Nikkoh の 徒然日記

ゲイ(=男性同性愛者)の Nikkoh が、日々の雑感やまじめなこと、少し性的なことなどを、そこはかとなく書きつくります

『男は痛い!』(國友万裕)に共感

2013-12-17 23:56:53 | 男性差別 I (概観・総論・横断的内容)
近頃は、同性愛についてのことよりも、むしろ、

〔 弱者男性問題,男性差別,女災,マスキュリズム,メンズリブ,男性解放,男性運動 〕

といった語句に関わる記事の更新が多くなっています。

マスキュリズム(masculism) = 男性に対する性差別(男性差別)の撤廃を目指す思想・運動。フェミニズムの対置概念。〈男尊女卑〉という意味では用いていませんので注意してください。

※ 女災(女性災害) = 男性と女性のジェンダーバイアスを原因とする、男性が女性から被る諸々の被害。兵頭新児氏 による造語。


「書きたい記事を書く」という方針でやった結果なので、僕が今書きたい記事はこっちのテーマなんだなあと、自己理解しています。

さて、今日は手短に、とある連載の紹介をさせていただきます。

それは、國友万裕さんの、『男は痛い!』という連載です。

國友さんは、関西の大学で非常勤講師をされている方のようです。
ご専門は、アメリカ映画・文学・ジェンダーとのこと。

対人援助学会 の発行する 対人援助学マガジン に掲載されています。
製本された冊子としての入手は出来ないようで、webページからPDFファイルを閲覧する方式のようです。
(ダウンロードやプリントアウトは出来るので、自宅のプリンタで印刷して綴じることは可能)

以下、2013年12月時点で読める分のリンクを貼っておきます。
リンク先はPDFファイルなので、PDFファイルを閲覧できる環境にてアクセスしてみてください。

※ 2014年6月19日、第10回と第11回のリンクを追加
※ 2014年11月21日、第12回のリンクを追加
※ 2014年12月24日、第13回のリンクを追加
※ 2015年6月17日、第14回と第15回のリンクを追加
※ 2017年1月3日、第16回~第21回のリンクを追加

『男は痛い!』(國友万裕)

第1回〈悪人〉 (2011年12月15日発行の 第7号 に所収)

第2回〈象の背中〉 (2012年3月15日発行の 第8号 に所収)

第3回〈ノルウェーの森〉 (2012年6月15日発行の 第9号 に所収)

第4回〈フライ・ダディ・フライ〉(2012年9月15日発行の 第10号 に所収)

第5回〈僕達急行 A列車で行こう〉 (2012年12月15日発行の 第11号 に所収)

第6回〈メゾン・ド・ヒミコ〉 (2013年3月15日発行の 第12号 に所収)

第7回〈電車男〉 (2013年6月15日発行の 第13号 に所収)

第8回〈棒たおし〉 (2013年9月15日発行の 第14号 に所収)

第9回〈HK/変態仮面〉 (2013年12月15日発行の 第15号 に所収)

第10回〈アフタースクール〉 (2014年3月15日発行の 第16号 に所収)

第11回〈告白〉 (2014年6月15日発行の 第17号 に所収)

第12回〈テルマエ・ロマエ〉 (2014年9月15日発行の 第18号 に所収)

第13回〈大阪ハムレット〉 (2014年12月15日発行の 第19号 に所収)

第14回〈あぜ道のダンディ〉 (2015年3月15日発行の 第20号 に所収)

第15回〈ハッシュ!〉 (2015年6月15日発行の 第21号 に所収)

第16回〈ペコロスの母に会いに行く〉 (2015年9月15日発行の 第22号 に所収)

第17回〈龍三と七人の子分たち〉 (2015年12月15日発行の 第23号 に所収)

第18回〈さよなら渓谷〉 (2016年3月15日発行の 第24号 に所収)

第19回〈起終点駅 ターミナル〉 (2016年6月15日発行の 第25号 に所収)

