世の中の状況は,これからますます厳しい。
その厳しいというのも,今をしのげば,また楽な時期がやってくるというような,そういう期待のできるものではない。
これからの日本の社会は,今まで当然だと思っていた制度が成り立たなくなり,制度の恩恵も享受できなくなることは,間違いない。
それでも,もちろん,生きていく道はあるわけであり,絶望するのも早計であるのかもしれない。
ただ,世の中全体において,切換が十分でない中で,「これから」に備えるということは,とても困難なことである。
多くの人々は,何となく,このままではダメだろうなと思いつつ,これまで通りの生活を続け,将来についても,その延長で計画を立てるしかない。
しかし,備えができないままでは,生き残ることは難しくなっていくだろう。
これからは,大きな変化の時代であり,それは要するに,今まで当てにしていたものが当てにできなくなるということである。
世の中から無自覚に享受していた恩恵について,無自覚なままでいるということは,危うい。
首相官邸のホームページにおいて,「社会保障と税の一体改革について」(平成24年2月17日)と題する総理のビデオメッセージが掲載されている。
野田総理の政治家としての評価,政策への評価については,いろいろな意見があるであろうけれども,例えば,以下のような認識を正直に訴えていることについては,評価したいと思う。
----引用開始----
2つめは、「持続可能な仕組み作り」が、待ったなしであります。日本の社会保障の根幹は昭和36年に出来ました。国民皆年金、国民皆保険制度の創設でございます。その頃は、多くの働き盛りの若者が1人のお年寄りを支える、いわば「胴上げ」型の社会でした。今は1人のお年寄りを3人で支える、いわゆる「騎馬戦」型の社会になりました。これから約40年もすると、今度は1人が1人を支える「肩車」の時代になります。「肩車」の社会を、ぜひ皆さん、想像してください。下で支える一人が病気になったり、仕事がなくなったりすればどうなるでしょうか。それは、「およそ40年後」と申し上げました。今の若者たちが40年後には肩の上に乗る世代になるのです。そのことをぜひ十分に念頭に入れていただきたいと思います。
----引用終了----
人口構成の変化ということから,これはずっと昔から,予測されてきた話ではあった。
単純な算数の問題だったのである。
しかし,ずっと大丈夫ですよと言われ続けてきた。
そして,今,そのことの責任をとる者は,もはやどこにも存在しない。
年金の問題だけではなく,これからの日本は,個人の生き方,家族の在り方,自治体の在り方,国家の在り方などについて,今まで当てにしてきたものが当てにできなくなるということを十分に留意しつつ,望ましい在り方の再検討が必要になってくると思う。
さて,このブログの主要なテーマである「皇室」について考えてみると,平成24年2月18日に,天皇陛下が心臓のバイパス手術を受けられ,連日,報じられている。
手術は,万全の体制で行われており,筆者としても,手術自体については心配していなかったのであるが,天皇陛下の御負担ということについては,改めて痛感させられることとなった。
天皇陛下は,現在,78歳でおられ,多くの御公務をこなされてきた。
そして,その御公務を,これからもこなされる御意向であるという。
御公務が,御負担になっていることは,間違いない。
しかしだからといって,御公務を削ればいいということにはならない。
御負担なら削ればいいというような発想は,おそらく陛下のお立ち場への無理解,無知によるものと,言うしかない。
天皇陛下は,日本国憲法第1条により,日本国の象徴であり,日本国民統合の象徴であると規定され,一般国民とは異なる存在であるとされる。
では,その象徴とはどういうことかとなると,どこにも決まった答えというものはない。
それでいて,無数の日本国民から,常に注視され,様々なイメージが投影され,期待もされ続ける。
注視されることのないような存在であれば,アイデンティティが不明確であっても適当に妥協してしまうことが可能であろうけれども,そういうわけにはいかないのである。
ご即位20年に際しての記者会見において,陛下は「私は,この20年,長い天皇の歴史に思いを致し,国民の上を思い,象徴として望ましい天皇の在り方を求めつつ,今日まで過ごしてきました。質問にあるような平成の象徴像というものを特に考えたことはありません。」とお述べになられた。
この御発言については,筆者は当初,陛下の真面目さが現れているものとのみ感じ取ったのであるが,今改めて考えると,常に模索し続けなければならない宿命がその背景にあるようにも感じるのである。
そのことについて,もちろん,陛下におかれて苦痛と感じておられるわけではないであろうし,有り難いことに,とても生き甲斐として感じておられるように拝察するのであるが,それでも,そのような宿命は宿命として,存在するのではないか。
