二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

聖徳太子と日本人   大山誠一

2010年01月23日 | 歴史・民俗・人類学
BOOK OFFの散歩で見かけ、立ち読みをはじめたらおもしろかったので、そのまま買って帰った。これが学問的な水準として、どのような精度をもった本なのか、むろん、わたしのようなしろうとの一般読者が判断できるようなものではなく、わたしは、興味本位にただおもしろいと思って読んだ。
古代史は日本にかぎらず、海外においても「謎解き本」が多く、どこまで信用できるかわからないような「キワモノ」が、突然ベストセラーにランクインするので、ときどき驚かされる。確実な資料が少ないため、「うそ」と「ほんとう」の境界が曖昧。したがって、恣意的な推理や、物語めいた謎解きが幅をきかせることになる。日本では、梅原猛さんの法隆寺論や、柿本人麻呂論などは、かつて大きな反響をまきおこし、一部で評価をうけたけれど、現在の学問水準で考えれば「キワモノ」の部類に属すかもしれない。古代史では、邪馬台国論争をはじめとして、ロマンあふれる物語性豊かな小説的興味で読めばそれでいいのだが、歴史学の書物のような顔をして本棚にならぶのは、読者を混乱させるだけであろう。

本書における大山説によると、聖徳太子は実在の人物ではない。「日本書紀」の編集過程で、藤原不比等と長屋王の意向を受けて、僧道慈(在唐17年の後、718年に帰国した)が捏造(創作)したとするのである。その目的は、天皇制の正統化と、その権威づけのため。
実在した厩戸王とは、ほとんど、なんの関わりもないというのだから、これがほんとうなら、古代史は大きな変更をせまられるわけである。
これまで、十七条憲法には、後世に書き加えがあったろうとか、「三経義疏」のうち、法華経をのぞく他の書物は偽書であろう、などと、疑問が出されていたのは知っていた。ところが、本書によると、太子の事跡の「一部肯定、一部否定」ではなく、全否定である。天寿国曼荼羅繍帳も、偽物である。

しかし、ネット検索等をやってリサーチしてみると、大山説には、かなり手きびしい批判も寄せられいているようである。いろいろな立場があることはわかるが、守旧的なナショナリストなどが、いくぶん気色ばんで反論している。
巻末に吉田一彦さんの異例というべき詳細な解説がある。これを読んだり、ネット上の情報をいくらか眺めたかぎり、本書が思いつきで書かれた「キワモノ」でないことはたしか。
しかし、聖徳太子を欠いた飛鳥時代とは、なんだろう?
学問的な厳密さによって、闇はただ、深まっただけなのである。

『――天皇制とともに生まれた<聖徳太子>像。実在しなかった聖徳太子を日本人はなぜ崇拝し、信仰の対象としたのか。聖徳太子は『日本書紀』が創出した架空の人物であることは、学界の定説となったといってよい。しかし、なぜ日本人は〈聖徳太子〉を必要とし、それは天皇制とどう関わるのか。第一人者による渾身の書の文庫化』

聖徳太子神話はつくり出され、後世にいたって、ますます増幅されて、神話は「信仰」にまで発展していく。かりに、聖徳太子が存在しなかったとして、それは、考えようによれば、必要があるところに発明された共同的な幻想である。法隆寺や夢殿は、日本がいわば文字社会の黎明を迎えたトバ口に存在しているからこそ、影響力が大きいのであろう。
しかも、それが天皇制の根の部分とlinkしているとしたら、わたしのようなものでも、やっぱり無関心ではいられない。聖徳太子は存在しなかったとしても、古代の謎は、それによって、なおいっそう混沌としただけではないのか?

文献的にはもう期待できないから、ここからさきは、考古学の新発見に期待するしかないだろう。まあ、ずっと昔から議論のまととなっていた巨大古墳の発掘が、いつになったらおこなわれるのか? 宮内庁がその許可をあたえさえすれば、日本の古代は、また驚くような変容をみせることは疑いようがない。



評価:★★★★

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