第20回〈ハッピーアワー〉 (2016年9月15日発行の 第26号 に所収)

第21回〈ビリギャル〉 (2016年12月15日発行の 第27号 に所収)

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この連載を僕が発見したのは、つい最近のことです。
google で何気なく検索をしていたら、たまたま 第1回〈悪人〉 がヒットしたのです。

さっそくPDFファイルを読み進めてみると、「おお!僕の心の叫びがここに書かれている!!」という興奮の連続でした。

ここ数日の間に、第1回から第9回まで、噛みしめるように、でも興味に誘われるままに一挙に読み切りました。

吐きだしてしまいたい、でも、上手く言葉(文章)にできない…。
そんな僕のもやもやした思いが、辛い気持ちが、心の叫びが、形になっているのを目の当たりにして、驚きました。
こういうのを、〈 カタルシス 〉と言うのかなあと、しみじみ思いました。

カタルシス = 対処困難な衝動・欲求・感情、あるいはその葛藤などを、言語的または非言語的に表現することを通じて意識化、発散することで、症状や問題行動が消失する現象

かつて、正しいオトコのやり方―ぼくらの男性解放宣言(フランシス バウムリ著,下村満子翻訳,学陽書房) に出会ったときもそうでした。
僕が如何ともすることのできない、辛く苦しく憤ろしく哀しく切ない、声にならない叫びを、あの本に出てくるアメリカ人の男性たちは、言語的に表現してくれました。
特に、『正しいオトコのやり方』に所収されている一篇、『氷河期の子ども』の執筆者である、M.アダムス氏にはどれほど共感したことか。僕の言いたいけれど上手く言えないあのことやこのことを、アダムス氏はクリアーにまとめてくれていたのです。僕は、まず頭で理解できることで落ち着く性分です。だから、まずここで少し安らぐことができました。
そして、「僕とすごく似た感覚を持った人がここにいた!」「彼も僕と同じような辛さや苦しさや憤りや哀しみや切なさに囚われていたんだ」「僕はひとりぼっちじゃないんだ!」という安心感を得ることが出来ました。会ったこともない、遠いアメリカのアダムス氏に、今でも僕は感謝しているのです。
当然ながら、著者のフランシス・バウムリ氏や、日本語に翻訳してくださった下村満子氏にも頭が上がりません。

もちろん、完全に、辛さや苦しさや憤ろしさや哀しさや切なさが消失したわけでは決してありませんでした。
(だからこそ、今こうしてこの記事を書いているのですから…)
でも、ラクになったのは事実です。

この『正しいオトコのやり方』は、かなり古い本です。僕がまだ幼児だった、1990年代初頭に出版されたものですから。
これほど古い本しか、僕の心を潤してくれる本が無いというのが現実です。
(古い本ですが、『正しいオトコのやり方』は名著です。今から読む価値も充分ある本だと思います。主に1980年代のアメリカの話ですが、今の日本でもあてはまることが多いのです)

そんな中、偶然出会った、國友万裕さんの『男は痛い!』は、
かつて僕が『正しいオトコのやり方』に出会ったときと匹敵するくらいのカタルシスを与えてくれました。

國友さんは、中学生のときに辛い体験をされました。
ずーっと一貫して、女子生徒たちに「気持ち悪い」などと蔭で罵られ続け、執拗かつ計算ずくの嫌がらせを受けた経験は、いまだに彼の中に深い傷となって刻まれているようです。
國友さんにこのような仕打ちをしたのは、すべて女子生徒であり、男子生徒から罵られたり嫌がらせをされた経験は無いそうです。

これは僕と重なる部分があります。
僕も(このブログで度々書いているとおり)「女子にいじめられる男子」でした。
僕のことを気持ち悪がったり、忌避したり、嫌がらせをしてきたりしたのは、ほとんどが女子生徒でした。
(男子生徒からのいじめも少し経験しましたが、短期のもので、当人からのきちんとした謝罪も受けました。一方、僕の心を踏みにじった女子生徒たちは、誰一人として謝罪をしていません)