そして,そのような宿命を背負う存在は,象徴としての在り方を常に模索し,御公務に励まざるを得なくなると思うのである。
そのようなお立場に思いを馳せることもなく,簡単に御公務を削ればいいというのは,あまりに乱暴な話であろう。
では,それではどうすればいいかであるが,象徴というお立場に基づく宿命ということまで遡るのであれば,結局は,象徴天皇制の存続ということについて,改めて考えてみるということから,始めるしかないのではないかと思う。
象徴天皇制は,そこに置かれた生身の方々に,犠牲を強いることで成り立つものである。
象徴天皇制の存続を支持する立場としては,そのような犠牲について,一体どう捉えるかということが,本来,大きな問題であるはずである。
単に,有り難がるだけでは,不十分なのではないかと思うのである。
そのことは,筆者としても,心の奥底で,ずっと感じてはいたのである。
ただ,正直なところ,その問題については,天皇皇后両陛下も前向きに取り組んでおられるのであるから,それでいいではないかという程度の認識で,目をつむってしまっていたのである。
しかしながら,さすがに,御高齢で御手術を受けられ,それでいて御公務をなお続けられようとされるお姿を前にして,両陛下の存在を当然のものとして当てにし続けてはいけないのではないかと思うのである。
最近の女性宮家の問題というのも,皇室としての御活動の継続ということが目的のようである。
女性宮家創設のための皇室典範改正というのは,随分と中途半端なもののように感じていたのであるが,これは,そこまでしてでも象徴としての責任を果たしたいという御意向が背景にあるということなのかもしれない。
そうであるとすると,御意向を受けて御意向に沿った皇室典範改正をということが,一つの受け止め方であろうと思うし,皇室を大事に思う立場としては,当面は,それしかできないということになるのかもしれないが,国民の側として,もう一歩踏み込んで,陛下に,皇室に,そこまでしていただかなくても大丈夫なようにやっていきますというような,意識の改革が必要なのではないかと思うのである。
天皇と国民の関係を,親と子の関係に譬えるとして,親が年老いていけば,ある時期で,子どもは自分の力で生きていくことが必要となるのであろう。
ある時期で,これからは自分の力でやっていきますという心構えが必要となるのではないかと思うのである。
子どもの成長が,まだまだ不十分というような段階であっても,そうも言ってはいられないというケースも,世の中には多々ある。
陛下も御高齢であり,そして,象徴天皇制という制度自体についても,女性宮家創設のようなことも考えなければならないような状態に追い込まれており,これから先も,これまでどおりというように,当然のように当てにするのは,間違っていると思う。
当てにすることから脱却し,例えば,象徴天皇制がない日本となった場合においても,しっかりとやっていけるような国の在り方というものを,国民の側としても模索するべきなのではないかと思う。
筆者としては,このように述べたとして,象徴天皇制の廃止を主張しているわけではない。
象徴天皇制が廃止になった場合でも大丈夫なような国の在り方というものをまともに考えたとき,返って,御公務の一つ一つの意義を深く理解されることになると思うからである。
先ほどの譬えで言えば,独り立ちを始めようとした子どもが,その段階になって初めて,今までどれくらい親から守られてきたのかに気づくというようなことがあると思うからである。
そして,筆者としては,象徴天皇制がこれだけ長く続いてきた制度である以上,無くても大丈夫なような国の在り方には,簡単には到達できないであろうとも思うのである。
*仮に到達できたとしても,廃止する必要はない。
さて,おそらくは,いつまで経っても到達はできないにしろ,そのような独り立ちの努力を重ねてこそ,陛下に対し,御負担軽減のために御公務を控えていただくよう,お願いするだけの資格を得るということになるのではないかと思う。
その厳しいというのも,今をしのげば,また楽な時期がやってくるというような,そういう期待のできるものではない。
これからの日本の社会は,今まで当然だと思っていた制度が成り立たなくなり,制度の恩恵も享受できなくなることは,間違いない。
それでも,もちろん,生きていく道はあるわけであり,絶望するのも早計であるのかもしれない。
ただ,世の中全体において,切換が十分でない中で,「これから」に備えるということは,とても困難なことである。
多くの人々は,何となく,このままではダメだろうなと思いつつ,これまで通りの生活を続け,将来についても,その延長で計画を立てるしかない。
しかし,備えができないままでは,生き残ることは難しくなっていくだろう。
これからは,大きな変化の時代であり,それは要するに,今まで当てにしていたものが当てにできなくなるということである。
世の中から無自覚に享受していた恩恵について,無自覚なままでいるということは,危うい。
