前回の続きです。
子どもの発信するものを「ノイズ」と捉えてしまう理由のひとつに、
子どもの個性についての知識が少ないために、
その子の性質の長所も含めたあらゆる面を「悪いもの」や「ノイズ」として受信してしまうということがあります。
たとえば、内向的感覚の子が「新しいチャレンジにぐずぐずして参加しない」のは、
「やりはじめたことは簡単に投げ出さずに、根気よくていねいに関わる」ことと表裏一体なのです。
けれども、次々と新しいことを求めて探索し続ける直観が優れた親御さんでしたら、
「何をさせようとしてもぐずぐずして取り組まない姿」を
「ノイズ」として捉えるだけでなく、
「根気よくていねいに取り組む姿」も
「まだ同じことばかりやっている。進歩がない……」として「ノイズ」と感じてしまうことが多々あるのです。
フォン・フランツは、『ユングのタイプ論』という著書の中で次のように述べています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
実際上とても重要になるのが、タイプ論です。
なぜならこれがまるきり見当違いに人を理解しないようにする、
唯一の方法だからです。
自然な反応がまったく捉えがたく、こちらが自覚しないで対処すると取り違えてしまう、そんな人を理解する手掛かりとなるのが、
タイプ論なのです。
(『ユングのタイプ論』創元社)
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性格タイプによって勉強への取り組み方のようなものもずいぶん違います。
先日、内向的思考の感覚寄りと思われる小2の●くんが
算数の問題を解く様子を「面白いな」と思って眺めながら、
この子の解き方は見る人によって「ノイズ」として扱われてしまうことがあるんだろうな……と考えていました。
●くんは、とても思考する力のある子で、プライドも高くで、
知的な課題では、非常にチャレンジャーな一面を見せることがあります。
それまで習ったことがない自分なりの方法で式を立てて解こうとするのです。
といっても、思考とともに感覚が優れている子なので、独創的に解くのではなく、
式をより洗練させる形で工夫します。
たとえば、この日私が出した問題は、●くんが初めて解く問題で難しいものでした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
バケツに 水を 入れて、長い ぼうを まっすぐに 立てました。
つぎに その ぼうを さかさまにして 立てると、水に ぬれなかった ところが
7cm のこりました。 水のふかさが68cmだとすると、ぼうの長さは
何cmですか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
すると、●くんは、68×2+7
と書いて解き始めました。
●くんにすると、68+7+68なんていう式がダサい……と感じるらしいです。
ですから、いつもよりシンプルでかっこよく見える()を使ったり、かけ算や割り算を入れたりした式にして
表そうとするのです。
私が解答の答えを示すと、次にはそれと同じではなくて、より美しい式にできないかと必死になります。
こうした態度は内向的直観思考寄りのうちの息子が小学生のときにも
よく見られて、息子の場合は直観が優れているので、
同じ算数で見せるチャレンジャーな一面も、「洗練された美しい式を立てる」ことに向わず、
「公式そのものが生まれたときの理由にまで遡って、
全くゼロの地点から新しい解き方を生み出す」
ことに燃えていました。
●くんにしても、うちの息子にしても、こうした一面は、
公立私立に関わらず、小学校では頭ごなしに否定されてしまうことがよくあります。
●くんの場合も、息子の場合も、先生の指示通りの式を書かない点でも
たとえ正しくても減点されるし、
おまけにそうしたチャレンジゆえに計算間違いなどをしてしまうときには、
ひねくれていると取られたり、
厳しく攻撃されることもあるのです。
そうした面を、「ノイズ」として捉えてしまうと、
無視するか、注意してやめさせるかしか選択肢がありません。
でも、そこに、その子の個性的な能力の輝きを見出すのなら、
今は無意味で無価値に見えても、
時が経てば、それはその子の人生で必ず役に立つ何かになるはずなのです。
子どもの発信するものを「ノイズ」と捉えてしまう理由のひとつに、
子どもの個性についての知識が少ないために、
その子の性質の長所も含めたあらゆる面を「悪いもの」や「ノイズ」として受信してしまうということがあります。
たとえば、内向的感覚の子が「新しいチャレンジにぐずぐずして参加しない」のは、
「やりはじめたことは簡単に投げ出さずに、根気よくていねいに関わる」ことと表裏一体なのです。
けれども、次々と新しいことを求めて探索し続ける直観が優れた親御さんでしたら、
「何をさせようとしてもぐずぐずして取り組まない姿」を
「ノイズ」として捉えるだけでなく、
「根気よくていねいに取り組む姿」も
「まだ同じことばかりやっている。進歩がない……」として「ノイズ」と感じてしまうことが多々あるのです。
フォン・フランツは、『ユングのタイプ論』という著書の中で次のように述べています。
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実際上とても重要になるのが、タイプ論です。
なぜならこれがまるきり見当違いに人を理解しないようにする、
唯一の方法だからです。
自然な反応がまったく捉えがたく、こちらが自覚しないで対処すると取り違えてしまう、そんな人を理解する手掛かりとなるのが、
タイプ論なのです。
(『ユングのタイプ論』創元社)
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性格タイプによって勉強への取り組み方のようなものもずいぶん違います。
先日、内向的思考の感覚寄りと思われる小2の●くんが
算数の問題を解く様子を「面白いな」と思って眺めながら、
この子の解き方は見る人によって「ノイズ」として扱われてしまうことがあるんだろうな……と考えていました。
●くんは、とても思考する力のある子で、プライドも高くで、
知的な課題では、非常にチャレンジャーな一面を見せることがあります。
それまで習ったことがない自分なりの方法で式を立てて解こうとするのです。
といっても、思考とともに感覚が優れている子なので、独創的に解くのではなく、
式をより洗練させる形で工夫します。
たとえば、この日私が出した問題は、●くんが初めて解く問題で難しいものでした。
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バケツに 水を 入れて、長い ぼうを まっすぐに 立てました。
つぎに その ぼうを さかさまにして 立てると、水に ぬれなかった ところが
7cm のこりました。 水のふかさが68cmだとすると、ぼうの長さは
何cmですか。
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すると、●くんは、68×2+7
と書いて解き始めました。
●くんにすると、68+7+68なんていう式がダサい……と感じるらしいです。
ですから、いつもよりシンプルでかっこよく見える()を使ったり、かけ算や割り算を入れたりした式にして
表そうとするのです。
私が解答の答えを示すと、次にはそれと同じではなくて、より美しい式にできないかと必死になります。
こうした態度は内向的直観思考寄りのうちの息子が小学生のときにも
よく見られて、息子の場合は直観が優れているので、
同じ算数で見せるチャレンジャーな一面も、「洗練された美しい式を立てる」ことに向わず、
「公式そのものが生まれたときの理由にまで遡って、
全くゼロの地点から新しい解き方を生み出す」
ことに燃えていました。
●くんにしても、うちの息子にしても、こうした一面は、
公立私立に関わらず、小学校では頭ごなしに否定されてしまうことがよくあります。
●くんの場合も、息子の場合も、先生の指示通りの式を書かない点でも
たとえ正しくても減点されるし、
おまけにそうしたチャレンジゆえに計算間違いなどをしてしまうときには、
ひねくれていると取られたり、
厳しく攻撃されることもあるのです。
そうした面を、「ノイズ」として捉えてしまうと、
無視するか、注意してやめさせるかしか選択肢がありません。
でも、そこに、その子の個性的な能力の輝きを見出すのなら、
今は無意味で無価値に見えても、
時が経てば、それはその子の人生で必ず役に立つ何かになるはずなのです。