二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

解の存在定理

2016-06-12 21:22:47 | 徒然に想う

書き上げ、ふと時計を見ると17時半。もうそんなにか、5時間近くかかった。植物の必須元素とその欠乏状態でどんな症状を示すのか、曼陀羅のようにまとめてた。種本は、例によってテイツとザイガーの植物生理学。

窪川時代に読んだところだけど、いかに頭に入っていなかったか、愕然。愕然? 呆然? 今の圃場の野菜たちの状態を思い起こすと、ああこれも、これも当てはまると次から次へ。元肥入れろと何度も言われたのに、種まきや定植の時期になってしまい、やらず仕舞いだった。こうなれば、追肥で乗り切るしかあるまい・・・。牛糞堆肥で間に合うかなぁ(越知町内で作ってるのがある。地産地消!)。

午前中は、埼玉時代に作ったダイズを使って豆腐作り。二回目になるとそれなりに手際よく進めた。でも、食べるととっても美味いんだが、柔い。イメージとして、土佐の昔豆腐のような硬いものを想っていた。苦汁を入れるときしっかり混ぜなかった、か。苦汁の量が少なく、寄せ豆腐と水分の分離が足りなかった、か。水切りが十分でなかった、か。これ、やっぱ面白い。何通りもある、答えが一つじゃないところが、特にいい。まさに、解の存在は証明できても、一意性は保証されない。自然を解き明かす方程式の解のよう、科学じゃない。

目の前に現れることは、同じ症状であっても、よく見ると違う。例えば、葉脈と葉脈の間が黄色に変色してる場合、古い葉なのか、若いのにかによって、足りなくなっているものが違ってる。もちろんそれだけで判断はできないが、傾向はつかめる。しっかり理解してれば、つかめたはず、だ。今の野菜たちに「自然任せ、自然任せ。頑張れ」と言いたいが、このままではちょっとかわいそう。十分力を出せずに終わってしまう。どうしたもんじゃろのぉ。



今日の一枚:午前中作った豆腐、夜ご飯に麻婆豆腐になった。


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