首相官邸のホームページにおいて,「社会保障と税の一体改革について」(平成24年2月17日)と題する総理のビデオメッセージが掲載されている。
野田総理の政治家としての評価,政策への評価については,いろいろな意見があるであろうけれども,例えば,以下のような認識を正直に訴えていることについては,評価したいと思う。
----引用開始----
2つめは、「持続可能な仕組み作り」が、待ったなしであります。日本の社会保障の根幹は昭和36年に出来ました。国民皆年金、国民皆保険制度の創設でございます。その頃は、多くの働き盛りの若者が1人のお年寄りを支える、いわば「胴上げ」型の社会でした。今は1人のお年寄りを3人で支える、いわゆる「騎馬戦」型の社会になりました。これから約40年もすると、今度は1人が1人を支える「肩車」の時代になります。「肩車」の社会を、ぜひ皆さん、想像してください。下で支える一人が病気になったり、仕事がなくなったりすればどうなるでしょうか。それは、「およそ40年後」と申し上げました。今の若者たちが40年後には肩の上に乗る世代になるのです。そのことをぜひ十分に念頭に入れていただきたいと思います。
----引用終了----
人口構成の変化ということから,これはずっと昔から,予測されてきた話ではあった。
単純な算数の問題だったのである。
しかし,ずっと大丈夫ですよと言われ続けてきた。
そして,今,そのことの責任をとる者は,もはやどこにも存在しない。
年金の問題だけではなく,これからの日本は,個人の生き方,家族の在り方,自治体の在り方,国家の在り方などについて,今まで当てにしてきたものが当てにできなくなるということを十分に留意しつつ,望ましい在り方の再検討が必要になってくると思う。
さて,このブログの主要なテーマである「皇室」について考えてみると,平成24年2月18日に,天皇陛下が心臓のバイパス手術を受けられ,連日,報じられている。
手術は,万全の体制で行われており,筆者としても,手術自体については心配していなかったのであるが,天皇陛下の御負担ということについては,改めて痛感させられることとなった。
天皇陛下は,現在,78歳でおられ,多くの御公務をこなされてきた。
そして,その御公務を,これからもこなされる御意向であるという。
御公務が,御負担になっていることは,間違いない。
しかしだからといって,御公務を削ればいいということにはならない。
御負担なら削ればいいというような発想は,おそらく陛下のお立ち場への無理解,無知によるものと,言うしかない。
天皇陛下は,日本国憲法第1条により,日本国の象徴であり,日本国民統合の象徴であると規定され,一般国民とは異なる存在であるとされる。
では,その象徴とはどういうことかとなると,どこにも決まった答えというものはない。
それでいて,無数の日本国民から,常に注視され,様々なイメージが投影され,期待もされ続ける。
注視されることのないような存在であれば,アイデンティティが不明確であっても適当に妥協してしまうことが可能であろうけれども,そういうわけにはいかないのである。
ご即位20年に際しての記者会見において,陛下は「私は,この20年,長い天皇の歴史に思いを致し,国民の上を思い,象徴として望ましい天皇の在り方を求めつつ,今日まで過ごしてきました。質問にあるような平成の象徴像というものを特に考えたことはありません。」とお述べになられた。
この御発言については,筆者は当初,陛下の真面目さが現れているものとのみ感じ取ったのであるが,今改めて考えると,常に模索し続けなければならない宿命がその背景にあるようにも感じるのである。
そのことについて,もちろん,陛下におかれて苦痛と感じておられるわけではないであろうし,有り難いことに,とても生き甲斐として感じておられるように拝察するのであるが,それでも,そのような宿命は宿命として,存在するのではないか。
そして,そのような宿命を背負う存在は,象徴としての在り方を常に模索し,御公務に励まざるを得なくなると思うのである。
そのようなお立場に思いを馳せることもなく,簡単に御公務を削ればいいというのは,あまりに乱暴な話であろう。
では,それではどうすればいいかであるが,象徴というお立場に基づく宿命ということまで遡るのであれば,結局は,象徴天皇制の存続ということについて,改めて考えてみるということから,始めるしかないのではないかと思う。
象徴天皇制は,そこに置かれた生身の方々に,犠牲を強いることで成り立つものである。
象徴天皇制の存続を支持する立場としては,そのような犠牲について,一体どう捉えるかということが,本来,大きな問題であるはずである。
単に,有り難がるだけでは,不十分なのではないかと思うのである。
そのことは,筆者としても,心の奥底で,ずっと感じてはいたのである。
ただ,正直なところ,その問題については,天皇皇后両陛下も前向きに取り組んでおられるのであるから,それでいいではないかという程度の認識で,目をつむってしまっていたのである。
