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1月12日 山崎訪朝

2007年01月12日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1107号    2007.1.12
「山崎訪朝」

 批判が多いということは、意義があるということになる。この時期山崎氏が訪朝していくのは大切なことだ。国が一貫して統一した対応をすべきだという考え方こそが無茶であり、愚かなことだ。国民が一丸となることこそ危険なのだ。
 本来なら多元外交とまで行かずとも政治大国としての自負があるならば、あらゆる路線を敷き、いつでも重心を置き換えられる下地を作ることは政治としての原則中の原則だ。
 むしろ「膠着している現状に於いて尽力されることには敬意を表したい」とエールを送ることが総理やメディアの見識というものだ。
 日中が冷えていた頃、時の佐藤総理は議員個人として国交のない中国とのパイプ作りをしていた議員に国会で敬意を表していたものだ。
 国の舵取りとはそういうことが大切なのだ。一つのボールを全員で追うようなことをしてはいけない。時として今までの政策を転換していく下地は準備していくことが本来の政治姿勢だ。
 誰が見ても日朝は膠着している。プラスではない。日本は敵視政策を強めたし、締め付けを実際行っている。いろんな目論見はあるとしても、その効果は既に達したとボクは見る。拉致は重要課題だが、唯一絶対無比ではない。自由な国利国益の展開の足枷になるとしたら、いつでも考え直さす幅は確保すべきだろう。
 旧社会党、現社民党の諸君などはどんどん行くべきだった。打開を常に模索していくべきだ。自民、民主も当然だ。こんなことで国民から付託された議員たちが動けないのは実に不経済だ。欧米に物見遊山で行く暢気なバカ議員など爪の垢でも煎じて飲めばいい。
 まだ少しはまともな議員がいると国民は慶賀したらいい。しかし非難と抵抗が多い。これは何か気になる。行かれてまずいことを全部並べてみたらいい。北敵視に於ける既得権益が既に出来上がっている。文化人や学者もそうだ。
 果敢で好戦的なことはいいとしても、それで国益や今後の国の行く末に対しての責任が持てるほどの見識は乏しい。
 冷静とは大人しくしていることではなく多元的ということだ。そのバランスの上で政策決定がなされるべきだ。
 何ほどのことができるか、そんなことはどうでもいい。矢は何本でもいい。このままではいけないという動きがたくさんあることがいい。北は日本敵視を更に強化している。相手が悪いと追い詰めれば硬化する。このまま進めて日本に何の利ありや。米の属国と云われて云われたままの自己を表現しているのはあまりに情けない。ここは老練な議員たちの出番だろう。ボクは何年も前から語っているが、国民も指導部も無頓着なままに危険なパワーゲームに邁進している。ヒステリックヒューマニズムの危機はここにある。
 いやいや山崎氏を批判するのは、山崎擁護、期待ともとれる。よほど策に窮しているのだ。また熱が上がる。

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