國友さんの受けてきた苦難と比べれば、かなり度合いの軽いものですが、今でも思い出すと、フラッシュバックを起こしそうになることもあります。
そういう経験から、僕は、〈 女の暴力性 〉の恐ろしさを身に滲みて知っています。國友さんもきっと同様でしょう。
僕は、そして彼は、兵頭新児氏の言うところの〈 女災 〉の、紛い無き被害者なのです。

でも、いくらそのことを訴えても、誰も耳を傾けてはくれません。むしろ心ない攻撃を受けて、余計に傷つくことになるのがたいていです。そのことを、僕はよく承知しています。だから、いつもいつも思いを抑圧して生きています。
どれだけ辛くても苦しくても憤ろしくても哀しくても切なくても、一人きりで抱え込んで、ずっと生きてきたのです。

〈 ジェンダー 〉などの事柄に意識など向けていない、ごく一般的な方々にどんな反応をされても、「まあ仕方ないよ」と思える部分があります。
でも、そうでは無い人たち =ジェンダーの知識のある人,ジェンダーについて研究している人など= からの心ない言葉や攻撃は、あまりに哀しいです。
例えば、國友さんも『男は痛い!』の 第9回 の中で、

「それは一部の女性のしたことですよ」
「そんなことばかり思い出していたら、憎しみが余計に大きくなって行っちゃいますよ」
「あなたが女に負けたくないという意識をもっているからじゃないの。男性優位主義思考を治せば、いいんじゃないの」
「男の人は見えない権力を握っているんですよ」
援助をしている人たちがこんなことを言うのである(怒)!!!
こんなことを言われても、ぼくのトラウマが治るわけがない。むしろ感情を否定され、余計にぼくは傷つくことになる。


という記述をしています。
最初のと最後のは、僕も言われた経験があります。いずれもフェミニストの発言でした。
弱虫な僕は、完全に心を打ち砕かれ、もはや何も言い返せませんでした。今でも悔しいです。

國友さんは、これらの言に対して、反論を記しています。
概ね僕の言いたいことと一致しています。
これをあの人々に言い返したかったです。何より、考えて欲しかったです。たぶん気づいていないだろう己の暴力性を自覚して欲しかった…。

少し長くなりますが、こちらも引用してみます。
下線や色づけ等は僕の強調したい部分に適宜施しています。

それは一部の女性のしたこと?
それを言うのだったら、セクハラだって、DVだって、一部の男のしたことに過ぎないのでは?
だけどフェミニストは、あたかも全ての男性のしたことであるかのように男を批判してきたのでは?
痴漢だって一部の男がしているに過ぎないのを、男は全部、女性専用車両には乗せてもらえないのだ。
ぼくを傷つけたのが1人や2人の女性だったら、一部の女性の問題と言われても仕方がない。しかし、ぼくは 複数の女性集団から そういう目に遭わされている。したがって、女性への恐怖というよりも、女性性への恐怖がぼくのなかには根付いている のだ。


(引用者註 : 「女性性への恐怖がぼくのなかには根付いている」というのがとても興味深い。僕もたぶんそうだったんだ。女性が怖いと言うよりは、彼女らが内在化している女性性が怖かった。だから、あまり女性性を表に押し出してこない女性には、恐怖をほとんど感じなかったのだろう)

そんなことを思い出していたら憎しみが大きくなる??
ぼくだって、憎しみを消そうと懸命に努力してきた。しかし、憎しみから目をそむけても憎しみは消えない。そうであるのならば、徹底して憎しみと向かい合うしかない。ぼくにとっては、いたし方のない選択だったのだ。


(引用者註 : ずっと目をそむけてきた、というよりは、蓋をして見ないようにしてきたのが僕だ。でも、辛さも苦しさも憤ろしさも哀しさも切なさも、やっぱりずっと心に引っかかったまま消えない。結局は、直面するしかないのだろう )