しかしながら,さすがに,御高齢で御手術を受けられ,それでいて御公務をなお続けられようとされるお姿を前にして,両陛下の存在を当然のものとして当てにし続けてはいけないのではないかと思うのである。
最近の女性宮家の問題というのも,皇室としての御活動の継続ということが目的のようである。
女性宮家創設のための皇室典範改正というのは,随分と中途半端なもののように感じていたのであるが,これは,そこまでしてでも象徴としての責任を果たしたいという御意向が背景にあるということなのかもしれない。
そうであるとすると,御意向を受けて御意向に沿った皇室典範改正をということが,一つの受け止め方であろうと思うし,皇室を大事に思う立場としては,当面は,それしかできないということになるのかもしれないが,国民の側として,もう一歩踏み込んで,陛下に,皇室に,そこまでしていただかなくても大丈夫なようにやっていきますというような,意識の改革が必要なのではないかと思うのである。
天皇と国民の関係を,親と子の関係に譬えるとして,親が年老いていけば,ある時期で,子どもは自分の力で生きていくことが必要となるのであろう。
ある時期で,これからは自分の力でやっていきますという心構えが必要となるのではないかと思うのである。
子どもの成長が,まだまだ不十分というような段階であっても,そうも言ってはいられないというケースも,世の中には多々ある。
陛下も御高齢であり,そして,象徴天皇制という制度自体についても,女性宮家創設のようなことも考えなければならないような状態に追い込まれており,これから先も,これまでどおりというように,当然のように当てにするのは,間違っていると思う。
当てにすることから脱却し,例えば,象徴天皇制がない日本となった場合においても,しっかりとやっていけるような国の在り方というものを,国民の側としても模索するべきなのではないかと思う。
筆者としては,このように述べたとして,象徴天皇制の廃止を主張しているわけではない。
象徴天皇制が廃止になった場合でも大丈夫なような国の在り方というものをまともに考えたとき,返って,御公務の一つ一つの意義を深く理解されることになると思うからである。
先ほどの譬えで言えば,独り立ちを始めようとした子どもが,その段階になって初めて,今までどれくらい親から守られてきたのかに気づくというようなことがあると思うからである。
そして,筆者としては,象徴天皇制がこれだけ長く続いてきた制度である以上,無くても大丈夫なような国の在り方には,簡単には到達できないであろうとも思うのである。
*仮に到達できたとしても,廃止する必要はない。
さて,おそらくは,いつまで経っても到達はできないにしろ,そのような独り立ちの努力を重ねてこそ,陛下に対し,御負担軽減のために御公務を控えていただくよう,お願いするだけの資格を得るということになるのではないかと思う。










今回の記事で西田様は「皇室を当たり前のものとし有難く戴いておれるような社会情勢ではなくなる可能性」に言及されつつも、今回の典範改正については、そうするしかないのでは、という受け止め方をされていると拝察いたしました。
ここで、世代間の格差が生じるのかと感じました。
私は、野田総理の文章が問題にしている40年後に、(まだ)平均寿命に達していない世代です。
この世代は、現在の社会のシステムに大いに不満があります。
数年前、大蔵省出身の財務大臣が社会保障の制度改革の必要性を訴えるときに言ってました。
「現在の年金制度は、(自分が大蔵省に入省した)40年ほど前に出来たもので、その当時の平均寿命は67歳くらいで、それを基準に制度設計されていた。だから年金は満額払っていても、自分の払ったモノは7〜8年で使い果たしてる。制度として破綻してる」という趣旨でした。
先日も元官僚がテレビで
「今のシステムを維持するには消費税を35%にしても難しい」と語ってました。
数日前の国会では、介護保険を現在の倍額にするか、二十歳から徴収するか、という議論をしていました。
現在の社会保障のシステムが破綻することは(あるいは破綻していることは)ずいぶん以前から明白だったと思います。
それを、問題を見ようとせず解決を先送りし、今際の際になって、全く現在のシステムの恩恵を受けることの出来ない世代にツケを押し付ける。
私より若い世代はこの国の未来に絶望しています。
そして今回の女性宮家の設立についてのアンケートで、唯一「反対」を唱えているのが、この若い世代です。
数十年後、悠仁様と共に生きていく世代の理解を得にくい制度を、その時代に責任の持てない人々の気休めのために成立させるべきでないと思います。
皇位継承権者が確保でき安定的な皇室が維持できるのであればまだしも、当主も皇位継承権者でない、まして夫や子供は何者か分からない位置づけ怪しい皇族が存在することこそ、皇室への反感を高めると思います。
