国会議員の秘書をしていたが、その議員は高知県選出、連日、上京する陳情団に接しなければならなかった、その頃から、司馬の「竜馬が行く」に疑問を持つようになる。
都会の人々はこうなのだが、ニッポンの地方、個人が確立していない、「共同体的個人」であり、近代的個人ではなさそうだ、個人の自覚がない、これは、そこから選出される国会議員も同じかもしれない。
明治神宮にやって来た婦人グループのリーダーが、
「ワタシなんか タクワン一切れでゴハン一ゼン 食べちゃうんだもんね」
いい大人が人前で言うセリフか、これをうんうんと聞いている、まだ明治維新が来ていない、今でもこうだから100年前はどうだったか、だから、あの坂本竜馬は、司馬の竜馬であり、実際とは違う、ところで金比羅(こんぴら)神社に奉納の石碑がある坂本家は、出雲系ではあるまいか。
司馬遼太郎の業績は、
1、日本人の歴史を取りもどした
2、台湾は台湾人のものである
3、「街道を行く」の収穫
1は、当時は左翼全盛で「ヒダリにあらずんば インテリにあらず」、ネコもシャクシもヒダリ、新聞・マスコミ・大学は、左翼主義者が支配しており、
「あの戦争は 侵略戦争であった」
「日本は アジアや世界に対して取り返しのつかないことをした」
「あやまってあやまって永久にあやまり続けなければ いけないんだ」
この間の憲法の日、NHKの番組でアツヌリのオンナ・アナが、この憲法で平和を持続でき、
「海外への暴力を ふるわずにすんだんです」
言わされているのだろうが、なんという情けなさ、カエルだって、もうちょっとマシだろう。
この元凶は、東大の丸山マサオあたりで、彼に教えられた学生たちが日本各地に分散して、そのタネを撒き散らしていった、そこに、司馬は日本の歴史を肯定し、日本人の誇りを取りもどしてくれた。
台湾の李登輝さんとの対談で、
「台湾は 台湾人のものです」
これが、共産中国の逆鱗(げきりん)に触れ、タイヘンな圧力をかけられ、文芸協会の理事を追放されているのではあるまいか。
ところで彼の小説だが、司馬は町人の出身で、武士が描けていない、だから、彼の時代物は、なにかウソくさい。