します。宮内庁とは、莫大な予算をどのように遣って何をしている省庁なのか、もうタブーのままに捨て置くべきではないという気がしてなりません。
この前は、私のコメント載せて戴いてありがとうございました。
さて、私が感じた素朴な疑問があるので、西田様へ質問したいと思います。
かつて、皇后様がお二人目のお子様を流産なさってから、体調が優れず、お心までお病みになり、昭和40年前後に、あの有名な神谷美恵子さんを’相談相手’とされていた時期がありました。その神谷先生からは、実質カウンセリングを受けておられていた、という話です。
今現在は、雅子様が、慶応大学の大野先生にカウンセリングなど治療を受けておられます。
その大野先生と皇后様の謂わば’主治医’だった神谷先生と、どのような違いがあるのでしょうか?もし、立場が同じだった場合、どうして、神谷先生はよくて、大野先生は「駄目だ」と宮内庁は言うのでしょうか?ここに、あまりにも、何か「理不尽さ」を感じるのですが。
それと、大野先生は、東宮が謂わば’ポケットマネー’で雇った「私的な医師」と言われています。皇后様の場合はどうだったのでしょうか?神谷先生は、当時の東宮が、私的に雇った医師だったのでしょうか?
もし、皇后様が、ご自分が昔も、同じ立場であって、相談相手として、精神科の医師を雇われていたという事をお忘れになられていた、としたら、到底納得がいきません。
私は、大野先生の話を聞くたびに、神谷先生の事が頭に浮かんでくるのです。
本当に、大野先生と神谷先生、どこが違うのでしょうね。
ただ,キンドレッド・ソウルという言葉を聞いたことはあって,とても印象に残っているのですが,とても,精神的に辛い状況に陥ったことがあって,そういう状況下において,優れた精神科医と深い心の繋がりを持ったということでは,同じなのではないかと,思っています。
家族のうつ病治療の過程で見知ったことですが、大野先生と神谷先生と比べることはナンセンスだと思います。
患者も違いますし、時代も違います。
雅子様が遅々としてではありますが、ご回復されていることを思いますと、一応大野医師の治療が雅子様にはあっている、ということだと思います。
大野医師は認知行動治療の専門家と言うことですが、どの治療方法が良いとか悪いとかではなく、患者さんの状態によって、認知行動療法を行う時期というものがあるそうで、薬物療法などもちろん組み合わせます。
またお薬もさまざまで、新薬も出ていますし、投薬方法時期など、どの薬をどのように使用するか、治療に携わる先生の細かい指導のもと決定されていくようですが、宮内庁の金澤医務主管は精神科の医師でいらっしゃるようですので、専門医としても詳しく知りたいところでしょう。
しかし患者さんとの信頼関係が、治療の最も大きな柱である精神科治療は、なかなか技術とか投薬のノウハウだけでは決まらないところがあるそうです。
患者さんも治療しながら自分の病気に対し理解を深めて納得していくことが重要だそうですので、妃殿下の場合「治りました」とご自分で勝手に納得されてしまうようなことがあると(お立場上焦られるということは十分に考えられることですので)、またぶりかえしてしまいます。
それを防止するためにも特に慎重さが必要とか。
そんなことを考え合わせますと、宮内庁のしがらみのない医師の方が、より自由な治療をほどこすことができるのではないか、そのための大野医師抜擢ではないかと思われるのです。
患者と医師だけでなく、まわりの人間がそれぞれの立場で快復のためにはどのようなことが重要であるか、理解することが先決なわけですが、これがまた難しいです。
頭でわかっていても、日常の具体的なこととなりますとなかなか出来ないのです。
ここのところを皇太子様がよくおわかりになっておられるようで、妃殿下には大きな力になっておられると思うのですが、まわりにいる地位的に強い力を持つ者が、「良し」と思うことが案外独善的あったりするので、妃殿下のような犠牲者が出るのではないか、と思います。
国民の象徴として立つ方々には、治療中であれ、治療後であれ、ぜひ偏りのない考えを持っていただき、深い理解をお示しいただきたいと思います。
ながながとすみませんでした。