国民が総じて下流化している社会と皇室が共存していくためには、公務の質と量を徹底的に精査し、皇室も宮内庁もコンパクトにならざるを得ないと思います。
現在のようなコウムを分担するために位置づけ怪しい宮家を確保する、という悠長な事が受け入れられるような社会ではないと確信します。
本当に国民と共にある皇室を願うなら、(典範を改正して、国民の反感を買うことになりかねないコウム分担要員を確保するより)、悠仁様には国事行為と祭祀のみに専念していただき、男系男子を誕生させて頂くように御健康に留意していただく方が、貴重で有難味が増すように思えます。
予測可能で明白な問題点を放置し、未来に禍根を残すような典範改正をするより、未来は未来の人が考えた方が良いです〜その時、悠仁様しかいらっしゃらない、なんて詭弁は通用しません。今回の改正でも皇位継承権者は一人しか存在しないのですから〜
私は、若い世代が怒っている社会保障システムの問題点から類推して、現在の典範改正には反対です。
皇族にイベント参加を求める者から、宮内庁職員が袖の下をもらっているという噂です。
皇族が減ると困るから、女性宮家を創設したいというのは、
コンパニオン派遣業者が、
コンパニオンが減ることを心配して、対策を講じようとしているというのと似ていますね。
こんな皇族をコンパニオン扱いする宮内庁だから、皇太子様や妃殿下に対して冷たいのかもしれませんね。
特に、コンパニオンとして働いてくれない皇太子妃に、不満を募らせているとか・・・・・
山歩きさんの言われるとおり、この皇室典範の変更によって、女性宮家を増やしたとしても、
皇位継承者が増えるわけではないのですから、
皇位継承者が途絶える心配が、減るわけではありません。
そんな事のために財政難の日本が、わざわざ法律をいじってまで、皇族を増やす必要はないと私も思います。
私は時々こちらを拝見している、不真面目な訪問者です。
今日この記事を読み、おどろいたので、投稿させていただきます。
いま皇室を巡ってさまざまなことが議論されています。その中には、面白半分のものもあり、確たる証拠もないのに、皇族方がこのような行為をされたとか、この方とあの方に確執があるとか、いうことが世上出回っており、はなはだ遺憾なことであると常日頃から思っています。
皇族方はそのお立場から反論される機会をお持ちでないので、こういった憶測をなすことは非常に卑怯な振る舞いだと思っております。
故坂本多加雄氏が述べていたように、演劇を論じる場で舞台裏の役者のことを論じている感があります。
さて、このたびの西田様の記事で違和感を感じたのは、「象徴天皇制がない日本となった場合においても,しっかりとやっていけるような国の在り方というものを,国民の側としても模索するべき」という部分です。
うまくいえないので申し訳ないのですが、これは皇室を取替え可能な機会の1部分と見ているようにとれますし、国家・国民の性質は意識的に変更可能といわれているように見えます。
私が思いますに、皇室と国民の関係は歴史的に形成されたものであるので、意識的にこの方向に変えていくというのは、ないものねだりではないかと思います。無論無意識的にこの関係が構築されたのでもなく、長い時代の間様々な人々がいろいろなことを行い、その結果意図せざる結果できたのではないでしょうか。
これからの皇室を考えるのに、短兵急に考えるのは非常に危うく思われます。私は陛下のご体調、皇族方のご体調に、大変ご心配申し上げます。
しかし、それからすぐ制度改革や国民の意識改革に進むのではなく、例えば、失礼ながらある公務は皇族の方、侍従をご名代で行っていただくことも可能ではありませんか。無論皇室について議論をしてはならないといっているのではありません。議論は大いに結構なのですが、これまで皇室がのっとってきた文脈を無視して思い思いに議論を展開するのは、いかがと思います。
いつも慎重な西田さんがこのような記事を掲載されたので、乏しい文章力にもかかわらず、投稿いたしました。礼を失するところがありましたら、ご容赦ください。
最後に西田様が保守派といって批判している人について一言。あの人たちは私から見れば保守ではなく、ただ右翼です。「保守」とは、全然違う思考方法で論を展開しているので、私はあの人たちの文章は読みません。
さて、今から1週間前の皇太子様のお誕生日に、スウェーデン王室で実におめでたい慶事があったの御存知でしょうか?
ビクトリア皇太子が、次の次のスウェーデン国家元首でかつ女王となる王女をご出産されあそばしたのです。
日本での用語でいいますと「女系の女王」となります。
ニュースのURLは↓です。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2860353/8530504
皇太子様のお誕生日に、異国とはいえ、日本で論争になっている「女系の女帝誕生」、これって何かの紙の啓示ではないでしょうか?
