虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

お母さんが持っている困り感と子育て 4

2012-08-25 08:33:43 | 教育論 読者の方からのQ&A

子どもの相手をする時、たいていの方はその状況にある無数の選択肢のなかから

無意識に一番重要そうなひとつを選んで、実行しています。

 

その時、それを「重要だ」と判断する決め手となっているのは、子どもの表情、素振り、何をじっと見ているのかといった

言葉を介さない情報です。

 

言葉はなくても

「うれしい」「ちょっといや」「恥ずかしい」「してみたいけど、もうちょっと待って」「自信がないの」「あんな風にしてみたい」

「悲しい」「寂しい」「疲れていて、今はやりたくないの」「ちゃんとしなきゃって思うけど、何からしたらいいのか忘れてしまったの」

「不安」「怖い」「楽しい」「悪かったなと思っているけど、今は謝れない」「お母さんに認めてほしい」「あんなことしてみたい」「本気」

といった気持ちは、

そうした表情や素振りや視線がどう変化していくかということから伝わってきます。

 

また「重要だ」と判断する決め手は、その時間のその場にある状況で、

何が重要で何が重要でないかといった

状況に応じたあいまいな判断です。

 

たとえば、「お友だちの物を借りるときは、貸してっとお願いして、いいよって返事されてから、

ありがとうを言ってそれから使うのよ」と子どもにしつけていたとしても、

児童館のようなみんながおもちゃを共有している場で、相手の子が手に持っているもの、それまで遊んでいたものの

全てにその手順を踏まなくちゃならないのか、お友だちのお家ではどうなのか、

自分の家に相手の子を招く場合どうなのかなど、

その時々の状況によって、ルールを微調整していかなくてはならないですよね。

 

もしそこで最初に決めた「ルール」の方を重要視して、

どこでもかしこでも強硬に、「お友だちの物を借りるときは、貸してっとお願いして、いいよって返事されてから、

ありがとうを言ってそれから使うのよ」を守らせるようにすると、どうなるでしょう?

 

ごっこ遊びのように子ども同士が物を共有して発展させていく遊びができなくなったり、

妙に引っ込み思案になって、同年代の遊びの輪に入りにくくなったり、

相手に「ありがとう」を強要したり、厳しくルールを守らせようとしたりして、お友だちから避けられるようになるかも

しれません。

 

また、その人の過去の体験で、

どのようにしてみて、どんな結果を得たのか、どんな感情を味わったのかということも

何が重要か判断する際の大きなウェイトを占めているはずです。

 

それからもうひとつ、「重要だ」と判断する決め手となっているのは、その方が信頼している情報、

つまり子どもの発達の専門家の意見とか、信じている教育法も参考にしていることでしょう。

 

子どもが遊ぶ姿をのんびり眺めている時ですら、

その状況には数えきれないような選択肢があって、

たいていの人はほとんど意識しないまま、非言語のメッセージにしろ、その場にある暗黙のルールにしろ、自分の過去の記憶にしろ、

専門的な情報にしろ、その全てを絶妙な配分で判断材料にして

子どもへの対応を決めていることでしょう。

 

わたしの場合、こうした判断材料とは別に、その子の発達段階や個性、社会性の発達の様子、

各能力の最近接領域、どれくらいの声かけと手助けがあると意欲的で前向きな態度を持続できるのか、

喜んでしているように見えても、休ませないといけない目安はどこか、どのような視覚的なメッセージが

その子にどんな影響を与えているのか、

短期目標と長期目標など、そのどれにも同時に配慮するよう気を配りながら、

その瞬間瞬間に最優先すべき何かを選んで行動しています。

 

といっても最優先すべき何かなどとオーバーな言い方をしても、

子どもは自ら自分に必要なプログラムを内に秘めて成長していますから、

たいていの場面では何もせずにリラックスして見守ってるくらいが一番いいのです。

そして、「ここぞ」という要となる瞬間にだけ、適切に対応したら十分だと

思っています。

 

前置きがやたら長くなってしまったのですが、

自ら「困り感」を持っているお母さんの場合、どんな状況でも

(本当は無数に選択肢があるはずの場面で)

「自分のなかにある2つの選択肢のうちどちらかを選ぶ」という行為に

固執しがちなのが、

子どもの言動からストレスを受けやすかったり、

子どもとの関係が悪循環に陥りやすい原因なのかな、と感じています。

 

特に、信頼している専門家の意見とか、信じている教育法というフィルターを通して

「正しい」「重要」と思う何かを選らんでいる方の場合、ふたつの選択肢どころか、

「最初から1つしか選ぶべきものはない」という強迫的な思い込みに囚われていて、

現実から返ってくるフィードバックも全て、その1つの選択肢に合う合わないで

曲解してしまわれることもよくあります。

すると、

わが子が生きている現実と

おかあさんが捉えている現実が、全く別のものとなってしまうので、

当然、子育てが非常に難しいものとなっていくのです。

 

 

次回に続きます。

 

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なるほど!!と感じます。 (cocue-cocue)
2012-08-26 00:36:46
どこでもかしこでもルールを守らせる~それはまさに、私の両親の教育方針でした。
この例にあったように、私は引っ込み思案になり、自由に玩具やお菓子をもらうことができない子供だったようで、それはそれで両親から「この子は頼りない」「まっさらの鉛筆を学校に持たせたら、いたずらっ子から『こっちのほうが書きやすいぞ』と言われてちびた鉛筆に取り替えられてくるに違いない」等と言われ、ますます自尊心を損なう…そんな悪循環にはまっていました。

今、親になり、自分の親のしつけに違和感を山ほど感じるようになって、ようやく呪縛から逃れ始めています。でも今回出てきた例はまさに私の姿で…
ルールをきちんと守らないひとが許せなくて、声高に指摘してうるさがられては「私は間違えていないのに、逆恨みされるなんて」と思うこともしばしばありました。

なるべく親が私にかけたような言葉は子供にはかけないようにしていますが、ルールをきちんと守らせることは心掛けていました。これこそが、私の子供時代の生きにくさ、困難の理由だったなんて…

ちなみに母は元教員です。
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Unknown (K&S)
2012-08-27 14:22:40
私も、なるほど!!と思いました。
私自身、一度ルールを決めると、その通りにすることだけに固執してしまうところがあるので(時間に余裕がない時や義務的な用事が詰まっている時は特に)、そのことに自分で気付くことができる記事です。
子供に指示を出したくなる時、これは子供のためじゃなくて自分がシングルフォーカスに陥ってるぞ、、、と考えることが出来るようになってきました。
そうなってくると今までと違った子供の見え方ができ、今までは家の中でさえ子供をコントロールしていたことが分かります。
そんな子供の姿を自分と重ねて、想像して笑ってしまうのですが、、、買い物をしてへとへとで帰ってきたところに風呂掃除をするように言われる自分の姿や、張り切って作った夕飯をプロの料理人と比較されてやる気をなくす自分、家の中でも短パンにTシャツはだめでだらだらしたら注意される、マンガを読もうとしたら分厚い歴史の本に変えられる、、、などなど、もし自分がされたら、やってられない!!となるような当たり前のリラックスを子供にはあれも駄目これも駄目、と言える自分が可笑しくて。
私は自分に甘くて子供に厳しかった方なのでこんな感じですが、自分にも子供にも厳しい方だとこうはいきませんかね、、、。
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