男性優位主義???
ぼくが、男性優位主義と思っているの!?
もし仮にぼくが男性優位主義の価値観をもっていたとしても、女は何をしても許されると言うことにはならないのでは?
ぼくが女の子からいじめられていた頃、早くに親に相談していたら、不登校までにはならなかったはず。
ぼくが言えなかったのは、男性優位主義ではなく、男性差別のせい。
男は女よりも強くなくてはという価値観 があるから、「男のくせに女にいじめられる奴があるか!」と言われることは目に見えている。
余計に自尊心を傷つけられる ことはわかっているから、ぼくは誰にも言えなかったのだ。


(引用者註:「男は女よりも強くなくては」という価値観は、たいていの人の中に自然と内在している。男性でも女性でもだ。僕の中にもたぶんある。だから、「男のくせに女にいじめられる奴があるか!」と他者に言われる苦しみもあるけれど、自分自身で無意識のうちにその言葉を己にぶつけて傷つけていた側面もあるかもしれないとふと思う。そして、これは、女性に被害を受けた男性の多くが、1人ですべてを抱え込んで苦しまなければならない現実に、大いに関連がある。男性DV被害者の救済なども、この点をよくよく考慮しながら行わなければいけないと思う)

男の人は権力を握っている????
ぼくはこれまで結婚もしていないし、仕事もずっと非常勤を貫いてきた。これからもおそらくそうなるだろう。女性に権力をふるったりできるような立場についたことは一度もない。
いつだって女性に気を遣って、小さくなって生きてきたぼくが、ただ生物学的に男だという理由で、権力者扱いされるのは筋違い である。


(引用者註:僕に向かって「あなたは男であるというだけで特権階級なのよっ!」とまくし立ててきた方に、この言をそのままお伝えしたい。僕がいったい何を持っているというのだろう。具体的に列挙して教えて欲しい。その殆どを僕は持っていないし、欲してすらいないと予想する。そうだ。〈 権力 〉とか〈 特権 〉など、僕はそもそも欲していないのだ。慎ましく、ささやかでも、平静に、ひっそりと生きていければいいと考えている。ゲイだからというのもあるが結婚もしない。乏しい体力の僕は、キャリアを積んでバリバリ働くという生き方はできない。そんな僕も、ただ生物学的に男だという理由で、権力者扱いなのだろうか。まったく納得できない)

國友さんの筆致はなかなかに力強い。けれど、その後ろに、わなわなとうち震えている彼の姿が見えてくるような、そんな痛々しい文面になっていると感じました。
このような辛辣な内容を書き、辛かった体験のことも含めて自己開示をされた動機については、以下のような記述がありました。
再び引用です。

ぼくは辛酸をなめるような経験をした。女性によって心を壊された。それを女性にぶつけることで、ぼくは彼女たちに 気づいて欲しい と思っている。
15 年ほど前にあるフェミニストから、「男の人は何気ない気持ちでしていることであっても、女にはセクハラと感じられることがあるのよ。」と言われたことがある。
それを言うのならば、逆もまた真なり。
女の人が何気ない気持ちでしていることが、男を深く傷つけることだって、絶対にあるはずなのだ。
今回の発表は、女性に喧嘩を売るためではない。あくまでも女性に理解してもらうため、そして、もうぼくみたいな不幸な男を生み出さないため の女性批判である。


何気なく、気にもとめずにした発言や行動が、思いがけず他者を傷つけることがあります。
これは、傷ついたと感じた方が表明しなければ、永久に気づかないままになります。
気づいてもらうためには表明をしなければ始まらないわけです。
その表明をした結果が、上述したような惨事なのが、実に哀しい限りなのですが…。
國友さんのスタンスは、あくまでも、「気づいて欲しい」,「理解して欲しい」というところにあります。
きちんと対話をして、相互理解をして、問題を解消していきたいという、願いが伝わってきます。
そして、それは僕の望むところと一致しています。