例の巨大掲示板では黙殺・無視されたニュースです。
黙殺・無視ぐあいを、この1週間、観察していると明らかに男系派天皇論者を刺激したニュースだったといえるでしょう。
それに今になっても、外国王室との交際にあれ程熱心だった天皇皇后両陛下が祝意を示した、というニュースは報じられていません。まるで「女系女王の誕生」は無視したい、という感じです。この祝意を示した、というニュースが流れ男系天皇論者を刺激したくない、といわんばかりです。
この1週間ほどのこのスウェーデン王室を巡る両陛下と宮内庁の動き、どう解釈すればいいのでしょうか?
はじめまして、関連する他のサイトを通じて、貴サイトの存在を知り、今回初めて投稿させて頂きます。
他の方のコメントを拝読しても様々なご意見があるようですが、私は、現在の皇室のご活動を維持・継続することを主たる目的とした、一代限りの女性宮家創設の動きには、下記の理由から強い疑問を抱いております。
そもそも現行憲法典は、天皇の国事行為を同6条ないし7条所定のものに限定しており、それ以外の公的行為(いわゆるご公務)は、その根拠を象徴としての地位に求めるか、公人としての公的地位に求めるかは別として、本来的な公務でないことは明らかです。
本質的でない(そもそも憲法上認められるかについてすら疑義がある)「ご公務」を維持するために、宮家を創設するというのは議論が逆立ちしているように思われます。現在の「ご公務」が両陛下や皇族の皆様方のご負担になっているというのであれば、ご公務それ自体を見直すべきでありましょう。
皇統の危機を正視して、皇位継承問題と一体的に女性宮家創設を論じることは必要ですし、非常に意義があると思料致しますが、現在のように、皇位継承問題を先送する形で、女性宮家創設を決定することは不適切であり、このままでは先々に禍根を残す結果になりかねないと憂慮致します。
乱文ご容赦下さいませ。
東日本大震災から1年が経過しましたが、現在も我が国は原発の再稼働、汚染瓦礫の処理、復興に向けた増税、首都直下型地震への対応など、困難な問題が山積しています。そのような中で突如湧いてきた「火急な女性宮家創設案」や手術を終えた陛下の公務について、そこにどうしても陛下の「身勝手」ともいえる「御意」が感じられるので、不敬と理解しつつ、自分なりに意見を述べさせていただきたく思います。
まず女性宮家案について。この案は、当初からなぜか「今上陛下の孫にあたる3人の内親王に限って宮家を創設する」という結論ありきで話が進められています。しかも、この女性宮家はあくまでも「将来不足する公務要員の確保」「将来一人になってしまう悠仁親王を支えるため」というその場しのぎのものでしかなく、最初から「男系男子維持派に考慮して」女性天皇・女系天皇の議論は蚊帳の外に置かれたままです。5人の女王の立場もスルーされています。
先日、「皇室の伝統・文化を守る議員連盟」会長であり男系維持派でもある中井洽議員は「(男系である)旧皇族の復帰は困難だ」と難色を示しました。その一方で何人かの有識者が、「降嫁した黒田清子さんも皇族に復帰させるのが良い」と言い出しました。一体、これは何を意味するのでしょうか。
仮に男系男子派に考慮するなら、男系である旧皇族復帰よりも、女系につながる女性宮家案や清子さん復帰案にこそ明確に反対するべきです。しかし男系維持派の中井議員は、なぜか逆の立場をとり、女性宮家案や清子さん復帰案には難色を示さないのに、男系の旧皇族復帰案には難色を示したのです。おかしいと思いませんか?
