日刊ミヤガワ

作家・表現教育者宮川俊彦によるニッポン唯一、論評専門マガジン。

11月30日 五週目

2008年11月30日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1795号   2008.11.30
「五週目」

 久しぶりに五週目休講の権利を行使した。前回などは木金の五週目をボクも忘れていたし、来る方も忘れていた。風邪気味だから都合もよかった。しかしあれもしようこれもしようと企んでいたのに、結局熱を出してだるいままベッドで寝続け起きたのは夕方五時。
 前夜も例のスクリーンだの何だのの設置があり、居残り組の生徒や親子と11時近くまでワイワイやっていた。講義が今までになく楽しくなってきているせいか、時間の経つのが早い。とっちゃまんと一緒なら遅くなってもいいと親の認可を得ているのだと帰らぬ子たちは嬉々としている。それどころか来るのも早い。講義前二時間も早く来ては宿題をやったり、その辺をウロチョロしている。相談に来た人の話なども一緒に聞いている。その内に「私が作った」などとチョコケーキのようなものを持って来る子がいて、皆で食べ合っている。
 南が開いたせいか。妙に明るい。そして真剣に取り組んでいる。本当に昔の作文研に戻ってきている。小学生のときに来て、今大学四年になった子も再入会した。「全然変わっていない」と述懐していた。面白い現場になってきている。
 だからボクもつい調子に乗る。羽目を外し続ける。しかし退屈で杓子定規でいるよりは余程いい。人々は飢えがあるから、渇望があるから、努力しようとし、自己を自己の内力で押す。背を押すのは実は自分だ。
 満足の場など作ったらロクなことはない。これでいいのか、いいわけはない、何で分かってもらえないのか、分かろうとしないのか・・・、そんな思いを日に日に強くしている者こみが本物の表現者や言論者になる。
 ベラベラ内容のないことを喋るだけの者は所詮ゲボブログや敗者ゆえのネット書き込み人に成り果てる。それはひどく陰鬱で攻撃的で尖っている。言葉を得ていてもその言葉に自分が囚われる。勝手に自己増殖していく質になることもある。社会化した言論の力量ない者のひとときのガス抜きの場が、自己制御できないものだから、どんどん尖ったり、自己の内のドロドロを汲み出すようになる。それにまた反応があるからそこへの居場所を求めるようになる。これは真剣に考えなくてはならないものだが、おそらくは難しい。無内容のお喋り者の社会的発言は定式踏襲になりがちだ。それでいいとしている。肥大し制御できなくなるモンスター化は必然だ。それでいてそこへの圧迫でも加われば面白くなくてストレスなどと云う。この水準の人々が文化界・メディア界にも台頭している。無論世間では主流になって群れ成している。
 本当に思索していく人々は生き辛いだろうと思う。考え苦闘し迷い、ということが人の研鑽の土台になる。そこを見てそこに照準を当てられぬ者は教育ではない。本物の能力者を潰してしまう環境は益々強くなっている。
 愚民は愚民の群れの中の評価者に羨望する。そして競う。隔絶した賢者の巣窟が牙城が必要だ。熱は思索を熱っぽく尖らせるものらしい。しかし賢者は愚民以上に大愚でなくてはならない。まどろみながら呻吟している。
 また熱が出た。

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