こちらとしては、自分が最善と思う方法で自己開示をするまでです。
(僕の場合は、その前に自己理解が必要なのだと思いますが…)
ただ、それをどう受け止めるかは相手次第なので、結局のところ不毛なことなのかもしれません。

國友さんも、

上手く行けばいいけどなあー。
今、ぼくは不安1割に期待1割、そして、誰もわかってくれないのではないかというあきらめ8割の混じり合った気持ちの中にいる。おそらく誰もわかってくれないというのがぼくの偽らざる予想なのだ。


と述べています。

僕や、僕と同じような境遇・感性・思考回路等の持ち主が、少しでも幸せで、生きやすくなっていくためには、いったいどうしたらいいのでしょう。

もしかしたら、一生かかっても終わらない仕事なのかもしれません。
まあ、死んでしまえば、生きやすさも何も無いのですが。

『男は痛い!』では、他にもいろいろな話題が取り上げられています。

例えば、中学生のとき、暴君のような体育教師に、上半身裸での体育授業(男子生徒全員)を強要されたというエピソードが出てきます。
厳寒の時期でも、グラウンドでも体育館でも、校外へ出てのマラソンでも、全員短パン1枚だけの姿でやらされたそうです。
〈 寒さ 〉と〈 羞恥 〉に耐える、強くたくましい男に育てようということなのでしょうか。

「男子だけが(半)強制的に裸にさせられる」という場面は、日本ではかなり見受けられます。
確かに、そのことについて特段抵抗を持たないという男性も、結構いると思います。
でも、男性・男子の中にも、身体の弱い者は当然居ますし、羞恥心の強い者も居ます。
かれらに(半)強制的に、半裸を強いるというのは、僕はやはり問題だと感じます。

男性の性的羞恥心が無視あるいは著しく軽視されているというのは、厳然たる事実です。僕はこれは明らかに男性差別だと思います。
「男子だけ(半)強制的に裸」もそうですが、「男子だけ更衣室が用意されない」などのケースも同様です。
しかし、男性・男子が、性的な羞恥心をうったえることに対する風当たりは、なかなかに強いものがあります。
「男は恥ずかしがってはいけない」という規範もまた、多くの人が共有しているものだと思います。その規範から外れた者は、「男のくせにそのくらいで恥ずかしがる奴があるか!」と罵られることになります。
そのことが分かっているから、多少、羞恥心を持っていたり、疑問を感じていたりしても、たいていの場合はガマンしてしまうわけです。
羞恥の度合いが著しく強くて、どうしてもガマンできないという人は、意を決してそのことを吐露し、裸の羞恥を回避した代償として、罵りを受けることになるのです。

男性の性的羞恥心の問題については、いずれこのブログでも取り上げてみたいです。

第1回〈悪人〉 の第1節は、〈 男尊女卑という名の男性差別 〉 という題名になっています。
これもまたたいへん興味深くて、僕に示唆を与えてくれました。
こちらもいずれブログで詳しく取り上げてみたいです。
ここでは、おおよそ要旨が分かる部分の引用に留めます。

体罰に耐えろ! 上半身裸になれ!! 家族を食わせんといかん!!!
こんなことを女子が言われるだろうか。男であることは理不尽だ
九州が、男尊女卑であることは事実だと思うが、男尊女卑であることはむしろ男にとって悲劇だ
男は家畜のような扱いを受けるのに、一方で、男は女よりも偉いんだという価値観を内面化していなくてはならない。
なんという矛盾。


この記事も、長く、とりとめもなくなってきたので、このあたりで擱筆します。

〔 弱者男性問題,男性差別,女災,マスキュリズム,メンズリブ,男性解放,男性運動 〕

に興味・関心のある方、『男は痛い!』を一読してみてくださいねー(^^)

※ 國友さんは、本も出されています。『マッチョになりたい!?』という本です。僕がこの本について書いた文章は、こちら から読めます。御参考まで。

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