皇居の落書き

東宮家を応援するということを基本的なスタンスとしていますが、東宮派ではありません。

岐路

2012-02-22 00:22:15 | 皇室の話(2)
世の中の状況は,これからますます厳しい。

その厳しいというのも,今をしのげば,また楽な時期がやってくるというような,そういう期待のできるものではない。

これからの日本の社会は,今まで当然だと思っていた制度が成り立たなくなり,制度の恩恵も享受できなくなることは,間違いない。

それでも,もちろん,生きていく道はあるわけであり,絶望するのも早計であるのかもしれない。

ただ,世の中全体において,切換が十分でない中で,「これから」に備えるということは,とても困難なことである。

多くの人々は,何となく,このままではダメだろうなと思いつつ,これまで通りの生活を続け,将来についても,その延長で計画を立てるしかない。

しかし,備えができないままでは,生き残ることは難しくなっていくだろう。

これからは,大きな変化の時代であり,それは要するに,今まで当てにしていたものが当てにできなくなるということである。

世の中から無自覚に享受していた恩恵について,無自覚なままでいるということは,危うい。

首相官邸のホームページにおいて,「社会保障と税の一体改革について」(平成24年2月17日)と題する総理のビデオメッセージが掲載されている。

野田総理の政治家としての評価,政策への評価については,いろいろな意見があるであろうけれども,例えば,以下のような認識を正直に訴えていることについては,評価したいと思う。
----引用開始----
2つめは、「持続可能な仕組み作り」が、待ったなしであります。日本の社会保障の根幹は昭和36年に出来ました。国民皆年金、国民皆保険制度の創設でございます。その頃は、多くの働き盛りの若者が1人のお年寄りを支える、いわば「胴上げ」型の社会でした。今は1人のお年寄りを3人で支える、いわゆる「騎馬戦」型の社会になりました。これから約40年もすると、今度は1人が1人を支える「肩車」の時代になります。「肩車」の社会を、ぜひ皆さん、想像してください。下で支える一人が病気になったり、仕事がなくなったりすればどうなるでしょうか。それは、「およそ40年後」と申し上げました。今の若者たちが40年後には肩の上に乗る世代になるのです。そのことをぜひ十分に念頭に入れていただきたいと思います。
----引用終了----

人口構成の変化ということから,これはずっと昔から,予測されてきた話ではあった。
単純な算数の問題だったのである。
しかし,ずっと大丈夫ですよと言われ続けてきた。
そして,今,そのことの責任をとる者は,もはやどこにも存在しない。

年金の問題だけではなく,これからの日本は,個人の生き方,家族の在り方,自治体の在り方,国家の在り方などについて,今まで当てにしてきたものが当てにできなくなるということを十分に留意しつつ,望ましい在り方の再検討が必要になってくると思う。

さて,このブログの主要なテーマである「皇室」について考えてみると,平成24年2月18日に,天皇陛下が心臓のバイパス手術を受けられ,連日,報じられている。
手術は,万全の体制で行われており,筆者としても,手術自体については心配していなかったのであるが,天皇陛下の御負担ということについては,改めて痛感させられることとなった。

天皇陛下は,現在,78歳でおられ,多くの御公務をこなされてきた。
そして,その御公務を,これからもこなされる御意向であるという。

御公務が,御負担になっていることは,間違いない。
しかしだからといって,御公務を削ればいいということにはならない。

御負担なら削ればいいというような発想は,おそらく陛下のお立ち場への無理解,無知によるものと,言うしかない。

天皇陛下は,日本国憲法第1条により,日本国の象徴であり,日本国民統合の象徴であると規定され,一般国民とは異なる存在であるとされる。

では,その象徴とはどういうことかとなると,どこにも決まった答えというものはない。
それでいて,無数の日本国民から,常に注視され,様々なイメージが投影され,期待もされ続ける。
注視されることのないような存在であれば,アイデンティティが不明確であっても適当に妥協してしまうことが可能であろうけれども,そういうわけにはいかないのである。

ご即位20年に際しての記者会見において,陛下は「私は,この20年,長い天皇の歴史に思いを致し,国民の上を思い,象徴として望ましい天皇の在り方を求めつつ,今日まで過ごしてきました。質問にあるような平成の象徴像というものを特に考えたことはありません。」とお述べになられた。

