ムロマチの抽象芸術を生み出した平安の時代は、底知れぬ魅力と魔力を蔵していた、魅力は真言密教だろうが、魔力とはなにか。
私は、長い間、道元禅の方が真言密教よりも上であると思っていた、しかし、そうであろうか、高野山の奥の院で、弘法大師・空海は、今なお修行中だという、56憶7000万年の time travel の真っ最中、この地球の壽命はどれくたいか、だが、彼にとって、50億年100億年はモンダイではないのかもしれない、
さて、平安の魔力とは、この時代は呪いや祟りが流行った、そして、これらを合理的に解決しようとする陰陽五行説が流行っていたが、その正体は道教、しかも、おだやかな道教ではなく、酷薄(コクハク)苛烈(カレツ)な原始道教、安倍の清明は、ずいぶんスマートでソフトに見えるが、その本質は道教世界の方法論だろう。
おのおのの民族には、おのおのの民族宗教がある、勇敢な民族は勇敢な神々が、誠実な民族は誠実な宗教、清らかな民は清らかな神を・・・黄河の中流域で発生した漢民族は周囲を高い壁で巡らした街の中に住み、外の人間は人間扱いしない、ケダモノであり、これを殺しても罪の意識を持たなかった。
この世界でイチバンえらいのは自分と自分の一族・宗族であり、世界は自分たちのためにある、そう思いこみ・信じ切っている、だから、道教の神々すら、こきつかう、棒でたたく、だまし・おどし・脅迫する、あのテルテル坊主は道教の下位の神で、
あーした 天気にしておくれ
天気にならなければ。
おまえのクビを ちょんと切るぞ
神をおどして自分たちの幸福・成功の使い走りにする、だから、人間などはなんでもない、あやし・だまし・おどし、自分たちの思い通りにする、その4000年の結果が現在の中国の地図、だから、平安の時代は、そこここで、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵図が展開していたようだ。