気分はいつも、私次第

希(まれに)の好きなモノだけを集めた、わがまま部屋。
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ヒトラーの絞首人<6>

2017-04-04 16:32:58 | 本のこと
・・・・・・・・・・続きです


ハイドリヒと言えば、ヴァンゼー会議、なんですが・・・
これは有名なので、ここではスルーして(笑)

ハイドリヒが、自身の政策等々、
特に反ユダヤ政策についてどのように感じていたのか?
という部分に触れるような記述をご紹介します。


***********
本文より・・・・

ハイドリヒは、
反ユダヤ政策の残忍な拡大に自分が中心的な役割をはたしたことについて、
道徳的遅疑を感じたことを窺わせる文章も書簡もいっさい残していない。

しかし、ヒムラーやリナなど彼に近かった人々の発言からは、
彼が自分の行為を、
西欧文明の諸基準と家庭でつちかわれた価値観に対する著しい侵害であることを
意識していたらしいことが見てとれる。

一九四二年六月、ハイドリヒの葬儀でヒムラーが述べている。

「ハイドリヒとの無数の話し合いを通して、
私は、あのように苛烈で峻厳な生き方が、
彼本来の優しさに、どのような犠牲を強いたかは知っている。
民族の生命がそれを求めるときには、
われわれ自身の血のも他者たちの血をも惜しみなく捧げる、
これがSSの掟である。
この掟に合致して行動するために、
彼は絶えず過酷な決定を下さなければならなかったのだ」

ハイドリヒの妻もまた戦後、次のように語っている。
―ハイドリヒは「処刑人としての自身の役割を十分に気付いていました。
しかし、いかにしてそれを積極的に正当化するかを知っていました」

つまり、彼は、将来のドイツ人に親切であるために、
またヒトラーのユートピアを実現するために、
自分と自分の部下は、現在の闘争において過酷でなければならないのだと、
自分に言い聞かせていたのです・・・・・。


*************
(本文を掲載しましたが、最後の文章が、妻リナの言葉なのか、著者の言葉なのか、「」等の付き方から、ちょっと分からないです)


ハイドリヒが、どう思っていたか?は、知りたい部分でしょう。
東部戦線へは、ハイドリヒはヒムラーと共に視察しています。
これは、アンザッツグルッペンの“仕事”の視察ですが・・・
多分、心が折れそうな仕事をする隊員たちに、
正当化する言葉を与え、激励し、英雄視したのだと思います。
それは、多分自身への言葉でもあったのだろうと。

写真が数枚、収録されています。
まぁネット等で探したら、同じものが見つかるかも、ですが。
子供時代や結婚式の写真・・・は、ネットであるか・・・
ハイドリヒ・ファンの方は、大勢いると思うのですが・・・
写真の中で、
1942年のベルリンのフェンシング・トーナメントで休憩中の写真は、なかなか良いかと。
疲れているのか、無防備な雰囲気があり、ファンの方は見る価値あり!!かと。


いやいや、いい本でした。ナチ関連、久々のヒット!!!でしたね。
今後、フライスラーの本も邦訳が出るそうで・・・楽しみだわ。
そのうち待っていれば、ザイス本も・・・・

とにかく!早く!!
ヒルバーグの『The Warsaw diary of Adam Czerniakow: Prelude to Doom 』
(ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人評議会議長アダム・チェルニアコフの日記)
コレを訳して下さい!出版して下さい!!
私が死ぬまでに、お願いします!!!!



原題は 『Hitler’s Hangman The Life of HEYDRICH』

この「ヒトラーの絞首人」という言葉は、
ハイドリヒの死に際に、トーマス・マンが呼んだ言葉から、だそうです。


あ~長かった。これにて、ラインハルト話、終了で御座います。



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