これは、今上陛下に近い立場にある3人の内親王(特に成年を迎えた眞子様)や清子さんを皇室に残したい、それ以外の案は絶対に受け入れない、という確固たる陛下の御意の表れにほかならないからだと思うのです。ここ数年、陛下と美智子皇后は東宮ご一家に冷たく、秋篠宮一家とばかり静養や食事会をともにしています。先日の静養も、相変わらず秋篠宮夫妻と悠仁親王だけを葉山に呼んでいました。また両陛下は、以前から旧皇族や秋篠宮以外の宮家とは疎遠であると言われてきました。言われてみれば、両陛下が旧皇族や三笠宮・高円宮家と懇意にしているという話はほとんど聞いたことがありません。いつも懇意にしている相手は、秋篠宮一家や清子さんばかりです。
こういう状況から察すると、今回の女性宮家案は陛下の御意から来ているものだと考えざるをえません。陛下のお考えは以下の通りで、これ以外の案は絶対に議論の俎上にすら上がらないでしょう。
・あくまでも皇位継承は徳仁様の次は秋篠宮→悠仁親王の順番を崩さない。愛子様を立太子させ、女帝にする案は絶対に認めない。
・自分たちと疎遠の旧皇族復帰は、たとえ男系であっても認めない。
・同じく、自分たちとは疎遠の三笠宮・高円宮家の5人の女王に女性宮家は作らせない。あくまで断絶を望む。
・一番お気に入りの秋篠宮家の3人のお孫さんたちは必ず全員皇室に残したい。
・愛子様も内親王なので皇室に残してもいいが、あくまでも「一宮家当主」として悠仁親王を支え、公務要員でしか残すつもりはない。
・実の娘の黒田清子さんもついでに皇族に戻したい。
結局、「男系維持」「皇室の長期安泰・発展」というのは建前でしかなく、両陛下の身勝手な私的希望を叶えんとするくだらない案でしかないと感じます。自分たちの「身内」で皇室を独占し、疎遠な血筋はどんどんいなくなってくれて構わない、という冷酷な希望です。その両陛下のご希望と、秋篠宮一家の「自分たち中心の皇室作りがしたい」という野望が、見事に一致したのでしょう。
少し考えれば、「成年を迎えた眞子様が降嫁する前に女性宮家案を急がねばならない」ということと、「いったん降嫁した清子さんも皇室に戻すのがよい」ということは矛盾をはらむのが分かります。いったん降嫁した清子さんが皇族に戻れるなら、眞子様だっていったん降嫁してもすぐに皇族に戻れるということになってしまいます。それなら、何も「火急の件」といって急いで眞子様に宮家を創設する緊急性はどこにもないはずです。有識者はこの矛盾点・不整合に気付いているのでしょうか。
次に、陛下の手術と公務について。本日10日付で、皇太子様の国事行為臨時代行は解除され、陛下の公務復帰が正式に決定されました。今日は英国のキャメロン首相が来日する日です。更にいえば、今日は両陛下が昭和34年に結婚された日でもあります。今日、どうしても陛下が公務復帰する必要があったということでしょう。
陛下は手術前後から、理解しがたい行動を繰り返してきました。手術前日の秋篠宮夫妻だけとの食事会、退院してすぐに秋篠宮一家とだけ面会、その日の夜に黒田夫妻と食事会、翌日にはまた秋篠宮夫妻と食事会。そのせいなのか、胸に水が溜まり処置。日常の目立たない執務は皇太子様の国事行為臨時代行に任せているのに、3月11日の大震災追悼式など、カメラが入り人前に出る目立つ公務にだけは「強く出席を希望」と報道される。クウェート首相との晩餐会も当初は出席を希望していたとか。しかし晩餐会には出ないのに、眞子様の2度目の成年祝いにはしっかり出席する(震災に考慮して初めてお祝いを行ったと嘘の報道までさせて)。
しかし、両陛下の最終目的は、5月の「英国訪問」でしょう。早い段階から「英国行きに合わせて手術に踏みきった」「陛下は英国行きに強い意欲を示している」と報道されていました。今日4月10日に公務復帰したのも、どうしても自分たちの英国行きを取り付けるためにキャメロン首相に会いたかったのと、自分たちの結婚祝いを心おきなく行いたかったことが理由だと思われます。
皇太子様は研究発表のためのフランス行きを国事行為臨時代行のために取りやめ、日常的な執務をコツコツとこなされてきたのに、陛下は「公務の選り好み」をし、国民の前に姿を見せられる公務だけに「強い意欲」を示し、自分の都合に合わせて皇太子様の名代を利用しているようにしか見えませんでした。なぜ、追悼式出席を皇太子ご夫妻にお任せしなかったのか?なぜ英国行きを皇太子ご夫妻にお譲りしないのか?なぜ晩餐会には出ないのに、孫の成年祝いはできるのか?それなのになぜ、陛下は雅子様のような批判を受けないのか?