この御発言については,筆者は当初,陛下の真面目さが現れているものとのみ感じ取ったのであるが,今改めて考えると,常に模索し続けなければならない宿命がその背景にあるようにも感じるのである。

そのことについて,もちろん,陛下におかれて苦痛と感じておられるわけではないであろうし,有り難いことに,とても生き甲斐として感じておられるように拝察するのであるが,それでも,そのような宿命は宿命として,存在するのではないか。

そして,そのような宿命を背負う存在は,象徴としての在り方を常に模索し,御公務に励まざるを得なくなると思うのである。

そのようなお立場に思いを馳せることもなく,簡単に御公務を削ればいいというのは,あまりに乱暴な話であろう。

では,それではどうすればいいかであるが,象徴というお立場に基づく宿命ということまで遡るのであれば,結局は,象徴天皇制の存続ということについて,改めて考えてみるということから,始めるしかないのではないかと思う。

象徴天皇制は,そこに置かれた生身の方々に,犠牲を強いることで成り立つものである。
象徴天皇制の存続を支持する立場としては,そのような犠牲について,一体どう捉えるかということが,本来,大きな問題であるはずである。
単に,有り難がるだけでは,不十分なのではないかと思うのである。

そのことは,筆者としても,心の奥底で,ずっと感じてはいたのである。
ただ,正直なところ,その問題については,天皇皇后両陛下も前向きに取り組んでおられるのであるから,それでいいではないかという程度の認識で,目をつむってしまっていたのである。

しかしながら,さすがに,御高齢で御手術を受けられ,それでいて御公務をなお続けられようとされるお姿を前にして,両陛下の存在を当然のものとして当てにし続けてはいけないのではないかと思うのである。

最近の女性宮家の問題というのも,皇室としての御活動の継続ということが目的のようである。
女性宮家創設のための皇室典範改正というのは,随分と中途半端なもののように感じていたのであるが,これは,そこまでしてでも象徴としての責任を果たしたいという御意向が背景にあるということなのかもしれない。

そうであるとすると,御意向を受けて御意向に沿った皇室典範改正をということが,一つの受け止め方であろうと思うし,皇室を大事に思う立場としては,当面は,それしかできないということになるのかもしれないが,国民の側として,もう一歩踏み込んで,陛下に,皇室に,そこまでしていただかなくても大丈夫なようにやっていきますというような,意識の改革が必要なのではないかと思うのである。

天皇と国民の関係を,親と子の関係に譬えるとして,親が年老いていけば,ある時期で,子どもは自分の力で生きていくことが必要となるのであろう。
ある時期で,これからは自分の力でやっていきますという心構えが必要となるのではないかと思うのである。
子どもの成長が,まだまだ不十分というような段階であっても,そうも言ってはいられないというケースも,世の中には多々ある。

陛下も御高齢であり,そして,象徴天皇制という制度自体についても,女性宮家創設のようなことも考えなければならないような状態に追い込まれており,これから先も,これまでどおりというように,当然のように当てにするのは,間違っていると思う。

当てにすることから脱却し,例えば,象徴天皇制がない日本となった場合においても,しっかりとやっていけるような国の在り方というものを,国民の側としても模索するべきなのではないかと思う。

筆者としては,このように述べたとして,象徴天皇制の廃止を主張しているわけではない。
象徴天皇制が廃止になった場合でも大丈夫なような国の在り方というものをまともに考えたとき,返って,御公務の一つ一つの意義を深く理解されることになると思うからである。
先ほどの譬えで言えば,独り立ちを始めようとした子どもが,その段階になって初めて,今までどれくらい親から守られてきたのかに気づくというようなことがあると思うからである。
そして,筆者としては,象徴天皇制がこれだけ長く続いてきた制度である以上,無くても大丈夫なような国の在り方には,簡単には到達できないであろうとも思うのである。
*仮に到達できたとしても,廃止する必要はない。

さて,おそらくは,いつまで経っても到達はできないにしろ,そのような独り立ちの努力を重ねてこそ,陛下に対し,御負担軽減のために御公務を控えていただくよう,お願いするだけの資格を得るということになるのではないかと思う。
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