世間には、「皇太子ご夫妻がきちんとしないから両陛下が出ざるをえない」「陛下に公務の無理強いをさせている連中がいる」と、今でも間違った解釈をしている人がいます。しかし、事実はただ一つ、「ただ、両陛下が国民の前に姿を見せる公務をしたいから、海外に行きたいから皇太子ご夫妻に次を譲らないだけ」なのです。これまでの言動はすべて両陛下自らの「意思」でしかないのです。
矛盾点や破綻が見える女性宮家案も、陛下の気まぐれに見える公務復帰も、すべて陛下の身勝手な御意が生んだものです。私はここ数カ月の報道を見て、確信しました。そこに秋篠宮夫妻がうまく取り入り、東宮ご夫妻は政治的な話題には口を挟むべきではないと律しているのだと思います。それなのにマスコミ(3流雑誌)が評価するのは両陛下や秋篠宮一家。決して出しゃばることのない東宮ご一家は、何をしてもしなくても相変わらずバッシング。これで、マスコミを牛耳っているのは誰なのか、もうさすがに分かるでしょう。
政府や宮内庁には何度か女性宮家案の欺瞞について意見を送りましたが、事態はさほど良くならず、むしろ清子さん復帰案が出てくるなど、どんどん予期せぬ方向に悪化しているように思います。この国にはもう民主主義はないのでしょうか。いつから陛下は独裁者になったのでしょうか。マスコミもだんまり。この国は北朝鮮を笑えません。もううんざりです。
フザケルナ 羽毛田宮内庁長官 稼いだカネは10億円
宮内庁トップに7年も君臨した羽毛田信吾長官(70)が、6月1日付で退任することが分かった。羽毛田氏といえば、09年12月、小沢一郎・民主党幹事長(当時)が、天皇と習近平・中国国家副主席の会見を押し込んだことに「政治利用だ!」と大騒ぎした人物。「辞表を出してから言うべき」と言われ、「辞めるつもりはない」と居直ったのは記憶に新しい。
その羽毛田氏が突然、7年2カ月という中途半端な任期で退任する。「70歳という年齢を区切りとしたのだろう」という見方もあるが、宮内庁の報道室は「発表していない案件なので話せない」「長官に定年はない」と言うからよく分からない。
で、永田町ではこんな臆測も流れている。
「小沢復権と関係しているのではないか。小沢氏が座敷牢に閉じこめられているうちは大手を振っていられたが、無罪となり、党員資格停止処分も解除された。完全復権するのは時間の問題だから、その前に逃げ切りを図るつもりなのではないか」(政界関係者)
実際、羽毛田氏はまんまと“勝ち逃げ”しそうだ。京大法を卒業後、65年に厚生省入省。01年に厚生次官を退官後、宮内庁次長を4年務め、05年に宮内庁長官に就いた。これまでに得た生涯賃金はなんと、10億円に上るという。ジャーナリストの若林亜紀氏が言う。
「事務次官は年収2300万円で、退職金は9000万円。退官までに、おおむね5億円を受け取ります。続けて就任した宮内庁次長は年収1800万円なので、4年間で7200万円。宮内庁長官になると、公務員特別職で副大臣級の高給です。俸給月額144万1000円プラス地域手当で、年収は2800万円にもなる。7年間で2億円を得た計算です。通算11年の宮内庁勤めの退職金を計算したところ、2億円。これらを合計すると、生涯賃金はざっと10億円という数字になります」
埼玉県にある羽毛田邸は、敷地230平方メートルの大豪邸だ。退任後は左うちわの余生が約束されているが、その後も「渡り」を続けて、ベラボーな報酬をもらい続ける可能性だってある。不況で四苦八苦の民間とはエラい違いだ。
許し難いことに、宮内庁には“第2の羽毛田”“第3の羽毛田”も控えている。次の長官は元国交次官の風岡典之次長(65)だし、次長の後任は、元内閣府次官の山本信一郎氏(61)だ。
「宮内庁長官は前任が自治省元次官、その前は元警視総監、その前は厚生省出身の元環境庁次官と、旧内務省系の官庁トップの天下り先となっています。まず次長となり、それから長官に昇格するのが慣例。戦前の内務省は、官庁の中の官庁といわれたエリート官庁で、旧内務省系の官僚は今でもそれを誇っている。しかし、宮内庁長官を彼らの天下り指定席にするなど論外で、皇室に対する知見や思いがある人を就けないと、皇室の未来も日本の未来もありません」(若林亜紀氏=前出)
天皇の威光を隠れミノに、キャリア官僚が天下り天国でやりたい放題。こんなデタラメを許してはダメだ。
(日刊ゲンダイ2012年5月22日掲載)
・・・引用終了…
恐ろしい(笑)・・・。
だから何?と言われてしまいそうですが,森羅万象さんのコメントは,このブログに寄せられたコメント(非公開も含めて)の4000番目となります。
ありがとうございました。
私はいつでも西田様の応援団で、どのような状況になられても暖かく見守ります。
このブログにご恩を感じていますから。
羽毛田長官は東宮家に取り、良い存在なのか悪い存在なのか・・・。このような記事が出ても、別にわざわざ書かなくてもよい大味の記事ですし、単なる羽毛田長官バッシングでなく、羽毛田長官が東宮家寄りの行動を取るのでこのように書かれる、とさえ受け取ることの出来る最近の情勢です。